07 風花
じろじろと背中を刺す視線を無視しながら綺宵は荷物をまとめていた。荷物といっても支給された官服と〝宝〟——切除された男性器の二点のみなのですぐ終わる。
(……自分のモノを持ち運ぶのは慣れないな)
厳重に密閉した壺を左右に振るとカランと硬質な音が聞こえて、綺宵は眉を寄せた。この中には綺宵の〝宝〟がしまわれている。肉体の一部が切り離され、防腐処理を施した挙句、壺の中という現状は転生して数ヶ月経ってもまだ慣れない。しゃがんで排泄することはもちろん、歩く際に内股になるのも未だ慣れないし、これからも慣れることはないだろう。
できれば、目の届かない場所に捨ててしまいたいが葬儀の際に〝宝〟がなければ、魂は天上に還ることはできず、来世は畜生として生まれ変わると伝えられているため、捨てることはできない。
大きくため息をつくと「なあ、綺宵」と肩を叩かれた。
「どうかした?」
「お前、本当に彩王さまのとこに行くのかよ?」
綺宵が彩王のお付きになるのをきっかけに、尚食から尚服へ異動となった藍児がにやにやと嫌らしい笑みを浮かべて立っていた。同室として長年共に生活をしていたが藍児とは犬猿の仲と言ってもいい。
これから起こるであろう未来を予想して、綺宵は辟易した。どうも今世の身体の持ち主は、細枝のように頼りない肢体を持つくせに好戦的で、敵を作りやすい。記憶が蘇ってから何度目か分からない《《やっかみ》》に、綺宵はどう対処すべきか頭を回転させながら、とりあえず無難な返答を口にすることにした。
「そうだよ。寧徳妃さまの夜警を務めた時にお目にかけてもらったみたいなんだ」
「ふうん。お前がねぇ」
藍児は綺宵の身体に視線を送ると鼻で笑う。
「無理無理! だって、お前弱いじゃん! そんな枝みたいな身体で彩王さまの護衛なんてできねぇよ!」
からからと大声で笑われて、綺宵は愛想笑いを浮かべた。成人してから宦官となった藍児のほうが体格も力も上だ。短気な気質である彼を怒らせれば、殴られただけでは済まないだろう。
綺宵が反論しないことに藍児は片眉を持ち上げると大股で近づいてきた。
「い、痛! 離してくれ!」
前髪を掴まれ、痛みから綺宵は叫んだ。自分よりふとましい腕を叩いて、離すように促すが藍児はやめてくれない。
「ほぅら! お前みたいな弱いやつが彩王さまを護れるわけがねぇ! 彩王さまに〝僕みたいなひょろがりよりも、強くて逞しい藍児さまが向いてますぅ〟って言えよ! 俺が代わってやるからよ!」
宦官の中でも最底辺に位置する雑宦が彩王の近侍となれるだなんて僥倖以外の何者でもない。大金や人脈を失ってでも、この地位に上がりたい者は大勢いる。この藍児のように。
(国の中枢に近づくということがどんなことか分かっていないから言えるんだ)
痛みで顔を顰めながら、綺宵は冷静に考える。許されるのならば、藍児にこの役目を譲ってしまいたいのが本心だった。
けれど、彩王直々に拝命されたのは綺宵だ。心身に怪我を負い、働けないのならともかく、五体満足である自分がそんなこと口に出せるわけがない。
(どうやって怒りを鎮めさせようか)
悩ましげに唸っていると、回廊を走る忙しない足音が聞こえた。
「林少監! こっちです!」
甲高い声が房の前から聞こえた。その声で、足音の正体が風花だと気付いた綺宵は胸を撫で下ろした。騒ぎに気付いた風花が林少監を呼んでくれたようだ。
後宮内の風紀に厳しい林少監が来ると知った藍児は顔を真っ青にした。綺宵の髪を離すと一目散に回廊を走って逃げていく。残された綺宵は乱れた髪や衣裳を整えながら疲れから大きなため息をこぼした。
「きぃちゃん、大丈夫?」
ぱたぱたと裙を翻しながら、風花が駆け寄ってきた。
「額が真っ赤! まさか殴られたの?!」
白魚のような指先で綺宵の前髪を掻き分けて、覗く額を凝視する。
綺宵は苦笑して、風花の肩を押して距離をとった。いくら仲が良いといっても誰かに見られては悪評をたてられるのは女官である風花のほうだ。宦官とは存在自体、不浄だから。
「少し髪を掴まれただけだよ」
風花はさっと顔を青くさせる。目尻を吊り上げて藍児が走り去っていった回廊を睨みつけるので、綺宵は慌てて「林少監は?」と問いかけた。
「嘘よ。私だけじゃ、藍児に敵わないんだもの。林少監が来るって知ったら見た目だけの臆病者はすぐ逃げると思ったの」
「そんな言い方したら駄目だよ。あと、もし嘘だと知られていたら風花に危険が及ぶかもしれない。僕のことは放っておいて、自分の安全を優先するんだ」
「きぃちゃん、私のこと心配してくれるの?」
「当たり前だよ。友達なんだから」
「……友達」
不貞腐れたように頬を膨らましながら風花は周囲を見渡した。清潔さとは皆無な房の中、一角だけ綺麗に整理整頓されている。畳まれた官服を見て、風花は眉を下げた。
「やっぱり、噂は本当だったのね」
「ああ、彩王さまの近侍になるっていう噂?」
「うん。今、後宮中で持ちきりよ。きぃちゃんが彩王さまに見初められたって、彩王さまは男色の気があるんだって」
「嫌な噂だな。僕は護衛として彩王さまのお側に仕えることになっただけで、見初められたわけではないよ。それに彩王さまが男色だなんてありえないでしょう?」
歴代の彩王の中には宦官や文官を愛人にしていた物好きも存在するが、今代彩王は異性愛者であることは疑いようがない。もし、少しでも同性に気がある素振りを見せていれば、もっと早く噂となり、後宮中を駆け巡っていたことだろう。
「そんなこと、他の人の前で言ったら駄目だよ」
「言わないわ。きぃちゃんの前だからいうの」
「信頼されているのは嬉しいな。でも、今日はもう帰るんだ」
そっと風花の肩を押して入り口へ向かう。そこまで厳格ではないが宦官が寝泊まりする房に女性を長時間、置いておくわけにはいかない。
「もうっ、本当に頑固ね!」
「規則は守らないといけないからね」
「でも、きぃちゃんは彩王さまのとこ行っちゃうじゃん! 簡単に会えなくなるんだし、少しぐらいいいでしょう?」
風花は肩ごしに見つめ返してくる。綺宵は押す力を弱めた。
「隙あり!!」
「うわっ、危ないから飛びついたら駄目だよ!」
勢いよく胸に飛び込んできた風花を抱き止めながら、綺宵は呆れたように眉尻を下げた。背中に回る腕を解こうとするが風花の方が力が強いのか解くことができない。
(まさか、女性にも負けるだなんて……)
己の筋力の無さに悲しみを覚えていると風花は「ねえ」と綺宵の胸に頬を擦り寄せた。まるで心音を確かめるように目を閉じる。普段の天真爛漫な様子は成りを潜めて、代わりに切実な眼差しがそこにあった。
「きぃちゃん。私が前に聞いたこと、覚えてる?」
そっと囁くような声音に、綺宵は風花の瞳を覗き込む。
「どうしたの? 急に」
「〝僕はずっと、このままでいたい〟って言ったの、本当?」
ああ、と過去を思い返す。確かに昇進よりも現状維持をしたいがため、そう言った記憶がある。
「そうだよ。僕は争いには無関係な立場でいたいんだ」
「それって、争いに巻き込まれなければ、どんな立場でもいいの?」
「ううん、そう聞かれると答えにくいな」
「きぃちゃんは、争いが苦手だもの。きっと、そうよ」
また、風花は綺宵の胸に耳を当てる。
「きぃちゃんは綺麗なものに囲まれる生活がぴったりよ。床に膝をついて、汚い誰かの衣裳を洗って、誰かに頭を下げる生活なんて似合わないもの」
風花は綺宵の手を持ち上げた。水仕事のせいで赤切れがひどい指先を見つめて、悲しげに笑う。
「きぃちゃんは、こんな手をしなくていいのに……」
「……風花?」
様子がおかしい。綺宵は恐る恐る風花の名前を呼んだ。
風花はぱっと抱きしめるのを止めると、一歩下がり、屈託のない笑顔を浮かべた。
「きぃちゃん、私はいつまでもきぃちゃんの味方だからね! なにがあっても私が守ってあげるわ!」
そう言って、風花は裙を翻して出ていった。
「……なんだったんだ」
一人残された綺宵は入り口を見つめつつ、不思議そうに首を傾げた。




