第33話 ウェントーリ大山脈中腹その一
「どう思う?」
「どうって……」
「言われても……」
ギルツの曖昧な問いに、ユウトとソフィアが顔を見合わせた。
ウェントーリ大山脈に足を踏み入れてから随分時間が経ち、三人は現在四合目ほどまで登っていた。
当初は高ランクの魔物との激戦を予想していたのだが、予想に反し、今まで一度も魔物との戦闘にはならなかった。ギルツの問いはそのことについてのものだ。
魔物が全く居ないというのであれば、居ないことについての疑問は残るとしても、戦闘にならないことについては納得できる。しかし、ユウトとソフィアの“探査”は間違いなく魔物の存在を感知していた。そうであるにもかかわらず、魔物が全く近寄って来ない。しまいにはユウト達から距離を取る魔物すら居るほどだった。
今までに経験したことも聞いたことも無い魔物の反応に、ユウト達が戸惑いを覚えるのは仕方が無いことだった。
「なんというか……民衆に見られながら断頭台に送られる罪人?」
「為政者に送られる貢物?」
「……どちらにしても嫌な未来しか待ってないな」
二人の答えを聞いて、ギルツがげっそりとした表情を浮かべた。
魔物と戦闘になれば時間は取られるし、疲労もする。場合によっては負傷したり、死ぬ可能性もあるのだから、極力戦闘が避けられるのならばそれに越したことは無い。しかし、ここまで露骨に魔物に避けられると逆に不安になる。特に今までに無い特殊な反応となれば、何か裏があるようにしか思えず、余計に不安を煽られた。
「……考えるだけ無駄か。この場は余計な戦闘が避けられて幸運だと思っておこう」
「そうだなぁ。まぁ、幸運だと思ったらもの凄い落とし穴だったとか良くある――ってギルツさんや、そんな本気で嫌そうな顔しないで下さいな」
「なら嫌そうな顔になることを言うなよ」
「ここまできたら、いっそネタにした方が笑い話になるかな、と」
「笑えるのはお前の斜め上にぶっとんだ感性だ。阿呆なことを考えんな、そんで口に出すな」
「イエッサー」
「ふふ……」
この場にそぐわない気の抜けたやり取りにソフィアが笑みを漏らした。
危険な場所に居るという自覚が無いような二人のやり取りだが、それが少しでも緊張を解し、空気が重くならないようにしている二人の気遣いなのだいうことはソフィアも分かっていた。実際二人はふざけながらも周囲に気を配っており、いつでも動けるようにしていた。
そんな三人をよそに、彼女はその様子を困ったような表情で見ていた。
「これは少し予想外っすね……まさか全く近寄って来ないなんて思わなかったっす。思った以上に上下関係が身に染みてるってことっすかねぇ。まぁ、悪い気はしないっすけど、ちょっと困ったことになったっす……」
むむむ、と腕を組んで唸る。
しばらくそうしていると、今度は良いアイデアを思いついたとばかりに表情を明るくした。
「そうっす! 来ないなら、行かせれば良いだけじゃないっすか。えーっと……」
何かを探すような仕草を何度か繰り返したところで、動きを止めた。
「これくらいなら丁度良いっすね。進行方向に居るのも点数高いっす」
嬉々としてそう言うと、女性はその姿を消した。
突然ユウトがピクリと体を揺らした。
「どうしたの?」
それに目敏く気付いたソフィアが聞くと、一瞬躊躇いを見せてから口を開いた。
「……山の麓辺りからずっと視線のようなものを感じてたんだけど、それが今突然消えた」
「それって……」
「何者かがずっと俺達を見てたって? ……まさか」
ユウトの言葉に二人が納得いかないといった表情を浮かべた。ここは竜の支配する地、ウェントーリ大山脈の中だ。仮にそんな者が居たとして、どんな目的にせよ、大山脈の中にまでついて来るなど正気の沙汰では無い。
「俺も気のせいか、魔物の視線かと思ってたから黙っていたんだ。気をつけていたけど周囲に誰も居ないし、“探査”にもそれらしいのは引っかからなかったからな。だけど、今感じていた視線が消えたことではっきりした。気のせいじゃないし、魔物の視線でもない。……意思ある何者かの視線だ」
そう断言されて、ギルツとソフィアが黙り込んだ。
普通に考えれば有り得ないことだが、ユウトが嘘をつく理由は無いし、勘違いと断じることも出来ない。
既に五合目になろうとしている山道を、麓からずっとユウト達に気付かれずに視線を向け続け、今突然それが消えた。これが事実なら、そんなことがまともな人間に出来るわけがない。だからこそ、ユウトも意思ある何者かと言ったのだが、そうなると相手の正体や目的が分からないのは危険だ。
近づいて来ない魔物といい、何者かの視線といい、予想外のことが同時に起こりユウト達の不安が強くなる。
そして、ユウト達を畳み掛けるように事態が動く。
「魔物が向かって来ているわ。数は三体よ」
そう声をあげたソフィアに数瞬遅れて、ユウトの“探査”も向かってくる魔物を捉えた。
「ようやくらしい反応をしたと喜ぶべきなのか、今更普通の反応するなよと嘆くべきか……ともあれ、来る以上は迎え撃つぞ」
複雑そうな表情を浮かべたギルツが、気を引き締めて盾を構える。
「了解」
「わかったわ」
ユウトとソフィアもそれぞれ槍と杖を構え、戦闘準備を整える。
しばらくすると、三体の魔物の姿が見えた。
そのうちの一体は二メートルを超える大きさの怪鳥だった。黒い翼と蛇のような尻尾に毒々しい紫のトサカをもつ鶏のような姿をしているコカトリスと言うCランクの魔物だ。その身体能力もさることながら、毒々しいトサカが示す通り口から毒を吐き出すことで知られる厄介な魔物だ。
残りの二体はコカトリスより二回りほど小さな、アックスビークと呼ばれるDランクの魔物だった。名前の通り斧のような形状をした大きな嘴を持ち、首や胴体、足と全体的に短く、ずんぐりとした体をしている。筋肉が発達した太い足と反比例するように翼は小さく退行している。体毛は黄色いが、尾羽だけは青や赤など複数の色が混じっている。
「嬢ちゃん、コカトリスだけ分断してくれ! ユウトはコカトリスを、俺は残りを相手する」
相手が分かったところで、ギルツが指示を出した。
三対三で戦うことも出来るが、乱戦になるとコカトリスの毒を受ける可能性が高くなる。解毒薬は用意してあるが、すぐに使用できるとは限らない。少なくともその戦闘中は毒を受けた状態で戦うことを考慮すべきだ。
そして毒を受ければ普段のように動くことは難しく、そのまま押し切られるおそれもあるため、当たり前だが毒を受けないのが一番良い。
そうなると、動きが早く毒を受け難いユウトがコカトリスと一対一で戦うのが最も確実だ。それに一対一と言っても、ソフィアが後方で二人の援護を行なうため、実際は一対一よりも遥かに優位に戦える。
「左右に分けるわ! “アイシクル”」
ギルツの指示を受けて、即座にソフィアが動いた。
幸運にも魔物はコカトリスとアックスビークで左右に分かれている。魔物の足元に氷柱を生み出して両者の距離を離しながら、中間点に連なるように氷柱が突き立ちコカトリスとアックスビークを分断する壁となった。
魔術の発動とほぼ同時に走り出したユウトとギルツは、それぞれ左右に別れて自分の担当する魔物に向かう。
ギルツは二体のアックスビークの前に立ちふさがり、踏ん張るように足を広げ、盾を前に構えた。
どっしりと構えたギルツに対し、ユウトは足を止めることなくコカトリスに突っ込んでいく。足元から突き出た氷柱を避けたことで体勢が整っていないコカトリスの頭部を狙って槍を突き出す。
しかし、コカトリスは首を揺らすことで頭部をずらして突きを避けた。首を揺らしたことで、槍が外れることを悟ったユウトは、即座に軌道変更に動き出す。一度空を切った槍を強引に動かし、横にずれた頭部を追って、突きから薙ぎに軌道を変える。
だがコカトリスは首をすくませるような動きで急な軌道変更に対応し、ユウトの槍は再度空を切った。
槍を避けたコカトリスは、嘴を大きく開いて息を吸い込むような動作をして、喉奥にある毒袋を膨らませた。大きく膨らんだ毒袋は外から分かるほどに喉を押し上げ、その存在を主張する。
膨らんだ毒袋に気付いたユウトは、即座に後ろに跳んで距離を取った。
――流石にこのクラスの魔物は簡単にはやれないか。
二度の攻撃を避けられたことは特に意外なことでは無かった。Cランク以上の魔物はその身体能力の高さや特殊な体質だけでなく、妙な知恵をつけている場合が多い。真正面からの攻撃では、それこそ魔物が反応できないほどの速さでも無い限り有効打は期待できない。
とりあえず様子を見ようと、改めてコカトリスを観察しようとして、目を瞠った。
――何っ!?
心の中で驚愕の声をあげながら、槍を斜めに構える。――と、間髪入れずに構えた槍に衝撃が加わった。
「ぐっ……」
姿勢を低くし、頭からぶつかってきたコカトリスの巨体に槍が軋み、声が漏れる。
「じゃ……ま、だぁ!」
ユウトは歯を食いしばり、コカトリスを力任せに弾き返した。
地面を滑るように後退したコカトリスが血走った目をユウトに向ける。
――なんだコイツ……? 怒ってる? いや、それにしては……
コカトリスの異常な様子にユウトが戸惑う。
初手の奇襲を避けられはしたが、奇襲自体は成功した。あれだけやれば慎重になるのが普通だが、慎重になるどころか即座に反撃してきた。それがこちらの意図を挫こうとしたものであれば分かるが、明らかにそうではない。
奇襲のことなど端から頭に無く、ただ目の前の邪魔者を排除することしか考えていない。ユウトはコカトリスの血走った目からそのような印象を受けていた。
それと同時に、何故こんな状態になっているのか理解出来なかった。
「グケェェェェェッ!」
喉が嗄れた鶏のような耳障りな鳴き声をあげながら、コカトリスがユウトに向かって走り出す。すると喉が膨れ上がり、口から毒の霧を吐き出し始めた。
自身に毒の耐性があるのを良いことに、コカトリスが毒の霧を吐き散らしながら、毒霧の中を走る。
――厄介だな。
忌々しげに舌打ちをして、毒霧に姿を隠したコカトリスの陰を睨む。
ユウトは接近戦しか出来ないため、コカトリスの周囲に毒霧が蔓延した状態では攻撃することが出来ない。
最悪コカトリスの毒袋に貯蓄された毒が尽きるまで鬼ごっこをすることになるのではないかという想像が頭をよぎった時、不自然な風の流れを感じた。
――これは……ありがたい。
その意味をすぐに察したユウトが微かに笑うと、コカトリスから大きく距離を取った。
ユウトが離れると、コカトリスの周囲で風が大きく動き始めた。
“サイクロン”――ソフィアの放った風の魔術は、コカトリスを閉じ込めるようにして竜巻を生み出し、その動きを封じながら全身に鎌鼬が走る。鎌鼬はコカトリスの全身に鋭利な刃物で切り裂いたような切り傷を無数に刻み付ける。
コカトリスの巨体相手では、如何に数を稼ごうと小さな切り傷では大きなダメージは期待できない。しかし、ソフィアの狙い通り、強風が周囲に漂っていたコカトリスの毒霧を全て吹き払った。
ソフィアの意図に気付いていたユウトは、毒霧が無くなったのと同時にコカトリスに接近する。
ユウトの動きが見えていたコカトリスだが、その身を封じる竜巻は勢いこそ落ちたものの完全には消え去っていない。身動ぎ程度しか出来ない今の状態でユウトの攻撃を完全に避けることは叶わなかった。
コカトリスの首目掛けて振られた槍を避け切れず、喉を槍の穂先が深く抉っていった。
一撃で仕留めることは出来なかったが、元よりそのつもりも無い。
喉奥にある毒袋を使い物にならないように出来れば良いと考えていたユウトの目論見は成功し、毒袋に届いた穂先がそれを切り裂いたことで、毒霧を使えなくなった。
毒袋と同時に深く抉られた喉から血が滴り落ちる。致命傷とまではいかないが、決して軽くは無い傷だ。通常なら戦意を失ってもおかしくない。
しかし、コカトリスは戦意を失うどころか、より漲らせて血走った目に力が篭る。
幾らなんでもこの反応は異常だと、ユウトにこれ以上の戦闘を躊躇わせる。
――そんなこと言ってる場合じゃないか……
ユウトの思惑に反し、コカトリスは狂ったようにガムシャラに暴れながらユウト目掛けて突っ込んでくる。
恐怖を覚えず、痛みを厭わない相手は厄介だ。斬ろうが突こうが足を止めること無く襲ってくるのだから。
故に、、止めるための手段は一つ。
――一撃で息の根を止める。
ユウトが鋭い視線をコカトリスに向け、先程抉った首筋で固定される。
一度深く抉られた首筋は、コカトリスが暴れたせいか出血が目に見えて激しくなっている。おそらくこのまま放っておいても、しばらくすれば出血で死に至るだろう。
しかし、いつになるか分からない自滅をゆっくりと待っている理由も無い。
息を大きく吸って、吐いて、吸って――息を止め、コカトリスとの距離を詰める。
標的が接近してきたことで、コカトリスが咄嗟に鋭い嘴を突き出した。それを石突で下から叩き上げて、首を引っこ抜く勢いで顔を上方に弾き飛ばす。嘴を叩かれ、頭部が揺れたコカトリスは、ほんの一時動きを止めた。
動きが止まり、さらに顔を跳ね上げられたことで露出した首の傷口をなぞるように穂先を通す。僅かな抵抗を感じながら、槍を振り抜くとボトッという重い音をさせて、コカトリスの頭部が落ちる。一拍遅れて、首を失った胴体が力を失い、崩れるように倒れた。
胴から離れ、地面に落ちてもなお血走った目をユウトに向けるコカトリスの頭部を見て、眉間にしわを寄せる。
――何故ここまで……
死を恐れず痛みを厭わず、がむしゃらなまでに襲い掛かってくるコカトリスの様子を思い出して背筋が震えた。
致命傷を負った魔物がなんとしても生きようと、必死に向かってくることはある。しかし、今のコカトリスは初めからそうだった。まるで今ここに居ることに命の危険があるかのように。
一抹の不安を残しながら今はそれを忘れるように、未だ戦っているギルツの方に意識を向けた。




