第1話 プティ人形と女子高生①
夜ノ森那桜は高校二年生になった春、原因不明の頭痛に悩まされていた。病院にも行ってみたが、「進級の時期ですし、環境の変化のストレスもあるでしょう」とありきたりな診断をされてしまった。確かに頭痛が始まったのは四月に入ってからだったが、すぐに気の置けない仲間も出来たので、そんなストレスは感じていなかった。「自分でも気づかずストレスを抱えてしまっていることもあるので…」と、ストレス推しの医者からはとりあえず薬を処方されて終わった。
残念ながら、薬はあまり効いている気がしない。正直、それを飲まなくても家に帰って一晩も寝ればすっかり落ち着くのだ。ただここ最近、頻度が異常に多く、数日おきに頭痛に襲われ、ひどいときは学校を早退しなければならず、生活にも支障が出てきてしまっている。母からはこれ以上ひどくなるようだったらもっと大きい病院を探すけど、
「ま、成長期だからね」
と、楽観的な母らしい言葉を送られていたのだった。
「困ったなぁ…」
また頭痛に襲われ、授業を二限目で早退し帰る道の途中、那桜は一人呟いた。小さい頃から活発な女の子で、木登りもかけっこも男子を負かすくらい大得意だった。幼稚園からこれまで風邪など無縁。無遅刻無欠席の超健康体だったのに…。
「どうしちゃったんだろ…私…」
とぼとぼと歩きながら公園の前を通りかかると、ベンチに那桜と同じ制服を着た女の子が俯き気味に座っていた。あれ?こんな時間に…?と思ってよく見ると、それは那桜がよく知っている子だった。
「かずは?」
近づいて名前を呼ばれると、その女の子ははっと顔を上げた。川内和葉は、那桜がこの高校で初めて仲良くなった、親友と呼べる子だ。昨年は毎日話していたが、二年生になり別々のクラスになってからは会うことも少なくなっていた。
「那桜、やっほー」
那桜の顔を見て和葉は笑顔を作ったが、どこか力なく見えた。那桜は隣に腰掛ける。
「大丈夫?和葉も早退したの?」
「え?あぁ、うん。…那桜も?」
「うん。なんか最近頭痛がひどくてさ。これで今月二回目の早退」
「那桜が?嘘でしょ?」
和葉は目を丸くして言った。那桜が体調不良など縁遠いことは和葉もよく知っている。
「病院は行ったの?」
「行ったけど、環境の変化によるストレスでしょうって言われた。でもさ、そんなこと言ったら今の時期、全人類みんな体調悪いはずだよね」
「確かに、那桜が具合悪くなったらおしまいだもんね」
「ちょっと、人を最後の砦みたいに言わないでよ」
和葉がふふっと笑う。先ほどは力ない笑顔だったが、那桜と話すうちに少し元気を取り戻した様子だった。ほっとした那桜の目に、ふと和葉のスクールバッグが留まった。
「あれ?あの人形、外しちゃったの?」
そう言われた和葉はびくっとしてスクールバッグを抱え直した。
「あ…、う、うん」
「なんだっけ?あの人形の名前。ブービーだっけ?ルビーだっけ?」
「プティだよ」
「そうそう。もう全然覚えられないよ」
プティとはここ最近、巷で流行っているマスコット人形だ。何でも、隣国のインフルエンサーがSNSに投稿してから、大バズりしているらしい。うさぎとパンダを足して二で割ったような見た目をしていて、なぜこんなものが流行っているのか、那桜には全く理解出来なかった。
「那桜、ほんとに興味ないんだね」
和葉はいつものように優しく微笑んで言った。
「うん…。なんかごめん」
流行に疎い那桜に対して和葉はそういったことに詳しく、プティのことも教えてくれた。プティ人形は海外製でなかなか手に入らないらしく、先月海外出張から帰ってきたお父さんからお土産でもらったんだと、和葉が嬉しそうに話していたのだが…。
「なんで外しちゃったの?気に入ってるって言ってたのに」
「う、ん…」
和葉は少し言い淀んだが、決心したように口を開いた。
「あれ、偽物だったんだ」
「偽物!?そんなことあるの?」
和葉の話によると、プティ人形はその爆発的な流行により海外でも品薄になり、偽物が多く出回っているらしい。
「那桜、岩城さんって知ってる?岩城咲彩さん」
「生徒会長候補の?」
岩城咲彩は那桜たちの学年では有名人だ。容姿端麗で成績も常にトップクラス。親は有名企業の重役らしい。那桜とは全く住む世界が違う子だ。今は和葉と同じクラスにいる。
「岩城さんに、それ偽物だよって、言われちゃったんだ」
彼女もプティ人形を持っており、確かにタグのロゴや耳の長さなど、違う所がいくつもあったのだという。
「だから、なんか付けれなくなっちゃって…」
「そっかぁ。…そんなに変わらないと思うけどなぁ」
和葉に偽物と本物の比較画像を見せてもらったが、正直違いが分からなかった。タグも印刷ミスかなぁ…くらいの誤差に見えた。
「お父さんが和葉のために買ってきてくれたんだから、大事にすればいいと思うよ」
「ありがとう。那桜は優しいね」
和葉は嬉しそうに笑った。
しばらく二人で話したあと「体調不良で早退したのに、ここにいるのが見つかったらまずいね」と言って、解散することにした。
「お互い元気になったら、またどっか遊びに行こうね」
那桜がそう言うと
「うん、また連絡するね」
と、和葉もいつものように手を振って別れた。
高校のある駅よりは人の少ない地元駅に着くと、少し落ち着いた。頭痛には波があり、人通りが多い所で症状が出やすい気がする。こじんまりとしたアーケード街を通り抜ける。その真ん中くらいにある雑貨店をふと見ると、ある貼り紙に目が止まった。
『SNSで大バズりのプティ!近日入荷!』
さっき和葉と話していたプティ人形だ。でも世界的にもなかなか手に入らない物が、こんな過疎商店街で本当に売られるのだろうか…?窓ガラスから店の中を覗き込むと、プティの写真がプリントされた箱が置いてあった。
「あれ、こんな時間に珍しいな。サボりか?」
横から声をかけてきたのは、この雑貨店の二代目店主、辰巳だ。元々お父さんが始めたお店だったが、数年前に体調を崩したとかで息子が引き継いだのだという。小さい頃は駄菓子も売っていてよく通っていたのだが、めんどくさがりで子ども嫌いの二代目になって「売上にもならないし、子どもが集まるのも面倒だから」という理由で辞めてしまったらしく、すっかり足が遠くなっている。
「体調悪くて早退したんですよ。最近頭痛がひどくて」
那桜は軽く眉間に皺を寄せて言った。初代のお父さん(那桜にとってはおじいちゃんくらいの年齢だが)はとても優しくて大好きだった。そのことを知っているこの息子は、そのお父さんと同じ距離感でやたら馴れ馴れしく話しかけてくる。正直生理的に無理なので止めてほしい。
「プティ売ってるんですね」
それでも気になったことを尋ねてみた。
「あぁ、あれはフェイクだよ」
「え?」
「箱だけ手に入ったから置いてるんだ。流行りものがあるって謳ったほうが、客も入るだろう?」
辰巳は悪びれる様子など一切なく、飄々とした態度で話した。小声にもしない所を見ると、秘密にするつもりもないらしい。
「でも『近日入荷』って書いてあるから、売る予定はあるんですよね?」
「無い無い。こんな過疎商店街に入荷できるわけないだろう」
過疎商店街…。那桜はこのヘラヘラ笑う男と同じワードでこの商店街のことを表現してしまったことを恥じ、目を逸らした。
すると店の窓ガラス越しに、一人の女性が見えた。二、三十代くらいの主婦だろうか?商品棚にあるプティ人形の空箱の前に立ち、どこか虚ろな目をしている。その女性は少し周りを伺うと、箱を手に取り自分のハンドバッグに入れた。
「あっ」
万引きの決定的瞬間を見てしまった。女性は足早に店の出入り口に向かった。
「辰巳さん!あの人、万引きした」
那桜は小声で辰巳に伝えた。
「え?」
辰巳は女性を見ると、
「めんどくせぇなぁ」
とだるそうに呟き、店を数歩出た女性に声をかけた。たぶん、盗られたのがプティ人形の空箱だと言っていたら、この男は動かなかったかもしれない。
「すみませーん。お会計終わってない商品持ってませんか?」
女性は肩をびくっとさせて止まった。が、すぐにまた歩き始めた。
「お、おい、ちょっと」
辰巳は追いかけて、女性のバッグの紐を掴んだ。すると女性は、
「いや!離して!!」
と、まるでひったくりにでもあったかのように叫んだ。
「おいおい、被害者はこっちなんだぞ。今なら見逃すから、盗ったもの返してくれ」
たぶん警察沙汰にするのが面倒だからなのだろうが、辰巳は情けのある言葉を女性にかけた。しかし女性は聞く耳を持たず、ヒステリックに叫び続けている。
「ダメ!これが無いと私は!私は!!」
女性はバッグを両手で抱え込み、恐ろしいほどに髪を振り乱している。そんなにまでして、この人形が欲しいのだろうか…?那桜は少し離れた所からことの顛末を見守っていた。女性が叫び声に比例して、那桜の頭痛が激しくなってきた時、女性の背中に何かが黒いもの乗っているのが見えた。
「え…?」
尖った耳に長くて大きな尻尾。狐…?でもあんなに真っ黒な狐がいるのか?それになんでこんな街中に?疑問が頭を駆け巡るが、辰巳は気にも留めずに女性の説得を続けている。見えていないのか…?すると次の瞬間、狐は女性の背中に顔をうずめ、スルスルと“入っていった”。
「!?」
狐に“入られた”女性は、目の色が紫色に変わり、獣のような雄たけびを上げた。みるみるうちに巨大化し、全身に逆立つ毛が生えだし、女性が怪物に変わっていった。信じられない光景と恐ろしさに、那桜は膝から崩れ、尻餅をついた。
「ばけ…もの…」
一歩も動くことが出来ず、声を出すのがやっとだった。
「・・・出やがったな、爆厨リモノ」
横から、男性の低く呟くような声が聞こえた。えっ?と那桜が声のした方を向くより早く、その人物は化け物の方へ向かっていった。化け物の後ろに回り込むと、手のひらを化け物の背に押し当てた。その手には小さな紙…お札のようなものが見える。その瞬間、化け物はぎゃあああっと叫び声をあげ苦しみだした。
「な、に…?」
化け物はしばらく悶えのたうち回った後、光の中にスーッと消えていった。その光景を目の当たりにした那桜の意識も次第に遠のき、途切れた。




