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【BL】転生皇子の後宮生存録  作者: 荻原もも


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06 不眠症の王


「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………」

「………………」


 綺宵はちらちらと目の前の背中を見つめては、石畳の地面へと視線を落とした。固い沓音《くつおと》のみが響く空間はとてつもなく気まずくて仕方がない。少しでも気を紛らわすために、何度も自分よりも大きな背中と地面を見比べる。


(凌峯ってこんな無口で、喋らなかったっけ?)


 記憶にある凌峯という男は、いつも綺宵の身を一番に案じ、咳ひとつするだけで血相を変えて飛んでくる心配症だ。あまり、仲が良くない龍賢が転んだ時でさえ、仕方ないという体を装いつつも傷の手当てをする優しい一面を持っている。

 だから、相手が下級宦官とはいえ、不機嫌そうに前を突き進むその姿は違和感しかない。


「あ、あの、凌峯さま」

「私は、お前に、喋っていいとは、言っていない」


 怒りを留めるように一文字一句切りながら、凌峯は鋭い眼光で綺宵を睨みつけた。

 綺宵は慌てて唇を閉ざした。


(こ、怖い。嘘だろう。あの凌峯が……)


 あまりの変わりように衝撃を受けていると前方から微かな水音が聞こえた。綺宵が視線を送ると視界一面に水面が広がっていた。風がそよぐたびに水面が静かに波打ち、陽光を反射させて輝いている。あまりの眩しさに、綺宵は両目を細めた。


「失礼のないように。もし怪しい行動をすれば、その首を切り落としてやる」

「は、はいっ!」


 すっ、と凌峯が脇に下がる。

 綺宵が真似をしようとしたら「違う」と一喝《いっかつ》し、池の辺りに建てられた六角形の四阿《あずまや》を指差した。


(あそこへ行けって意味かな)


 前世の侍従の考えが読めない不安を抱きながら綺宵は、四阿へ向かう。階《きざはし》に足を乗せた時、床几《しょうぎ》に座している人物に気付き——急いで綺宵は地面に膝をついた。


「よい。楽にせよ」

「……御意の通りに」


 耳に心地よい低音の声音に、綺宵は面を持ち上げた。


(なんで、龍賢がいるんだ)


 燃え盛る夕陽の髪を冕冠《べんかん》にしまい、連なる玉飾りの奥からは猛禽《もうきん》のごとき青玉の双眸《そうぼう》が垣間見える。口元には微かな笑みが浮かんでいるが、その瞳は氷のように冷ややかで、まるで綺宵を品定めするかのように見つめていた。


「名を」

「綺宵と申します」


 緊張から震える声で答える。

 龍賢は両目を細めると次に「姓は」と簡潔に問う。


「ありません」


 綺宵は貴族の出自であるが父が大罪を犯したため、宮刑に処された過去を持つ。男性器を除去する刑罰は親から与えられた身体を欠けさせ、次世代に血を繋げることができないため、死刑に次ぐ極刑とされる。自ら望んで宦官となった者と違い、刑罰で宦官となった者は一族を示す家名を取り上げられるため、綺宵に姓はない。


「所属は」

「尚服です」


 そこから龍賢の問いかけは職務からだいぶかけ離れていった。趣味、好きな食べ物、嫌いな食べ物、友達の有無、家族について、将来なにになりたいか、自分自身をどう思っているか——。


(なんだろう。この質問……)


 どう考えても必要のない質問に綺宵は、蒼詠の要素がでないように細心の注意を払いつつ、《《綺宵》》について答えた。

 あらかた話し終えると龍賢は饒舌《じょうぜつ》だったのが嘘のように押し黙る。太い眉を寄せたことで眉間には深い皺が刻まれ、伏せたまつ毛が青玉の瞳に陰を落とした。気難しい表情から疑惑と真相を突き止めようとしている、と読んだ綺宵は冷や汗をかく。

 前世とは違い、今は下級宦官と彩王。気軽にどうした? と問えるわけもなく、綺宵は黙って龍賢の反応を待つことにした。


「俺と、どこかで会ったことはあるか?」


 しばらくして、龍賢は唇を開いた。

 はい、と綺宵が頷くと海色の瞳は輝きを宿す。上半身を倒し、綺宵の顔を覗き見るような体勢をとった。どこか期待を宿す瞳がむず痒くて、綺宵は頭を下げて、それとなく視線を反らした。


「一週間ほど前に寧徳妃さまの夜警に携わった際、遠目からですが彩王さまのお姿を拝見いたしました」

「……それ以前は?」

「恐れ多いことながら、彩王さまとお会いした記憶はございません。私は雑宦として、いつも浣衣局《かんいきょく》にいるので拝謁《はいえつ》する機会は一度もなく、また彩王さまのご尊顔は獅子のような勇ましさを備えておられます。忘れ去るなど、到底難しいとお思います」


 上級宦官と違い、下級宦官は雑務を執り行うのが仕事である。食材の運搬、厠《かわや》掃除、豚を含む家禽《かきん》の世話など。ただでさえ、宦官というだけで臭(・)う(・)のに、泥と汗に塗れて仕事をする自分たちは世間が言うとおりの不浄の存在だ。特に綺宵のような罪人は彩王や妃嬪の前に出ることはない。


「寧徳妃の夜警を務めたと言っていたな」

「はい。一週間前に三日間、微力ながら寧徳妃さまの護衛役を務めさせていただきました」

「三日間……」


 龍賢は顎に手を当てた。

 そのまま、しばらく考えこむ。


(言葉遣い、間違っていたかな)


 綺宵は内心、眉を寄せる。どうにか宦官らしく振る舞おうと頑張ってみても、皇太子の時のような言動を無意識にとってしまう。風花を含む仲間たちですら指摘するほど、流暢《りゅうちょう》に敬語を操るのに、彩王である龍賢が気づかないわけがない。

 そんな綺宵の心配をよそに、龍賢は伏せていたまつ毛を持ち上げた。


「実はな、俺はある悩みがあるんだ」

「悩み、ですか?」


 背後で控えていた凌峯が「彩王さま!」と叱責を飛ばす。

 龍賢は片手を持ち上げて、凌峯の言葉を途切らせると真っ直ぐな瞳を綺宵に向けた。


「俺は眠ることができない」


 綺宵は瞬きを繰り返した。彩王が臣下——それも雑宦相手に不眠症を告白するなど、皇太子時代の記憶を持つ綺宵には理解できない内容だった。国を率いる彩王は完璧であることが求められる。日常の振る舞いはもちろんのこと、独り言や閨での睦事《むつみごと》ですら記録に残される。もし名君とは逸れた言動をとってしまえば、死後も後世にまで語り継がれることとなる。驕奢淫逸《きょうしゃいんしつ》に耽《ふけ》り、国を傾けた先代が生前の悪行から〝蕩帝《とうてい》〟と悪諡《あくし》を贈られたように。


「かれこれ二十年になるだろうか。眠れぬのだ。……いや、眠ることはできる。だが、長くは続かない」


 すぐ目を覚ましてしまう、と龍賢は続けた。


「安眠効果のあるお香や指圧、按摩、導引。祈祷師を呼んでみたが、どれも効果は薄かった」


 言われてみれば龍賢の目尻には隈《くま》が浮かんでいる。それがまた彼の陰ある勇ましさを引き立てていた。


「それが寧徳妃の元へ通った三日間はよく眠れた。なにをしても眠れなかった俺が熟睡したんだ」


 海色の瞳が綺宵の瞳を射抜く。


「驚いたさ。側室とはいえ、赤の他人の側で熟睡するなど今までなかったことだから。それで、四日目以降も彼女の元へ通ったが、眠れたのは最初の三日間のみ。そこにいる凌峯に調べさせてもらったが俺が眠れた日は、お前が寧徳妃の夜警を務めていた三日間と重なるんだ」

「はい、おっしゃる通りでございます」

「これは偶然だろうか?」


 いえ、と否定の言葉を飲み込む。彩王の言葉を否定する言動をとってはならない。


「偶然では、ございません」


 綺宵の言葉に龍賢は笑みを深める。


「それで、ひとつ頼みがある。聞いてくれるか?」


 その先は聞きたくない。無理だと断りたい。

 引き攣る口角を持ち上げ、綺宵は無理に笑顔を作る。「もちろんでございます」と言えば、海色の瞳が輝きを増した。


「お前にはこれから俺の近侍として、夜警を務めて欲しい」


 それは、綺宵にとって死刑宣告にも似た言葉だった。


「はい、御心に添えるように精進して参ります」


 なんの因果か綺宵はまた龍賢と関わらなければならないらしい。

 満足そうに龍賢は笑っていたが、綺宵は倒れそうになるのを精一杯堪えて、深く頭を下げた。


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