05 大切な弟
(いやぁ、あんな子うさぎのように可愛らしかったのに今では立派になって)
じゃぶじゃぶと軽快に洗濯物を擦りながら綺宵は、一週間前、寧徳妃の夜警を務めた際にちらっと見えた前世の異母弟の姿を思い出して、笑いそうになる口角を引き締めた。
(元々可愛い子だったけど、まさかあんな成長するとは。……もしかして、蒼詠より身長高い? いや、まさか。……うん、体格は負けたけど、身長は負けていないはず……)
月明かりに照らされた横顔は彫りが深く、誰が見ても精悍と言わざるおえない美丈夫に成長していた。その面を飾る茜色の髪は、幼い頃と比べて色味がくすんでしまっていたが、それがまた彼の勇ましさを際ださせている。武人のように鍛え上げられた体躯はまさにかつての自分が憧れていたものだ。
(いいなぁ。本当にうらやましい)
今の自分も、蒼詠も筋肉とは無縁だ。成人前に去勢を施された宦官は、いくつになっても声は女性のように高く、身体は筋肉よりも脂肪がつきやすく太りやすい。蒼詠の頃は病弱すぎて、少しでも動けば熱をだして寝込んでしまっていた。
なので、どれほど筋肉質な肉体に憧れても一生叶わない願いであった。
洗濯物を終えて、ひょろっとした自らの二の腕を突く。前世よりは、と少し期待したが、筋肉はやはり見当たらない。
「いいなぁ」
「なにがいいの?」
思わず呟くと隣にいた風花がきょとんとした目を向けてきた。つい先日の説教があったからか今日の風花はあまり喋らない。無言で業務に集中していたが、生来よりお喋りな気質の彼女は限界だったようで、綺宵の独り言を拾うときらきらと瞳を輝かせる。
「風花、腕が止まっているよ」
「ちゃんとやるわ! それで、なにがいいの? なにか気になるものでもあった? やっぱり、夜警の時? どうだった? 彩王さまにお会いしたのでしょう?! あの彩王さまが一週間も寧徳妃さまの元に通われたって、後宮で持ちきりよ! これって本当なの?!」
矢継ぎ早に投げかけられる言葉たちに苦笑しつつも綺宵は「そうだよ」と頷いた。
「遠くからだから、直接話したわけじゃないいけどね」
「きゃー! どうだった?」
泡だらけの両手で頬を包みながら風花は小首を傾げる。
「みんなが言っている通り、とてもかっこいいお方だった?」
「うん。獅子や虎みたいだった」
「えー、私もみてみたかったぁ!」
むくれる風花を見て、綺宵を苦笑する。
それと同時に安心を覚えた。母親が異民族である龍賢は、鮮やかな髪と瞳という、彩人には決して現れることのない色を宿していた。唯一の理解者である母親が亡くなり、父王からの関心を失った幼い龍賢は周囲に溶け込めず、いつも一人で過ごしていたから気にかけていたのだ。
閉鎖的な国民性ゆえに龍賢は今でも受けいられていないのでは、と心配していたが杞憂だったらしい。
「寧徳妃さまが彩王さまを射止めたのは本当なの?」
「うーん、どうだろうね。一週間も通われているみたいだけど、さすがにそこまでは分からないよ」
肩巾を手に取りながら、綺宵は肩をすくめた。数日も続かなかった彩王の寵愛が、もう一週間も寧徳妃に注がれている。誰かが進言したのではなく、彩王が自発的に足を運んでいる、と後宮に住む誰もが噂話に花を咲かせているのは知っていたが、正直に言うとどうでもいい。
(龍賢は彩王の務めを果たしているだけ。それに、信頼できる人がいるのはいいことだ)
肩巾は繊細な力加減を必要とする。捻り、水分を絞りとれば簡単に後がつくし、破けてしまう恐れがある。細心の注意を払い、肩巾を折りたたみ、ぎゅっと力を込めていると風花が頬を膨らませていることに気がついた。
「どうかした?」
「遠くからしか会えなかったんでしょう」
次に水分を飛ばす肩巾を畳みながら綺宵は頷く。
「それって彩王さまからきぃちゃんの顔が見えなかったし、話したりもしなかったんでしょう?」
「そうだよ。僕が夜警を務めた場所は彩王さまから離れていたし、仕方ないよ」
「もしかしたら昇進の機会だったのに」
「興味ないかな」
「えー、どうして? 昔のきぃちゃんなら〝俺は宦官の頂点に立ってやるぜ!〟って言いそうなのに」
あはは、と乾いた笑いが綺宵の口から漏れる。
「笑い事じゃないわ。だって、彩王さまの目に留まったら、こんなところで洗濯なんてしなくていいのよ。今よりももっと綺麗なお衣裳を着て、もっとおいしいご飯を食べて、もっと自由にできるのに」
両手の指を絡めた風花は、まるで夢みる少女のようにうっとりと両目を細めた。
確かに今よりも官位が高くなれば、その分、給金はあがるし、仕事内容も楽になる。
「僕は、今のままがいいな」
そう、今のままがいい。
地位は低く、他者から「腐れ者」や「騾馬」と嘲笑われようが、あの時のような思いをするならば雑宦のままでいたい。
(権力争いに巻き込まれて、なにもできないよりはマシだ)
前世では皇太子という身分を与えられた綺宵は、身分が高くなれば、高くなるほどやっかみを向けられることを理解していた。どれほど国のため、民のために尽力しようがほんの些細な失敗を糾弾され、王座から引きずり落とされそうになったのは一度や二度ではない。
幸いなことに綺宵は周囲に恵まれていた。身体が弱くても皇太子として、冊立されたのは周囲のお陰だ。
(でも、まさか凌峯が龍賢につくとはなぁ)
前世の乳母兄弟である凌峯は、あまり龍賢のことを好いてはいなかったはずだ。高熱を出して寝込む蒼詠の元に、龍賢は周囲の——得に凌峯——の反対を押し切ってまで通い詰めたことが原因である。
道端で拾った花や綺麗な小石を手土産と称して、龍賢はよく蒼詠の元を訪ねては、長時間居座った。歳の離れた異母弟が懐いてくれるのが嬉しくて蒼詠も気怠い身体を起こしてまで、相手をした。
その結果、熱がなかなか下がらないという事態を何度も引き起こした。
(僕が死んだ後、気にかけてくれたのかな。凌峯は優しい男だし。……ん? どうして、後宮にいるんだ。だって、後宮は——)
背後から足音がした。懐かしい気配に、無意識に綺宵は振り返る。
「お前が綺宵か?」
そこにいたのは今し方、想いを馳せていた人物——凌峯であった。
「話がある。ついてこい」
あの頃とは違い、冷めた目で、鋭い口調で、凌峯は命じた。




