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第1話 プティ人形と女子高生⑤

 目が覚めると見覚えのある天井が見え、那桜はすぐにそこが自分の部屋だと分かった。外からは雀の声と日の光が僅かに差している。どうやら今は朝らしい。窓の外に目を向けながら、まだ頭がぼんやりとしている。ほんのしばらくの間、那桜は自分に何が起こったのか思い出せずにいた。

 ベッドから少し離れた所で話し声が聞こえた。目を向けると、そこには母と、女医に変化(へんげ)した雨音の姿があった。二人で何やら話している様子だったが、すぐに那桜の目覚めに気が付いた。母は那桜の額に優しく手を乗せた。

「良かった。那桜、あなたまた帰り道で倒れちゃったんですって。たまたま雨音先生が通りかかった所だったから、すぐに処置してくださったのよ」

「訪問診療の帰りに、たまたまね。本当に運が良かったですわ」

 雨音も優しく微笑んで言った。

「帰り道…?」

 そうだったっけ?商店街で倒れたのは…たしか一昨日の話で…、昨日は…。

 壊された校舎、凶暴な爆厨リモノ、突然の稲光、眠るように横たわる和葉…。突然、那桜の脳裏に昨日の出来事が思い出された。

 和葉…!

 言うより早く、飛び起きるという表現が合いすぎるくらいの勢いで起き上がると、那桜は母たちの制止を振り切り部屋を飛び出していった。


 階段を下りた所で誰かとぶつかりそうになった。

「おお、那桜。体はもう大丈夫なのか?」

 顔を上げると、部屋着を着た父がいた。そうか、今日は土曜日だっけ?何となくリビングにあるテレビに目を向けると、そこに見覚えのある建物が写されていた。慌ててテレビの前に駆け寄る。

『昨日、弥比良高校で発生した傷害事件についてのニュースです。警察は複数人の同級生を暴行した容疑で、同高校に通う二年生の女子生徒を逮捕しました。この女子生徒は、校舎の窓ガラスを割るなどした器物損壊の容疑もかけられており…』

 キャスターによって読み上げられるニュースを、那桜は茫然と聞いていた。逮捕された女子生徒…。名前も写真も出ているわけではないが、それが誰の事を指しているのか、那桜には分かってしまったのだ。

「和葉…」

 那桜は再び立ち上がり、家を飛び出した。しかし、一戸建ての家の門を出た所で、行く手を塞がれた。そこにいたのは大路だった。

「どこ行く気だ?」

「どこって…警察」

「行ってどうするつもりだ?」

「和葉は悪くないって、警察に言うの」

 和葉は妖に取り憑かれてしまっただけであって、悪さをしたのは爆厨リモノだ。那桜はその事実を知っているし、大路だって分かっているはずだ。しかし、大路は厳しい目をして言った。

「誰がそんなこと信じるんだ」

 大路の言葉が、那桜の心に冷たく刺さった。

「妖とか、そんな超常現象が原因で犯罪を起こしてしまったなんて証明、できるわけがないだろ」

「それは…」

 厳しい現実を突きつけられ、那桜は口ごもってしまう。

「それに…、お前の友達に非が無かったわけでもない」

 大路の一言に那桜は思わず顔を上げた。

「…どういうこと?」

「妖は、人間が生み出す負のエネルギーによって暴走する。お前の友達は、あの人形への執着心に支配されていたんだ。心の弱さが原因でな」

「弱さが、罪になるっていうの?」

「執着心に惑わされない人間だって大勢いる。強い心を持っていればお前の友達だって…」

「違う!」

 那桜は大声を上げた。その声は、僅かに上擦っていた。

「違う!違う!違うの!」

 那桜はまるで駄々をこねる子どもみたいに、大路の胸に握りこぶしを叩きつけた。

「和葉は悪くない!悪いのは…」

 言葉とともに、目から大粒の涙がボロボロと零れた。

「悪いのは…私…」

 涙の重さに耐えきれないかのように、那桜はそのまま膝から崩れ落ちた。

 なんであの時、苦しさに気づいてあげられなかったのか?どうしてもっと話を聞いてあげなかったのか?悔やんでも、どんなに悔やんでも、悔やみきれない。もし時間が戻せるなら、戻したい。

「なんで…なんで…っ!」

 自分が許せなくて、何度も何度も拳をアスファルトの地面に叩きつけた。次第に拳が熱を持ち始めた。たぶん血が出ている。それでも那桜は衝動を抑えられず、地面を叩き続けようとした瞬間、大路に右手を掴まれた。大路は冷静な表情を崩さず、静かに問いかけた。

「お前のこの手は、こんなことするためにあるのか?」

 血が滲む右手越しに、大路と視線が合う。慰めるわけでもなく、ただ真っ直ぐに那桜に問いかけている。

「考えてみろ。お前にしかできないことが、まだあるはずだ」

 自分にしか、できないこと…?

 大路の言葉の意味が分からず、那桜はぼんやりと右手に視線をやった。その時、ふと昨日の出来事が蘇った。和葉を助けようと伸ばした右手に、突然光が宿ったのだ。その手で触れた瞬間、爆厨リモノは苦しみだし、そして消えていった…。

「私に…出来ること…」

 落ち着きを取り戻した那桜を見て、大路は掴んでいた手を離して立ち上がった。

「ゆっくり考えろ」

 大路は諭すようにそう言い、去っていった。残された那桜は、しゃがみこんだまま、自分の右手を見つめ続けた…。


 弥比良高校の事件から数日後、慌ただしい日々が続いた磐梯山探偵事務所には平穏が戻り、大路は探偵事務所の主力業務である迷い猫探しに勤しんでいた。三日三晩探した猫を依頼主に返し、事務所に戻ると、雨音が神事台に向かって祈りを捧げていた。

「爆厨リモノは今日もいなそうか?」

 大路は雨音の背に問いかけた。

「うむ、いたって平和じゃ」

「そっか。まぁあんな大物のあとじゃ、しばらく休ませてもらわないともたねぇわ」

 そう言って大路は椅子に腰かけ、眉間を軽くマッサージした。

「そうじゃ。大路、言い忘れてたが…」

「ん?」

 と、顔を上げた瞬間、閉じた扇で額を思い切り叩かれた。

「いってぇ!」

 思わず声が出た。

「おぬし、爆厨リモノ退治に一般人を巻き込むでない」

「は?」

「爆厨リモノを倒す力があることを、あの那桜という少女に吹き込んでいたであろう」

「あぁ、そのことか…」

 今更かよと思いながら、大路は怒られるのも承知していた。

「でも、雨音さんだって、力を貸してほしいって思っただろう?」

 大路の問いに、雨音は沈黙した。

「そりゃあ巻き込むべきじゃないってことくらい分かってる。でも爆厨リモノがどんどん凶暴化していっている今、俺たちだけじゃ限界がある。それに…」

 拳を地面に叩きつけながら涙を流す那桜の姿が蘇る。自分を責め、傷つけてしまう彼女を止めたかったが、優しい言葉をかけそっと抱きしめるような器用さを、大路は持ち合わせていなかった。

「どうにかして、前を向かせてやりたかったんだ」

 雨音は大路に背を向け、窓の外に目をやった。

「まぁ、決めるのは彼女じゃ。これ以上、言い寄るではないぞ」

「分かってるよ。…つーか女子高生に言い寄るって、人聞き悪いな」

 ふふっと雨音が小さく笑ったその時、事務所のドアからノック音が聞こえた。

「また猫探しか?」

 そう呟いて、大路が立ち上がる。ドアの磨りガラス越しに見ると、どうやら客は一人のようだ。

「はいはい、どんなご依頼で…」

 と、言いながらドアを開けると、そこには那桜の姿があった。

「あ…」

 お互いに口をぽかんとさせた那桜と大路だったが、少しの間があってようやく那桜が切り出した。

「えっと…こんにちは、おじさん」

「いやだから、おじさんじゃねぇって。王子様と呼べ」

「あ、そうだったね。それでおじさん、雨音さん、いる」

 名前を呼ばれて、雨音は振り向いた。

「那桜、どうした。また頭痛でも起こったのか?」

 雨音の姿を見つけると、那桜は大路を突き飛ばす勢いで彼女に駆け寄った。

「雨音さん…私に、爆厨リモノ退治を手伝わせてください!」

 那桜は勢いよく頭を下げた。雨音は来たるべき時がきたというような表情を浮かべていた。

「…先日の出来事より、辛いこともあるかもしれない。それでも、良いのか?」

 雨音の問いに、那桜は顔を上げ、頷いた。那桜の目をじっと見つめた雨音は、ふっと微笑んだ。了承した、という意味だと理解し、大路も笑みを浮かべていた。

 こうして、那桜の爆厨リモノとの戦いの日々が始まったのだった。



第1話 完

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