第82話 戦の準備
王城の廊下を歩く男――ヴァルドは口元に笑みを浮かべていた。
通りかかる兵士や使用人達がギョッとした顔をして、ヴァルドの顔を二度見している。ヴァルドの立場は宮廷魔術師だ。エイシス王に仕える魔術師の頂点たるその地位は王城に居る者の中でも上位に位置する。兵士や使用人の立場からすれば、本来ならば頭を下げて通り去るのを待たなければならない。しかし、普段は貼り付けたような笑みを作っているだけのヴァルドが機嫌良さそうにしているという異常事態に、そのことを忘れていた。
――ようやくです。ようやく……。
ヴァルドが更に笑みを深める。――と、同時に、通りかかった侍女が「ひっ」と息を飲んだ。
それに気付かず、ヴァルドは急ぎ足で自室に戻った。
「随分機嫌が良いようだな」
自室に戻り、扉を閉めると同時に、フードを目深く被った男が声をかけた。
「メイザース殿。分かりますか?」
メイザースが急に姿を現したことに対する驚きはヴァルドには無い。というよりも、それどころでは無いのだろう。
「それだけ歪な笑みを浮かべて居ればな」
「歪な、とは失礼ですね」
周囲の者を怯えさせているのだから、十分歪だろうに。と思いつつも、メイザースは言葉を返すのを止めた。わざわざ話を広げて、ヴァルドとの会話を長引かせる必要も無い。
「アルシールへの侵攻がそれほど楽しみか」
「勿論ではありませんか。ようやく私達の大願が叶うのですよ?」
ヴァルドの声は浮ついていた。
先程、エイシス王からヴァルドに命が下った。アルシールに侵攻せよ、と。もっとも、王命などヴァルドにとってはどうでも良いことだ。そもそも、その王命を下すように指示を出したのがヴァルドとメイザースなのだ。
エイシス王は現在、スバルと同じようにメイザースの精神支配の術中にある。すべてはヴァルドとメイザースの意のままだ。故に、ヴァルドにとって価値があるのは王命ではなく、その中身。アルシールへ侵攻出来るという事実の方だ。
「ですが、ふりとはいえ、あの御方以外の者に膝をつくのは不快でしかありませんでしたよ」
その時のことを思い出したのか、ヴァルドが不快気に眉を顰めた。立場的にはヴァルドは王に仕える身の上だ。王の前に出れば、やはり膝を折り、頭を垂れなければならなかった。――というのも、エイシス王は精神支配の影響下にあるが、それ以外の者はそうではないからだ。
メイザースの精神支配とて無制限というわけではない。特に、今はスバルにその大半を費やしていることもあって、大人数相手に使用することは出来なかった。そのため、エイシス王を除く他の者――特に王城に居る者には一応かけたものの、その効果はほんの僅かにしか得られなかった。
具体的には、多少判断力が低下する程度の効果で、強い違和感を感じさせると効果が切れてしまうのだ。宮廷魔術師が王に命令している様子がどの程度の違和感を感じさせるか分からないが、違和感の塊なのは間違いない。わざわざ効果が切れるかどうかを試す理由も無いので、表向きはヴァルドがエイシス王に従っている風に装っていた。
しかし、それと分かっていても、仕えるべき主でも無く、むしろ見下している相手に頭を垂れるのは、思った以上に苦痛だったらしい。その一点については、メイザースにも共感できた。メイザース自身も、例え演技だろうと下等な種に敬語を使うことは思った以上に苦痛であり、許容できなかったからだ。
もっとも、だからといってヴァルド相手にそんなことを斟酌するつもりは毛頭無かった。
「大願のためだ。その程度のこと、些事だろう」
「……ええ。理解しておりますよ」
苦々しげな顔をしながらも、メイザースの言葉が正しいと不満を飲み込んだ。
「ところで、キメラの方はどれほどで用意出来ますか?」
「数が多いからな。それなりに時間がかかる」
「そうですか。兵の準備や転移のための魔力を溜める必要もありますし、実際に動くのはまだ先になりそうですね」
侵攻計画は既に決まっている。
まず、兵とキメラを半数ずつに分け、一方は残し、もう一方は更に二分して南北の国境から進軍させる。アルシール側がこれに応じて動いたのを確認してから、残りの半数をアルシールの王都近くに転移させ、一気に王都を襲うというものだ。この“転移”は、メイザースが持ち込んだ道具によるもので、ヴァルドも知らない技術によって作られている。以前ヴァルドとスバルがアルシールの王都に潜入した時やユウト達の前に現れた時、またそれらから去る時に姿を消したのも、“転移”によるものだった。
そんな未知の技術で作られた“転移”に対抗する手段を、アルシールが備えをしている筈も無い。故に、この奇襲は間違いなく成功するという確信を持っていた。だが、そうであるにもかかわらず、陽動として半数を南北の国境に進軍させるのは、更に万全を期するためだ。
王都への強襲というだけならば、転移だけで問題は無い。しかし、ヴァルドの目的は王都への侵攻ではなく、その奥――聖櫃にある。近衛騎士の妨害で聖櫃に辿り着けないという事態を避けるために、近衛騎士を一人でも多く王都から遠ざけるのは絶対に必要なことだった。
キメラと兵の混成軍に国境を越えさせれば、かなりの人数の近衛騎士を引きずり出せる。キメラの力はセインが既に知っている。なればこそ、アルシールはその判断を下さざるを得ない。それでも多少の近衛騎士は王都に残るだろうが、王都を戦場にすれば残りの近衛騎士もその対応に駆り出される事になる。
そこまでしても、エイシスがアルシールに勝てる確証は無い。近衛騎士――特に第十席までは、まさに化け物揃いで、数人残っているだけで戦況が一変しかねないのだ。
だが、それで良い。それだけ追い込めれば、ほぼ間違いなく聖櫃までの道は開けている。結果としてエイシスが負けようが、兵がどれだけ死のうが、ヴァルドには何の興味も無い。最終的に聖櫃に辿り着きさえすれば、勝ちなのだから。
「……そうだな」
そんな自信に満ちたヴァルドとは対照的に、メイザースの返事は暗い。何か気がかりがあるような態度だった。
「おや。何か心配ごとでも?」
「いや……。何でもない。キメラの方は用意をしておく、そちらも抜かりの無いようにな」
「無論です」
ヴァルドの返事と同時に、メイザースが姿を消す。――と、ヴァルドが肩を震わせ始めた。
「……っく。ははっ、あははははっ」
やがて、耐え切れなくなったとばかりに声をあげて笑い出した。メイザースが居なくなり、今はもう部屋の中に誰も居ない。我慢する必要は無くなった。
「ようやくだっ! ようやく叶うっ!」
ヴァルドがエイシスの宮廷魔術師になって数年。大願を抱いてからなら最早二十年近い。それだけの時間、ずっとこの時を待ち侘びていたのだ。もっとも、これでも予想していたより遥かに早かった。長い時間がかかることは最初から分かっていたし、場合によっては、生きているうちには叶わないかもしれないとも考えていた。だが、メイザースの参加によってもたらされた未知の知識や技術によって、その進度は飛躍的に早まった。だからといって、その喜びの大きさは変わらない。
ヴァルドは喜びを抑える事が出来ずに、暫くの間声を漏らして笑い続けた。
一方、メイザースはアルシールの南東、エリス達の故郷である村の近くに移動していた。
「……この辺りだな」
そこは、スバルがユウトを刺した場所だ。ヴァルドの報告では、ユウトは死んでいるはず、とのことだったが、メイザースはどうにもそれが気にかかっていた。ユウトの生死もそうだが、ユウト自身のこともだ。
ヴァルドは知らないことだが、スバル程の魔力量を持つ人間がこの世界に存在しているはずがないのだ。なら、スバルと同程度の魔力を有するユウトは何者なのか。
それを聞いた当初から、頭の中にある可能性が浮かんでいた。しかし、それは無いと除外し、もう死んでいるのだからと気にしないようにしていた。――していたのだが、アルシールへの侵攻が近づいた今になって、そのことが頭をちらつくようになった。
だから、ユウトの生死を改めて確かめに来ていた。
アルシールの兵達が処理をしたため、戦場跡には痕跡らしいものは残っていなかった。元より、ここに何かがあるとは期待していない。目的は、ユウトも暮らしていたという村だ。
村に着いたメイザースは、ある物を探して村中を歩き回る。
村の中に人気は無い。一時は兵達の駐屯地代わりにもなっていたが、村人が全員避難することになったため、その後暫くして、より防衛に向いたガロに移っている。おかげで、面倒事を避けて自由に行動できる。しかし――。
「無い、か……」
一通り歩き回ったが、目的の物は見つからなかった。
この村は、短い期間とはいえユウトが生活していた場所で、親しい者も多い。メイザースが調べた限りでは、そのはずだ。ならば、墓の一つでもあるのではないか、と考えたのだ。しかし、墓地らしき場所にも、他の場所にも、ユウトの墓と思わしき物は無かった。ただ単に、ここに埋葬されていないというだけならば良いのだが、別の可能性もある。
ヴァルドの話では剣で腹部を刺され、致死量に達し得る出血を伴う深手を負っていたという。その話が事実なら、治癒術でも手遅れで、死んでいるはずだという判断は正しい。メイザースでもそう判断する。
死んでいる可能性の方が高いのだ。だが、死体が確認出来ていない。墓が無い。そんな些細なことが気になって仕方がなかった。メイザースの直感が、死んでいる筈で済ませてはいけないと告げていた。
「これ以上、ここで調べても無意味だな」
そう独りごちた。墓以外にもユウトの死亡と結びつきそうな何か――例えば遺品の類などが無いかとも考えたが、やはりそういったものは無かった。
次いで、想像する。仮に生きているとして、どうやって生き長らえたのか。
例えば、異常なほど身体が頑丈だった。例えば、見た目ほど傷が深くなかった。例えば――常識では考えられない圧倒的な魔力を持つ何者かが治癒術を施した、とか。
「……蜥蜴共に、選ばれたか?」
その可能性は、ある。メイザースにとっては目障りでしかない竜達は、自身の目的のために優れた才能の持ち主を利用する。ユウトが膨大な魔力を持つという特異性を考慮すれば、或いは。
「この近くならば地か風――いや、地であれば大森林に変化が起きているか。ならば風か……?」
ここから一番近いのは大森林に居る地の始祖竜だが、遥か太古に大森林の守護のために一度だけ出てきただけで、以後は沈黙を保っている。風の始祖竜も、あまり表立って動いている様子は無かったはずだが、地よりは可能性がある。
何にせよ、仮にいずれかの始祖竜が裏で手を引いているのであれば、より厄介なことになっているのは間違いない。
「少々面倒だが、仕方があるまい」
気がかりを失くすために来た筈だったのだが、逆に確認すべきことが増えてしまった。ユウトの生死に加えて、仮に生きているのであればユウトが何者で、始祖竜の手引きがあるか否かを。
――いっそ死んでいれば楽で良いのだがな……。
胸中で溜め息を吐きながら、メイザースは姿を消した。
エイシス側が慌しく動き始める中、アルシールもただ手をこまねいているだけでは無かった。エイシスの――ヴァルド達の狙いを察していたアルシール王レオンハルトは既に手を打ち始めていた。
「ジェイクから返事があったらしいな。どうであった?」
「はい。最悪の事態にはなっていないようですが――」
アルシール国内のギルド長であるジェイクから受けとった報告書を片手に、シグルドが読み上げる。ここはレオンハルトがシグルドと内密に話をするために使う書庫であり、中に居るのは当然レオンハルトとシグルドの二人だけだった。
シグルドが報告書を読み上げ終わると、神妙な様子で聞いていたレオンハルトが息を吐いた。
「そうか。良かった……と言って良いものか迷うが、最悪の事態を避けられたのは僥倖か」
「そう思います」
以前、レオンハルトはジェイクにある依頼をした。シグルドが読み上げたのはその報告だった。
依頼の内容は、エイシスの住民が正常かどうか調べて欲しい、というものだ。レオンハルトは、ヴァルドが魔物を操っていたというセインからの報告を受けて、それ以外の存在――言ってしまえば、人間すらも操れるのではないかと危惧した。それを確かめるための依頼だった。
結論から言って、その危惧は当たっている可能性が極めて高かった。
報告には、エイシス王及び、王城に勤める兵や使用人らにはおかしな点が見られるとあった。具体的には、ヴァルドが宮廷魔術師になって以降、王が急にアルシールへの戦争を口にするようになった。元々関係は良くなかったものの、戦争に踏み切ろうとする様子は無かったのが、突然だ。しかも、止めるべき周囲の人間が揃ってそれに迎合していた。
単なる心変わりと言われればそこまでだが、それにしても突然すぎた。その情報をジェイクにもたらしたエイシスのギルド長も、違和感を持っていたらしいのだが、ヴァルドに関する情報を受けて、その可能性は十分にあると言っていた。
王を操られているという時点でかなりの大事ではあるのだが、そのエイシスのギルド長をはじめ、住民は無事だったという意味では、最悪の事態では無かった。少なくとも、エイシスの住民すべてがヴァルドの言いなりという事態にはなっていない。
「だが、兵や大臣はほぼ言いなり。戦は避けられまい」
「それでも、民を相手に剣を向ける必要が無いだけで、私としましては胸を撫で下ろす思いです」
「そうだな。敵国とはいえ戦場に立ったことも無い民草を殺せとは、私も命じたくは無い」
レオンハルトが最も恐れていたのはそれだ。民すらも言いなりになっていた場合、それこそ、エイシスの民全てを敵にしなければならない可能性があった。幾ら数がいようと、訓練を受けても居ない者が相手では脅威にはならない。しかし、そんな相手を何万と殺さなければならないとなれば、兵の士気はがた落ちだろう。相手が向かってくるからと言っても、それは最早戦争ではなく虐殺に等しい。
そんな最悪の未来を避けることは出来たが、それとは別の最悪の未来を避ける必要もある。
「ヴァルドの狙いが聖櫃にあるとして、問題はどう護るかだが。……以前にも聞いたな。どのように攻めてくると思う?」
「おそらくは、陽動と奇襲かと思われます」
王都には近衛騎士が居る。一度近衛騎士に迎撃されている以上、ヴァルドが近衛騎士をそのままにしておくはずも無い。どうにかして、王都から遠ざけようとするはずだ。そして、手薄になった王都への奇襲。
それがシグルドの予想だった。
「一番良いのは陽動に引っかからないことだが……」
「それは難しいでしょう」
シグルドが断言する。
陽動は陽動と分かってさえいれば無視すれば良い。だが、わざわざ近衛騎士候補だったユウトを襲うほど相手は徹底しているのだ。無視すれば済むような中途半端な手段を採ってくるとは思えない。そして、陽動と分かっていても無視出来ないような手段は幾つか考えられる。
それを聞いて、レオンハルトは「ふむ」と考え込むようにしたが、すぐに決断する。
「ならば、陽動に引っかかって尚、撃退出来るだけの戦力が必要だな」
「やはり以前仰っていたことを……?」
意を決した様子の主君を前に、シグルドが伺いを立てる。以前、エイシスの侵略を予想した時点で、その対応策については話し合っていた。不安要素は幾つかあったが、状況的にも戦力的にも妥当な策であることは二人ともが納得していることだった。
「実行する。また、ジェイクには借りを作ることになりそうだな」
そう苦笑したレオンハルトだったが、その行動は早かった。
エイシスが動き出してから時間をおかず、アルシールもエイシスに対処するために動き出した。




