03 夜警
弓のようなしなやかな月が夜空に一人寂しく浮かんでいた。
その下では、凍てついた風が咲き誇る白梅の枝を揺らし、ひらりひらりと花びらを散らしている。その光景は心が救われるほど幻想的で、誰もが思わず見惚れてしまうが、
(聞いてない!!)
綺宵の心は荒んでいた。
(なんで教えてくれなかったんだ!!)
それもそのはずである。寧徳妃の夜警を務めるのはおよそ三日間。騒ぎを起こさず務めきれれば、寧徳妃の癇癪に巻き込まれず、いつも通りの平凡な下っ端生活に戻れるはずだったのに、なんの因果か彩王のお通りが決まってしまった。
(なぜこんな日に限って龍賢は伽の相手に寧徳妃さまを選ぶんだ!)
少し冷静さを取り戻してみれば、林少監が直々に判断しにきた時点でお渡りは決定事項だったのだろう。後宮に務める宦官で健康体は他にも大勢いる。その中から綺宵が選ばれたのは、最低限の礼儀がなっており、受け答えがしっかりしていたからだ。
しかし、後悔してももう遅い。今になって体調不良を申告するわけにはいかない。
(お願いだから問題は起きないでくれ!)
少しでも生き延びるために! 綺宵は心の奥底から願うのだった。
***
中庭に面した回廊を歩きながら、龍賢は眉間の皺を更に深くさせた。これからのことを考えると憂鬱で仕方がない。どれほど極上の女でも好きでもない者と肌を合わせる行為は、考えただけで辟易する。
子は二人もいるのだから、政務だけに没頭していたいがそうもいかない。彩国の王位は男系継承と定められている。伝統をねじ曲げ、国の混乱を招くよりも男児を作ったほうがいい。
(仕方がない。これも全て国のためだ)
そう、全てはこの彩国をより良い国にするためだ。
龍賢の父である先帝は自身が酒池肉林に溺れるためだけに民に重税を強いて、その結果、反乱軍の手によって殺害された。他の兄弟たちも皆、殺害された。龍賢が生き延びたのは、母親が少数民族の出自のため、王位継承権を与えられなかったから見逃されたに過ぎない。
それがどういう訳か反乱軍を率いた男に才覚を認められて、十六を迎える年に彩王に担ぎ上げられた。
「——うん?」
ふと、懐かしい気配がした。足を止めた龍賢は周囲を見渡した。
灯篭が照らす朱塗りの殿舎に、洗練された中庭、ところどころに配置された宦官たち——おかしな点はない。
それなのに、なぜか足を進めることができない。まるで足裏が地面に縫い付けられたように固定され、瞳は誰かを探すように龍賢の意思を無視して忙しなく動いている。
「彩王さま、いかがなされましたか」
近侍を務める魏凌峯は龍賢の顔色を伺った。
「……いや、なんでもない」
龍賢は首を振る。重たい足を動かして、今宵の相手が住む翠瑶宮へ向かおうとした。
——僕はね。この国が大好きなんだ。民にはこの国で生まれ育って、良かったと思ってもらいたい。
春の宵を運ぶ風に乗って、今は亡き異母兄の言葉が耳朶を撫でる。
——だから、僕は彩王となり、民を導く存在にならなければならないんだ。龍賢、君にも手伝って欲しい。
龍賢が殺した、最愛の兄の言葉が。




