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第1話 プティ人形と女子高生④

 つい一時間前に通った通学路を、那桜は全速力で引き返していた。すぐに後続の電車で追いかけたかったのだが、回送電車の通過やら緊急の安全確認やらで思った以上に時間がかかってしまったのだ。息を切らしながら走り続け、ようやく高校が見えてきたと思ったら、正門の前に人だかりが出来ていた。

「下がって、下がって!危ないので、絶対に入らないでください!」

 男性教師が門の前に立ち、大声で呼びかけている。

「急に外に出てって言われたけど、何があったの?」

「なんか生徒が暴れてるらしいよ。しかも二年生の女子…信じられる?」

「違うよ、熊が出たんだって!俺見たもん。でかい毛むくじゃらの獣!」

 正門近くにいた生徒たちから、様々な情報が飛び交う。それを聞いて那桜は思った。それはたぶん熊ではない。昨日見た爆厨リモノと、黒い影を背負う和葉の姿が重なる…。

 群衆にもまれながら校舎に目を凝らすが、状況が全く分からない。どうにか校舎に入れないかと考えるうちに、校舎裏に足を引っかけてよじ登れそうな柵があることを思い出した。那桜は群衆から抜け出し、再び走り出した。


 黒い靄をまとった獣のような化け物…爆厨リモノは、唸り声を上げながらゆっくりと咲彩に近づき、首を掴んだ。じわりじわりとその腕に力が込められていく。咲彩はあまりの恐怖に抵抗できず、意識が遠のくにつれて力が抜けていくのが分かった。

「う…うぅ…」

 もうダメと思ったその時、咲彩の手元にビュンっと風が通り抜けた感覚がした。

「お前が欲しいのは、これかい?」

 教室のドアの所からそう声をかけたのは、大路だった。その手にはさっきまで咲彩のスクールバッグにぶら下がっていたプティ人形が握られていた。

「欲しいならついてきな」

 大路は爆厨リモノにプティを見せつけ挑発した。ターゲットが咲彩から大路に移り、爆厨リモノは咲彩から手を離した。床に倒れこんだ咲彩が咳き込み、彼女に意識があることを確認した大路は、すぐに廊下を駆け出した。爆厨リモノは雄たけびを上げ、後を追いかける。


「雨音さん、俺だけじゃ、ちょいしんどいかも」

 すでに生徒たちの避難が完了している無人の廊下を駆けながら、大路はワイヤレスイヤホンに手を当て、通話先の雨音に呼びかけた。どうにかターゲットを切り離すことが出来たが、これまでに無い妖力を放つ相手に、大路は正直なところ勝算が立てられずにいた。

「昨日言った通りになっちまったな。一般人ほぼ全員に見えるくらい実体化してやがる」

「まったくじゃ。我も今向かっておる。じゃが…」

 雨音の後ろから「お嬢ちゃーん、お母さんに電話つながったかな?」と声が聞こえた。

「足止めを食らっておる。すまぬがもう少し耐え忍んでくれ」

 どうやら幼女姿で街を一人歩いていて、迷子に勘違いされているようだった。

「大人姿に変化(へんげ)してくれば良かったじゃねえか」

「戦いの前に体力を温存しておきたかったのじゃ。直に終わるが故、頼んだぞ」

 そこで通話は途切れた。大路の後方からは、爆厨リモノの唸り声と、壁やらなにやらが破壊される音が交互に響いていた。

「…やるしかねぇよな」

 そう言いながら大路がたどり着いたのは体育館。壇上の真正面で立ち止まり振り向くと、脇に差していた十手を抜いた。追いついた爆厨リモノと対峙する。

「今度のボーナス、期待してますよ。所長」


「なに…これ…」

 学校の敷地内に侵入し、校舎に入った那桜は愕然とした。割れた窓ガラス、壁や床、天井にまで、無数に空けられた穴…。獣が通ったというより、爆弾や大砲でも打ち込まれたんじゃないかというような惨状だった。よく知っている場所が故に、変わり果てた光景にショックを隠し切れなかった。僅かに体が震える。那桜はごくっと息を飲むと、不意にドンッ!と、大きな物音がした。体育館のほうだ。那桜は震える手を握りしめ、再び駆け出した。


 粗い息を上げながら凄まじい力で飛んでくる拳を、十手で払いながら大路は隙を伺う。が、スピードも凄い。やはり正面からの反撃は難しそうだ…。じりじりと押されるなか、足元にバスケットボールが転がっているのが見えた。一か八か、大路はそのボールを蹴飛ばした。ボールは見当違いの方向に飛んでいったかと思われたが、壁に跳ね返って爆厨リモノの側頭部に当たった。それ自体に大したダメージは無かったが、爆厨リモノの気は逸れ、顔はボールのほうを向いた。

「隙あり!」

 大路は爆厨リモノの頭部を十手で思いきり突いた。後ろに吹き飛び、爆厨リモノは倒れこんだ。

「いけるっ…」

 大路は懐から札を取り出した。これを爆厨リモノの体に貼り付けば倒せる。大路が一歩前に踏み出そうとしたその時、

「和葉!」

 体育館の入り口に那桜が現れた。倒れていた爆厨リモノの視線が那桜に向けられ、再び唸り声を上げた。

「バカッ…!」

 爆厨リモノの拳が届くより前に、大路が那桜の前に飛び込む。そのまま二人は、入り口横の体育館倉庫内に吹き飛ばされた。


「おじさん?」

 一瞬何が起こったのか分からなかった那桜は、自分の上に覆いかぶさっていた大路に問いかけた。

「お前…タイミング悪すぎだっつーの…」

 大路はしかめ面をしながら体を起こすと、パラパラとがれきが落ちてきた。すぐ近くで、獣のような唸り声が響く。襲ってこないところを見ると、がれきに埋もれた那桜たちを見つけ出せずに、周辺をうろついているようだ。

「おじさん、あれ、和葉なの…?」

 那桜の切実な問いかけに、大路は言葉を選ぶように間を置き、静かに答えた。

「あれは…お前の知ってる友達じゃねえよ」

「え…」

「お前がどうにか出来る相手じゃない。だから、大人しくここに隠れてるんだ。分かったな」

「…」

 言葉を失い返答できずにいる那桜を置いて、大路は傷を負った体を引きずりながら、がれきをかきわけて出ていった。

 少し遠くで、再び唸り声が響いた。床に手をつき体を起こすと、がれきの隙間から大路と爆厨リモノが戦っているのが見えた。明らかに大路が押されている。

 その凶暴さに那桜はまた、自分の体が震えているのが分かった。確かにあれに立ち向かっていったら、ひとたまりもないだろう。でも…。

「…違うよ、おじさん」

 この化け物が人間だったなんて、きっと誰も信じないだろう。でも、那桜は知っている。あそこにいるのは、自分の友達。大切な友達が、妖に取り憑かれてしまっている…。

「…和葉」

 妖への怒りが、那桜の震える体を立ち上がらせた。

 その時、那桜は気づいていなかったが…。

 先ほど大路が倒れた拍子に床に落ちていたお札。その上に手を突いていたために、那桜の右手のひらには、お札に描かれていた印がはっきりと写り、立ち上がった瞬間、手のひらの印は光を帯びた。


 大路は壁まで吹き飛ばされ、倒れこんだ。目の前に、ゆっくりと爆厨リモノが近づいてくるのが見えた。万事休すだ…。

「雨音さん…悪い…ちょい無理だったわ」

 爆厨リモノがとどめの一撃を大路に与えようとしたとき、背後から那桜が飛び込んだ。

「和葉から…、離れろおおお!」

 爆厨リモノの首の後ろに那桜の右手が触れた。その瞬間、けたたましい叫び声を上げ、爆厨リモノが苦しみ出した。稲光(いなびかり)が激しくなる中、那桜は目に見えない妖をどうにか掴んで和葉から引き離そうと、右手を強く握った。

「和葉ああああっ!」


 雨音が体育館にたどり着いたとき、激しい稲光とともに、巨大な爆厨リモノが消えていった。その光景に、雨音と大路は呆気にとられた。爆厨リモノが消えたその場所に倒れていたのは、二人の少女…。那桜が僅かに目を開けると、床に横たわる和葉の姿が見えた。静かに眠るように目を閉じている。

「かず…は…」

 那桜は親友に手を伸ばす。しかし手が届く前に力尽き、那桜も意識を失った…。

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