撤退
~ミカンダ地方 第1都市~
大学での仕事を終えたミネルヴァが館に帰ってくると、第4都市に避難していたランドルとライカが戻って来ていた。
「あっミネルヴァ様!ミネルヴァ様~!」
「お久しぶりですミネルヴァ様。」
ミネルヴァを見つけたライカが子供のように飛びついてくる。そんな妹を微笑ましく見ていたランドルも近づいてきた。
レオが王国を支配するようになって1000人中999人は不幸になった。略奪された市民、戦いに巻き込まれた民衆、兵士として駆り出された農民、戦いに敗れた貴族たち。身分の差を問わず、王国に住む人々は不幸になった。
そんな中、ランドルとライカはレオのおかげで幸せになった数少ない、本当に数少ない人間であった。
もともとは農民反乱の首謀者としてどうあがいても処刑になってしまう人物であったのが、その才能にほれ込んだテュールによって極秘にミカンダに連れてこられた。もし、この事実が公になってしまったら、二人どころかウォーデン家までも危機的状況になってしまう。そのためしばらくは身を隠し、ひっそりと生きる必要があった。
しかし、その後のレオの内戦や貴族の大反乱によって、1年前に鎮圧された農民反乱の存在など誰も覚えていない。
二人はレオが起こした混乱のおかげで大手を振って歩けるようになったのである。
「ライカは随分と顔色が良くなりましたね。」
ミネルヴァはライカの綺麗な金髪を優しく撫でながら言った。
「これもすべてミネルヴァ様のおかげです。妹を救ってくださったミネルヴァ様に何とお礼を申せばよいのか。」
ランドルがほぼ地面と平行になるまで頭を下げて感謝の意を示す。
父が領主に殺されたときからライカは夜にうなされるようになっていた。反乱時はそれが特にひどくなっており、毎晩強い酒を飲まないと寝ることもできない状態でいた。
しかしミカンダに来てからというもの、ミネルヴァが毎日ライカを抱きしめながら一緒に眠り、彼女が悪夢で絶叫しても文句ひとつ言わずにつきっきりで添い寝をした。また、日頃からなるべくライカと一緒に居ることを心掛け、食事から風呂に至るまで一緒に行動した。
その結果、安心感に包まれたライカは次第に悪夢を見なくなり、日常で笑顔が増えていった。
ライカにとってミネルヴァは親友であり、姉であり、母であり、恩人であった。今まで兄しかいなかった彼女にとって、ミネルヴァは初めての経験や感情をたくさん教えてくれた。このような経緯からも分かるように、ライカはミネルヴァに非常に懐いており、いつも引っ付いている。
「いえいえ、気にしないでください。自分のできることをやっただけですから。それより第4都市はどうでしたか?」
「えへへ。ミネルヴァ様~。町長のリシュ―さんにたくさん褒められたんだよ。『ライカ君は投げる剣の軌道が綺麗だね。』って。」
「それは良かったです。よしよし。ライカは本当に強い子ね。」
ライカはまるで子供が自分の手柄を母親に報告するようにミネルヴァに言った。反乱時は非常に大人びていた印象であったが、兄の足を引っ張らないように常に張りつめていたのだろう。ミネルヴァに甘えている妹の様子を見るランドルは安心すると同時に、妹に対する申し訳なさを感じた。
「ああ、ランドルとライカ。そこにいたのか。」
そこへテュールがやって来た。
もともと、二人が第1都市に戻ってきたのはテュールが呼び戻したからである。
「アークから手紙が来た。大至急出発する。準備をしろ。」
「えっアークお兄様から!?手紙を私にも見せてください!」
「イアンナ姉さんが持っているから姉さんに見せてもらえ。悪いがミネルヴァの相手をしている暇はない。時は一刻を争うんだ。」
アークからの手紙と聞いてミネルヴァが血相を変えて詰め寄るが、よほど急いでいるのかテュールはミネルヴァの方を見向きもせずに言った。
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一方、東辺境伯領に2か月近く留まっていたレオ軍はついに撤退を開始した。
雨がいつも以上に激しく降っている中、野営地なんかはそのままにして必要最小限の荷物しか持たずに移動を開始する。
来るときに草原だった平野は、今や一面湿原に変わっている。地面には大きな水たまりができており、ここ数か月の雨によって泥がこれでもかというほどにぐちゃぐちゃになってぬかるんでいた。馬が滑ってしまうと人間や馬が大怪我をしてしまうため、アークたちは徒歩での撤退になった。
半日ほど経過したとき、ふいに何かが聞こえてきた。
「ユリア。何か言ったか?」
「いえ、何も言ってません。」
雨音に混じってかすかに聞こえていたその音はしだいに大きくなる。耳を澄ましてみるとその音は人々の怒鳴り声に変わっていった。
アークが恐る恐る後ろを振り返ると、視界が悪い中でもわかる。数千人の兵士たちがレオ軍めがけて殺到してきていた。
「どうした?レオよ。戦う前に逃げ帰るなんてお前らしくないではないか。」
この湿原の中で悠々と馬を乗りこなして猛追してきたのは東辺境伯だ。彼は皮肉たっぷりにレオをからかった。
「ひゃひゃひゃ。待ちくたびれたぜ。やっと城から出てきてくれたのかよ。あまりに退屈で帰ろうとしていたんだ。少し楽しませろよ。」
レオの兵士たちが弓矢を構える。アークも慌てて弓を用意して構えて、、
メリメリメリ
木が裂けるような音がして弓が壊れた。木でできていた弓が長雨と湿気で腐っていたのだ。
アークは大急ぎで予備の弓を構えたが
パンッ
今度は弓の弦がはじけた。これまた水分によって糸が腐っていたのだ。
「ひゃひゃひゃ。機が熟したってことか。」
自分の弓も壊れてしまい、なぜこのタイミングで東辺境伯が戦いを挑んできたのかを理解したレオは大笑いしながら剣を抜いた。




