退避
「中央軍も崩壊を始めている、、、」
「敵は5千じゃなかったのか?他に伏兵がいるのだろうか。」
中央軍が総崩れになっているのを、アークが所属する右翼軍は茫然と見ていることしかできなかった。忠誠心に溢れ、戦闘経験が豊富な将軍であったら、中央軍に侵食している敵の背後に回り、挟み撃ちができたかもしれない。しかし、その様な能力のある将軍は右翼にはおらず、いたとしても所属がバラバラの兵士たちを動かすことは仕組み上できない。誰一人として中央軍の救援に行こうとするものはいなかった。
そうしているうちに中央軍の兵士たちが右翼に逃げてくる。敵は左翼から突入してきたので反対側の右翼に逃げるのは当然である。それに、まだ大軍が温存されている右翼に助けを求めるのも当たり前であろう。
しかし、約20万の兵士が逃げ込んでくるのはまずかった。明らかに人数が多すぎる。
「まずい、、敗走する兵士がこっちに来る!」
「おい!こっちに来るな!!」
右翼の兵士は必死に追い払おうとするが、そんなことで大軍を追い返すことができるはずもなく、右翼に敗残兵がなだれ込んできた。敵が来ていないにもかかわらず、たちまち大混乱に陥る。兵士たちは将棋倒しになり、人の波で馬も倒される。
貴族の中では末端だったため、一番端っこに配置されていたウォーデン軍にもその混乱が襲ってきた。アークは直ちに判断を下す。
「ユリア!撤退するぞ。」
「敵が来ていないのに撤退するんですか?」
「貴族たちがどんどん逃げ出している。俺たちが逃げてもそんなに目立たないだろう。それに、右翼の軍勢で敵を食い止められることができると思うのか?左翼も中央も負けたのに。」
「わかりました。渋滞に巻き込まれないうちに逃げましょう。」
他の貴族と同様にアークは王国のために命を捧げるつもりはない。初めから、逃げても問題にならない状況になったらさっさと逃げだすつもりだった。
ウォーデン軍は右翼の中で最初に撤退を開始した。配置が後ろだったのと、人数がわずか千人しかいなかったことから、比較的スムーズに戦場を離脱した。
撤退を開始しているアークのところへ情報収集に出かけていたユナから衝撃の連絡が入る。
「、、、アーク様。ハング様が逃げ遅れてる。」
「あの馬鹿。戦いが始まる前に離れておけと言ったのに!」
アークは吐き捨てるように言う。
ハングが逃げ遅れたということはウォーデン商会の商人たちも逃げ遅れていると言った方がいいだろう。こんな戦場に放り出された丸腰の商人なんか「襲ってください」と言っているようなものだ。売っている商品はもちろん、これまで稼いだ金まで略奪されるのではないか。命があればましかもしれない。
だから戦いの前に忠告したのだ。なのにどうしてハングは忠告を無視して、戦いが始まった後も避難せずに売り続けたのか。どうせ売れ残っている商品を売り切ってから逃げるつもりだったのだろう。もうちょっと、もうちょっとと欲をかいたに違いない。
「ユナ、何人か連れてハングの救出に行ってくれないか?ここから少し行った町で待ってる。」
「、、、分かった。」
アークはユナにハングの救出を命じた。商品は仕方がない、売上金は持てる分だけでいい。何とか命だけは救わなければならない。
ウォーデン軍は冒険者が結構いる。戦いは心配だが、人の救出や輸送についてはプロだ。腕利きに冒険者を何人か補佐につけてユナは馬を走らせて言った。
次の日、夜が明けて明るくなったばかりの早朝。ウォーデン軍が野営していた町にユナが戻った。ハングら数人の商人が馬に載せられている。皆目立った傷なんかはないが、ぐったりと疲れていた。休ませたいのはやまやまだが、アークはかなり怒っていた。
「、、、、、、戦いが始まる前に逃げろと言っただろう。」
「申し訳ない。まさかこんなに早く決着がつくとは思わなかったんだ。だってこっちは50万だぞ!?どうしてこんなに早く崩れるんだ!」
「そこも危機管理するのが商人だろうが!!」
ハングは逆に戦況に文句を言ったが、アークの一喝でうなだれる。
終わったことは終わったことだ。責任追及は後でゆっくりとやればいい。説教はこれくらいにして、とりあえず被害の報告を受ける。
「被害は?」
「売れ残りの商品はすべて捨ててきた。今の兵士は逃げるのに忙しくて略奪なんかはされなかったけど、どうせ足手まといになるしと思って。」
「それだけか?」
「ああ。それだけだよ。もともと利益は商人団に持って帰らせていて、俺たちは居残りで残り物を売っていただけだったんだから。」
「軽微で済んだか。」
ハングだってプロの商人だ。売れ残りを捌くにあたって、一応のリスク管理はしていたらしい。すなわち”奪われても惜しくない”程度にやっておいたのだ。それならば最悪の中でも最良の結果だと言っていいだろう。
「商品なんかどうでもいい。また仕入れればいいんだから。ハングたちは命を大切にしろ。欲張らずにさっと逃げることも覚えてくれ。」
「申し訳なかった。」
少し穏やかにまとめるとハングは素直に頭を下げた。
そこへ周辺地域の偵察に出ていたユナが報告に帰ってくる。ユナには情報に関しての役回りをいつも任せているが、毎回しっかりと役目を果たしてくれるため、アークは安心して自分のすべきことに専念することができる。
「、、、他の貴族の残兵がこの町を目指して来ています。」
「分かった。混乱に巻き込まれる前にミカンダへ帰ろう。」
やはり敗残兵というのは危険な存在だ。食べ物や地元に帰る手段がないものが多いため、凶暴になりやすく混乱を引き起こしてしまう可能性がある。なるべく彼らとは会わずに撤退するべきであろう。
「都かクライツ男爵領に寄って欲しい。」
ミカンダに帰ると言ったアークに対して、ハングが不安げにお願いした。彼ら商人の本拠地はクライツ男爵領の商人ギルドだからだ。
「都はダメだ。レオの軍勢が帰るか進軍を続けるかはわからないが。進軍を続けるとしたら都を目指すだろう。クライツ男爵領に寄っていこう。ああ、それで思い出した。ユナ!都にいるウォーデン商会の商人やウォーデン家の人間に退避を命じてくれ。」
「、、、わかった。」
政府軍が負けたとの報告が都に届けば都は大混乱であろう。商人のような力がない金持ちはどうなるかわからない。できれば噂より早く、ウォーデン家の人間や商会の商人を逃がさなければならない。
商人たちはクライツ男爵領に移送することにした。クライツ男爵領は旧ウォーデン領の隣、すなわち王国の西側にあるため、ここからミカンダに帰る道から見るとかなりの遠回りになるが仕方がない。とりあえず、争いに巻き込まれていない王国西部だから大丈夫であろう。だが王国全体の治安が悪化すれば、商人たちもミカンダに避難させるべきであろう。
アークは王国に忠義を持っていない。そのため、彼なりに冷静に王国の未来を分析することができたのだった。
一方で政府軍をさんざんに打ち破ったレオの軍は、道中の貴族領を荒らしまわりながら進撃を続け、アークがクライツ男爵領経由でミカンダに帰ってくる前日、王国の都ホリマスに無血入城した。




