旧領民たち(1)
第1都市の役場からはピアノの美しい音色が響いていた。忙しい公務の合間にミネルヴァがピアノを弾いているのである。先日まで第3都市からやって来たユナへ対応もしており、その仕事もひと段落したところであった。
「相変わらず綺麗な音色だ。まるで誰も存在しない深い森を満月の明かりが一面照らしているような落ち着いた曲だな。」
剣の訓練を終えて戻ってきたテュールが汗を拭きながら、ピアノの美しい音色にうっとりと目を閉じる。
「お兄様ったら独特な表現方法で褒めてくださるんですね。」
「音楽については全く学がないからな。浮かんできた光景をそのまま描写しただけだ。ただ、お前の音色が美しいことだけはわかる。」
「音楽を知らない人でも胸を打つような演奏をすることができる。これ以上の誉め言葉はございません。」
ミネルヴァは褒められたことを嬉しそうにしながらピアノを弾く。しかし、途中でピアノの音色の違和感を感じたのか演奏を中断してしまった。
「帰ってきそうですね。」
「ん?」
「ピアノを弾いているとなぜかわかることがあります。もうすぐアークお兄様が帰ってきますよ。早くお迎えの準備をしないと。」
小さい頃から人の気配に気づくことが多かったミネルヴァはアークが戻ってくることを直感で感じ取り、大急ぎで残った公務を片付け始める。
アークが帰ってきたのはちょうどミネルヴァたちの仕事が片付いた数時間後であった。
第2都市と第3都市、北部の海岸線を視察してまわったアークが数か月ぶりに帰ってきた。行くときは名前のついていなかったこの町も、今や第1都市という立派な名前がついている。
「兄さん、ミネルヴァ、ただいま戻った。」
「おかえり。まあ、無事でよかったな。イアンナ姉さんは?」
「まだ第3都市でやることがたくさん残っているから、しばらくは第3都市に留まると思う。」
「そうか。大変だな。」
「いろいろと無茶な要件をやってくれてありがとう。」
まずアークは、領主として勝手に決めたことに対応してくれたことに感謝をする。第2都市において税金を今年度は徴収しないと決定したり、第3都市を工業都市にして、第4都市を建設するというのは完全にアークの独断であった。
ミネルヴァは口をとがらせて一言文句を言う。
「そうですよ。いくらハングさんたちウォーデン商会が全面的に協力してくれるからといって、無限にお金を持っているわけじゃないんですからね!あんなに無茶なお願いをして!!」
「まあ、無茶ってほどじゃなかったけれど。」
「確かに、大会の開催などによって腕がいい職人や技術者を大量に雇って来いと言ったり、今度は港をつくるから大量に機材と船を買ってくれと言ったりしているが、無茶ってほどじゃないよな。」
「すみませんとても無茶なお願いを聞いてもらってありがとうございます。」
テュールの皮肉がこもった言葉にアークは頭を下げるしかない。
国内有数の商人であるウォーデン家だったからできたことであって、普通の貴族どころか国王ですらこんな大規模な改革を即決できないだろう。大量の金と人材が必要であるが、自分が大商人でもあった幸運に感謝だ。
「協会のハングにもお礼を言っておいてくださいね。」
ミネルヴァはそう言うと立ち上がり、部屋の扉を開けた。
「皆さん、お兄様に会えることを楽しみにしていましたよ。」
「みんなって?」
「旧ウォーデン領からきた皆さんです。1週間前にようやく到着して、今は迎賓館にお泊りになられています。」
「やっと来たか!」
アークは興奮して言った。
旧ウォーデン領にユリアを連れて訪れてから半年ほど経った。商人たちにウォーデン家の領地が移ったことを伝え、その噂を広めてほしいと頼んだが、はたしてどれくらいの人々がこの地方に来てくれたのであろうか。
旧ウォーデン領とミカンダ地方を比べると、人口や規模の大きさ、周辺の諸都市とのアクセスなど大きく劣ってしまうが、それでもウォーデン家に引き続き仕えたいと思ってはるばるやって来てくれるのはとても嬉しい。しかしその反面、ミカンダ地方が余りにも田舎すぎることから、わざわざ来てくれた人々を失望させるのではないかと不安な面もあった。
「さっそく迎賓館へ行ってみよう」
アークは久しぶりに会う人々が待つ迎賓館へと足を向けた。




