第1話 プティ人形と女子高生②
鈴の音が聞こえる。意識を取り戻し、那桜がゆっくり目を開けると、そこには見覚えのない白い天井があった。
「ここは…?」
よく見ると天井には所々シミがある。学校の保健室のほうがまだきれいだなとぼんやりしながらも思った。鈴の音は心地よいリズムを刻みながら鳴り響いていたが、よく聞くと鈴の音に合わせて何やら声も聞こえる。歌なのかなと思ったが、何を言っているのか全く分からない。声の主を探すために首を右、左にゆっくり動かし、最後に脳天のほうに目線を向けると、そこには鈴のついた棒を持ちながらお経だか呪文だかを唱え続ける、巫女装束を身にまとった幼女の姿があった。その光景を見た瞬間、呪いの儀式でも行われているのかとファンタジックな妄想をしてしまった那桜は、ひえっという情けない声を上げ、思わず飛び起きた。
「これこれ、急に起き上がるでない。まだ治癒は終わっていないのだぞ」
幼女は、子どもとは思えない落ち着いた態度で那桜を諭した。
「な、なに?ここどこ?私だれ?…じゃなくて、あなた誰!?」
那桜は尻餅で後ずさりし、テンパりながら目の前にいる幼女を指さした。
「ここは磐梯山探偵事務所。そのお方は、この探偵事務所の所長、磐梯山雨音」
予想に反して、後ろから回答が聞こえた。振り返るとそこには、無精ひげを生やしくたびれたスーツを着た野暮ったい男がいた。長い足を組みソファに深々と腰掛けていた。
「探偵?」
「因みに言うと、君の名前は夜ノ森那桜。弥比良高校二年二組…」
男は那桜の生徒手帳を開き読んでいた。全て音読しそうな勢いだ。
「ちょっと!なに勝手に読んでんのよ!」
那桜は勢いよく立ち上がり、男から手帳を奪い返した。
「うお、さすがJK、元気だねぇ」
男は自分の髭を触りながら苦笑した。
「うむ、凄まじい回復力じゃ。これが若さか」
雨音と呼ばれた、明らかに那桜より年下の幼女が呟く。何だか何百年も生きてそうな風格だ。
「それで、私はなんでこのバンなんとか探偵事務所にいるの?」
那桜は警戒心MAXの強気な姿勢で二人に尋ねた。
「おぬしは、そこにいる大路が暴走した妖の退治を行なった折、多量の妖気を浴びて気を失ってしまったのじゃ。それで早急に、治癒を施すために、ここに運んだというわけじゃ」
「あや、かし…?」
「妖怪といったほうが分かりやすいかの?」
妖怪、と言われて、那桜はようやくあの一連の出来事を思い出した。
「あ、あの化け物!?確か、あの万引きした女の人に狐みたいなのが入って、化け物になったと思ったら、消えちゃって…」
那桜ははっとして、先ほど大路と呼ばれた男のほうを見た。
「もしかして化け物倒したの、おじさん?」
「おじさんじゃねえ。大路壮馬だ。フルネームで言うと”王子様”って聞こえるだろ?だから今後は王子様って呼べ」
どうみても王子様からは程遠い風貌の大路は、わざとらしく親指で自分を指しながら言った。
「分かった。で、おじさんが倒したの?」
「分かってねぇじゃねえか。…まぁ確かに傍から見たら倒したのは俺だけど、それはこいつあってのことだ」
大路は那桜の目の前に、ピッと御札を一枚差し出してみせた。あの時、見たものと同じだ。御札には墨で漢字がたくさん書かれており、中央には朱色で描かれた紋様がある。
「“爆厨リモノ”の発生を感知する度にその現場に急行し、雨音さんが術を掛けたこの札を奴らに張り付けて退治する。俺は所長の手足となり馬車馬のように働くありんこってわけさ」
「人聞きが悪いのお。暇さえあればパチンコ屋に入り浸る廃人め」
「爆厨リモノって、あの化け物のこと?」
「そう。流行り物への異常な執着心が原因で生まれる怪物だから、爆厨リモノ。あの万引き犯、流行り物の人形を盗もうとしたんだろ?」
那桜ははっとした。プティが欲しいと、ヒステリックに叫び続ける女性の姿が蘇る。確かにあれは異常だった。
「なんで、そんなことに?執着するだけで、あんな化け物になっちゃうの?」
「説明すると、少し長くなってしまうが…」
大路の代わりに雨音が答える。その手には、いつの間にか湯呑が二つ握られていた。一つは那桜の分だったらしく、応接用と思われるソファに座るよう促された。大路は自分の分が無いと分かると、部屋の隅にある給湯スペースへと向かった。
「いつの時代も流行り物には、とてつもないエネルギーが宿る。気づいてはいないだろうが、人々は無意識にそのエネルギーを求めて、流行りに乗ったり、その物を欲したりするのだ。そうやって人の心が満たされることで、またエネルギーが生まれる。それを必要としているのが、妖たちだ」
あやかし…妖怪のことだ。
「妖怪なんて、どこから出てくるの?」
「そこらじゅうにおろう。ほら、そこの窓の外にも」
「へっ!?」
那桜は驚き窓のほうを向いたが、それらしいものの姿は無かった。
「…どこに?」
「うーむ。やはり普通の妖は見えるほどの霊感はないのか…」
頭の上がハテナだらけの那桜をよそに、雨音は話を続ける。
「人間や動物が食べ物を食べて生きるように、妖たちが生きていくためには人間の発するエネルギーを吸収し続ける必要がある。だから妖は人目につかぬよう、近くでひっそりと生きておるんじゃ。別にそれで健康を害するわけではないから、安心せい」
「妖怪って、悪いもののイメージがあるけど…」
「それは人間が勝手につけたイメージじゃ。時々いたずらを仕掛けようとする輩もいるが、基本的に人に干渉せずに生きようとしている者がほとんどじゃ」
「だったら、なんであの女の人は、あんなふうになっちゃったの?」
那桜の疑問に、雨音はより真剣な表情を浮かべた。
「あれは最近になって出現するようになっていてな…。どうやら妖が人間の歪んだ欲を含んだエネルギーを吸収してしまうと、ああなってしまうようなんじゃ」
「歪んだ欲?」
「それが最初に話した“流行り物への異常な執着心”のことさ」
いつの間にか大路が戻ってきていた。お茶を淹れたのかと思いきや、コーヒーだったらしく、匂いが漂ってきた。
「単純に、流行り物を手に入れた!ラッキー!ハッピー!みたいな気持ちだったら別に問題はないんだ。でもそれが無いと仲間に入れてもらえないとか、社会で生きていけないとか、無いとダメ、無いとダメっていう負の感情が強くなると、それが妖怪の取り込むエネルギーにも影響するらしいぜ」
「負のエネルギーを取り込んだ妖はやがて暴走し、それが人間と融合すると、あのような化け物になってしまうのじゃ」
「そうやって生まれるのが、爆厨リモノってわけだ」
雨音がほとんど話していたにも関わらず、なぜか大路が得意げな顔で話を結んだ。一通りの説明を聞いて、那桜の口からはぁっと溜息が漏れてしまった。現実離れしたことが多すぎて脳の処理が追いつかない。雨音はそれも承知の上だとでも言うような温かい表情を浮かべ、湯呑をすすった。
「それにしても、その体でよく普通に暮らせておったな。妖力がパンクするくらい蓄積しておったぞ」
「へ?」
那桜は思わず間抜けな声を出してしまった。
「最近体調に変化など無かったか?」
あ…そういえば、と思い、那桜は原因不明の頭痛について話した。
「なるほど。恐らく大量の妖力が蓄積していたことが原因じゃろう。おぬしは妖力を吸収しやすい体質のようじゃからな。先ほど治癒をしたからだいぶ楽になったと思うぞ」
そう言われれば、妙に頭がすっきりしている気がする。
「普通の医者では原因の特定は難しいであろう。もしまた辛くなったらいつでも来るとよい」
金はいらんからな、と、最後に付け足すと、雨音はまた湯呑をすすった。巫女みたいな幼女が所長の探偵事務所…。とてつもなく胡散臭いが、もし頭痛が治るんだとしたら、頼らざるを得ないだろう。支障なく学校生活を送るためには仕方ないことだ。
学校…?ふと思い出し、那桜は慌ててスマホで時間を確認した。時刻は午後三時を過ぎていた。母がパートを終え、もうすぐ家に着く時間だ。まずい。午前中に「頭痛で早退した」とメッセージは送っているので、母は家に那桜がいるはずだと思っている。幸い母は娘の行動に対してとやかく言う性格ではないが、それでも親は親なので、万が一学校に「娘が帰ってきてないのですが…」などと連絡をされてしまうととても面倒だ。すぐに母に電話をかけたいが、この状況をなんと説明すればよいのか…。
「なんじゃ、そんな真っ青な顔をして」
雨音に問われて、那桜は事情を話した。
「心配するでない。任せておけ」
夕方、帰宅した那桜は、ぽかんと開いた口を塞げずにいた。
「ご面倒おかけしました。しかもわざわざ車で送っていただくなんて、感謝してもし切れませんわ」
母が深々と御礼を言っている相手は雨音…なのだが、なぜかスラっと背が高く、白衣を着た大人の姿をしていた。
「とんでもございません。お嬢さんが倒れた所にたまたま通りかかったものですから、医者として当然のことをしたまでです」
探偵事務所から自宅まで、大路が運転する車に乗せてもらえることになり、那桜と雨音は後部座席に座った。その時は確かに子どもの姿だったのだが、家に着きふと隣を見ると、そこには超絶美人ドクターが座っており、那桜は目を丸くしたのだった。
「お嬢さんの頭痛、確かに季節柄のものであることに間違いないのですが、処方された薬が少し合わなかったのかもしれませんね。もしまたお困りのことがありましたら、いつでもご連絡ください」
雨音はこの世の物とは思えないくらい美しい微笑みを浮かべながら、母に「磐梯山クリニック」と書かれた名刺を手渡した。やはり母には、妖がなんちゃらとかいう事情は秘密にしておくらしい。すっかり安心しきった母は、また深々と頭を下げて、雨音を送り出したのだった。
自分の部屋に戻った那桜ははぁっと大きなため息をついてベッドに倒れこんだ。商店街で見た化け物。そしてそれを退治する探偵事務所の謎の二人…。一体何者なのだろうか。
おでこに手のひらを当てる。頭痛はこれまでに比べてずっと楽になっているのが分かった。たぶん、悪い人ではない。が、まだ完全に信用できてはいない。
雨音と大路とした話を思い出す。妖、人の歪んだ欲、それによって生まれる爆厨リモノ…。聞けば聞くほど分からないことがたくさん出てくる。今まで普通に暮らしていたのに、なんで急にそんなものが…。しかしもう考えるのも疲れ、那桜はゆっくり目を閉じた。
「なぁ、雨音さん」
那桜を自宅へ送り届けた帰り道、大路はハンドルを握りながら、助手席に座った雨音に話しかけた。雨音は出発するとすぐに幼女の姿に戻り「変化は疲れるのぉ」と言いながら、チョココロネを頬張っていた。
「なんで彼女だけ、“見えた”んだ?」
雨音からの返答はない。もぐもぐと咀嚼を続ける彼女を横目で見て、大路は問いを続ける。
「これまでも、そして今回も、街にいた人間たちには爆厨リモノは見えていない。それなのに…」
大路が商店街で爆厨リモノを倒した後、意識が朦朧としていた万引き犯は駆け付けた警察官に連行された。周囲は一時騒然としていたが、妖や爆厨リモノが見えない多くの人にとっては、単に「万引き犯が捕まった」という認識で終わり、皆すぐに日常へと戻っていた。ただ一人を除いては…。
騒動の後、意識を失っていたその少女が「化け物…」と呟いていたのを、大路は覚えていた。事務所で話した感じだと、今回初めて”見た”様子であった。夜ノ森那桜…。霊感があるようには見えなかったが、何か特別な力でもあるのだろうか。
長い沈黙の後、雨音はようやく「うーむ」と呟いた。
「今のところなんとも言えぬ。ただ一つ確かなのは…」
雨音は一呼吸置いてから、言葉を続けた。
「爆厨リモノの妖力が、どんどん強まってきておる。このままだと、霊感など関係なく、人々の目に見えるくらい実体化していってしまうじゃろう。そうなると、実害が発生する日も遠くない」
雨音はそこまで言って、また一口チョココロネを頬張った。
「…忙しくなるな」
大路はそう呟き、進行方向が青信号に変わるのを見て、ゆっくり車を発進させた。




