第1話 プティ人形と女子高生③
翌朝、頭痛からすっかり解放された那桜は、通学のため電車に乗っていた。相変わらず朝のラッシュは疲れるが、一年も通えばどの辺りにいれば押しつぶされずに済むかなど、やり過ごし方も慣れたもんである。電車に揺られながら、那桜は昨日の出来事をまた思い返していた。妖はそこらじゅうにいる。とすれば、この中の誰かにとりついてまた爆厨リモノになってしまう可能性だってあるのか…?周りを見渡すが、皆スマホの画面を眺めたり、居眠りしたりしていて、昨日の万引き女性みたいな虚ろな目をしている人はいない。
電車を降りて、歩いて高校へと向かう。昨日までと何一つ変わらない風景が通り過ぎていく。友達と談笑する女子、眠たそうな目を擦りながらのそのそ歩く男子、その横を自転車で風のように通り過ぎていく男子…。
「夢…だったのかな?」
今と比べてあまりにも現実離れしすぎていた昨日の出来事。もしかしたら、頭痛があまりにもひどくて、幻でも見てしまったのかもしれない。きっとそうだ。そうだと思いたい…。
「夜ノ森さん。ちょっといいかな?」
高校の昇降口でそう声をかけてきたのは、若松先生だった。歳は三十代半ば。この高校の中では比較的若い女性教師で、今は和葉がいる二年一組の担任をしている。柔らかい口調で話をする彼女に、那桜は特に抵抗もなく呼びかけに答えた。すると若松先生は手招きして、那桜を昇降口から少し離れた場所まで那桜導いた後、口を開いた。
「川内さんと、最近連絡取ってる?」
「和葉ですか?連絡っていうか、昨日の帰り道で話しましたけど」
「昨日の帰り?」
「私、頭痛がひどくて早退したんですけど、和葉も偶然早退してたみたいで…」
体調不良で早退したのに公園で話し込んでいたことまでうっかり喋ってしまったので、慌てておしまいに「すみません」と謝罪の言葉を付け加えた。しかし若松先生はそこを気にする様子もなく「そう…」と、妙に深刻な顔をしていた。
「川内さん、一週間前から学校を休んでるのよ」
「えっ…?」
「直前で変わった様子とかトラブルも無かったから、原因が分からなくて…。去年から仲が良かった夜ノ森さんだったら、何か聞いてないかなって思って」
「何かって、言われても…」
あまりの青天の霹靂で、何も思いつかなかった。口ごもっていると、もうすぐホームルームが始まることを知らせるチャイムが鳴った。
「急にごめんなさいね。何か些細なことでも思い出したら、教えてくれるかな?」
それだけ言い残して、若松先生は足早に職員室へと向かった。残され立ち尽くしていた那桜だったが、教室へと急ぐ学生たちを見て我に返り、慌ててその流れに乗ろうとした。
和葉が不登校…?どうして…?その思考が頭から離れず早歩きをしていると、不意に誰かとぶつかりそうになる。
「わっ、ごめ…」
と言いかけて、目に飛び込んできたのは、スクールバックにぶら下げられた人形…。そう、あのプティ人形だった。顔をあげると、岩城咲彩と目が合った。凛とした佇まいの彼女は、那桜をちらりと見てすぐ、表情一つ変えずに歩き出していってしまった。颯爽と歩く咲彩に、次々と取り巻きのような女子生徒たちが吸い寄せられていく。
「岩城さーん、おはよぉー」
「今日の放課後空いてるぅ?一緒に勉強会しない?」
明らかに勉強など興味が無さそうなキャピキャピした取り巻きたちの呼びかけに対して、
「ごめんね。今日は放課後、生徒会の集まりがあるから」
と、嫌みの無いクールな表情で返している。その光景をぼうっと後ろから眺める那桜。プティは周囲に呪文でもかけるかのように、怪しく揺れていた——。
頭痛に苦しめられることもなく、久しぶりに健康状態良好で五限まで終えることが出来た那桜だったが、ほとんどの時間は上の空であった。
「和葉…」
昨日制服を着て公園にいた和葉。たぶん家は出たものの学校には行けずにいたのだろう。どうして何も相談してくれなかったのか?いやもしかしたら、和葉なりに何かサインを出していたのかもしれない。それに気づいてあげられなかった。何か心当たりがあるかと若松先生に聞かれたが、昨日の話だけで考えるならば、恐らくあのプティ人形が原因ではないかと思う。
——岩城さんに、それ偽物だよって、言われちゃったんだ。
学校中の人気者で影響力のある彼女からそんなことを言われてしまったのなら、それをきっかけに周囲からいじめに遭ってしまう可能性も十分ありうる。
ただ、まだ推測の段階だ。とにかく今は、和葉ともう一度話してみる他ない。午前中、和葉にメッセージを送ったが、返信どころか既読にもならない。居ても立っても居られず、放課後、那桜は和葉の家に向かうことにした。
和葉の地元駅は、那桜の地元駅より二つ手前にある。急行電車も止まるので、那桜の地元駅よりずっと大きい。アナウンスが鳴りドアが開くと、ホームへと降りる。ええっと、和葉の家に行くには、何口から出るんだっけ?彼女の家に遊び日に行くときは、何も考えずに和葉について行っているのだが、いざ一人で行くとなると分からなくなる。
キョロキョロと周りを見渡す拍子に反対側のホームに目を向けると、ちょうど電車のドアが開いたところだった。その電車に乗り込む一人の人物に目が留まる。
「和葉…?」
そこには、探していた親友の姿があった。
「和葉!」
鳴り響く発射音にかき消された。無情にもドアが閉まる。同時に和葉は体の向きを変えたらしく、ドアのガラス越しに顔がはっきり見えると、那桜は愕然とした。彼女は昨日、商店街で見た万引き犯と同じ、力なく虚ろな目をしていたのだ。そしてその背中には黒い、獣のような影…。
「う…そ…」
走り出す電車に、無駄だと分かっていながらも同じ方向に走りながら、何度も友の名前を呼ぶ。しかしそれもホームの端の柵まで来ると阻まれた。那桜には加速していく電車を、ただ見送ることしか出来なかった。
「なんで…」
柵を握りしめながら、声を絞り出した。和葉が取り憑かれる…。急いで止めなくてはならない。どうすれば…。
ふと思い出し、那桜はスマホを手に取った。
「…来る」
雨音がそう呟いたとき、大路は事務所の来客用ソファに寝転がりうたた寝をしていた。今日は探偵業への依頼も無く、そろそろパチスロにでも行こうとしていたので、「ちぇっ」とわざとらしく舌打ちをしてみせた。
「場所は?」
「まだはっきりとは分からん。移動しているようじゃ」
雨音は鈴を持ちながら集中している。雨音には爆厨リモノの出現を予測出来る。妖の異変を察知できる能力がある所以らしく、その指示の下、大路は現場に急行するのだ。
「忙しいねぇ。このままじゃ過労死しちゃうよ、俺」
寝転がったまま背伸びをしていると、事務所の電話が鳴った。はいはいと呟きながらだるそうに電話を取る。
「はい、こちら磐梯山たんて…」
「もしもし!?おじさん!?」
あまりにも痛烈な声に、大路は鼓膜が破けるかと思った。電話の主は、昨日出会った少女、那桜だった。
「だからおじさんじゃねぇって。王子様と呼べ」
「分かったってば、おじさん。それより大変なの!」
分かってねぇじゃねぇかという突っ込みさえ入れさせない勢いで、那桜は捲し立てた。
「私の友達が、妖に取り憑かれたみたいなの」
「何?」
「でも電車に乗っていっちゃって…。私、どうしたらいいか…」
大路は事態の深刻さを察し、雨音にも話の内容が聞こえるようにと電話をスピーカーモードにした後、出来る限り声のトーンを落として言った。
「落ち着け。その友達がどこに行ったか、心当たりはあるか?」
「心当たりって言われても…」
「なんでその子は取り憑かれたんだ?妖が取り憑いた理由、浮かばないか?」
「理由…」
那桜は必死に思考を巡らせる。妖が取り憑く、理由…?
——流行り物への異常な執着心。
昨日、探偵事務所での会話を思い出す。執着、流行り物…。そして浮かんだのは、スクールバッグにつられて怪しく揺れる人形…。
「プティ…」
岩城咲彩の持っている本物のプティ人形。たぶん、それが和葉の…妖の目的だ。だとすると、彼女の自宅…?いや、今朝聞いた話だと、今日の放課後は生徒会の集まりがあると言っていた。つまり…。
「学校!私と和葉が通ってる、弥比良高校!」
「高校だな。分かった、すぐに向かう」
「私も行く!」
「お前はそこで待っ…」
これ以上危険な目に遭わせてはならないと思い、大路は現場へ向かうことを止めようとしたが、そこで電話は切られた。もっとも、止めたところで素直に聞くとも思わなかったが…。
「騒々しい娘だな」
そう呟いて大路が受話器を置くと、雨音がようやく口を開いた。
「恐らくその辺りで間違いないじゃろう」
「だな。それじゃ所長、行って参ります」
わざとらしく敬礼して、大路は事務所を後にした。
一人事務所に残った雨音は、ふうっと一息ついた。爆厨リモノになりそうな危険な妖の気配を探すのにもエネルギーを使う。場所さえ掴めれば、あとは大路が退治してくれる。雨音は茶を淹れ、湯呑を一口すすった。
パリンッ
突然音がして、振り向くと祭壇に置いてあったガラス玉にひびが入っていた。
「…危険じゃ」
未曽有の事態が起こることを感じ、雨音も急ぎ現場に向かう身支度を整え始めた。
生徒会の集まりを終え、岩城咲彩が教室に戻ると、女子生徒が何人か残っていた。咲彩を見つけると、やたら馴れ馴れしい笑顔を向けてきた。何も言わないのもばつが悪いと感じ、咲彩のほうから口を開いた。
「まだ残ってたんだ」
「ん~、まぁねぇ」
「なんかぁ、だらだら喋ってたらこんな時間になっちゃったんだよねぇ」
「咲彩ちゃあん、ちょうどいいから、一緒に帰ろうよぉ」
たぶん咲彩が戻ってくるのを待っていたのであろう。仕方なく「うん…」と曖昧な返事をした。それにしても、この子たちはいつから咲彩のことを下の名前で呼ぶようになったのか…。帰り支度を始めるためにスクールバッグを机に置くと、ぶらんと吊り下げられたプティに視線が集まるのを感じた。
「そういえばぁ、うちの地元の雑貨屋にもうすぐプティ入荷しますって貼り紙してあったんだぁ。早く欲しいなぁ」
「うそぉ、あの雑貨屋で?」
「それ偽物じゃね?」
「やだぁ、和葉じゃないんだから」
きゃはははっとやたら甲高い笑い声が響き渡る。咲彩はその会話が聞こえないふりをしながら身支度を終えた。さて帰ろうと教室の入り口に目を向けると、誰かがそこに立っていた。俯いていて表情は見えないが…それはクラスメイトの川内和葉だった。
「あれぇ?噂をすれば、和葉じゃん」
お喋りに興じていた女子生徒たちも和葉の存在に気づき、まるでおもちゃでも見つけたかのようにニヤニヤしながら彼女に近づいていった。
「一週間も学校サボってどうしたのよぉ」
「随分お高いご身分ねぇ、偽物持ってたくせに…」
そう言いながら和葉の目の前に立った女子生徒の一人が、次の瞬間、横に吹き飛ばされた。あまりの勢いで机も椅子も教壇も倒れ、気が付くと女子生徒は黒板の中心に激突し、衝撃で黒板はひび割れ凹んでいた。
「えっ…」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。その場に倒れこむ女子生徒を見て、咲彩は言葉を失った。
「な、なによ、あんた突然…」
気の強いもう一人の女子生徒は、躊躇しながらも一歩前に出ようとした瞬間、和葉の手が彼女の体を振り払った。軽く振り払ったように見えたが、それもまたすごい勢いで、女子生徒の体を教室の後方にある掲示板まで突き飛ばした。彼女もまた、その場に倒れて意識を失ったようだった。
「ひ…ひえ…」
残された女子生徒は腰を抜かしながら、一目散に教室から逃げて行った。咲彩はただ一人、教室に留まった。逃げられなかったのだ。だって和葉の目は、明らかに咲彩に狙いを定めていたのだから…。
「それ…ちょうだい」
和葉が右手を差し出しながら口を開く。視線の先にあるそれとは…プティのことだ。
「本物なんでしょ?それが欲しいの…」
和葉がゆっくり一歩ずつ近づいてくる。咲彩は後ずさりしながら、スクールバッグを後ろ手に隠した。
「い…や…」
これだけは離したくない。咲彩はそう思ってしまった。背中が教室後方の壁につく。もうこれ以上下がれないと咲彩が思ったとき、和葉の目が紫色に怪しく光った。
「それが欲しいの…。それさえあれば、私は…ワタシハ…」
みるみるうちに人ではない“何か”に変わっていく和葉を見て、咲彩は呼吸をすることさえ忘れてしまった…。




