22 真意
「……うぅん」
胸が押し潰されているように苦しい。胸の上に置かれた重しをどかそうと腕を持ち上げようとするが、まるで褥に縫い付けられたように動かすことができない。もぞもぞと身体を小刻みに動かしてみれば、重しは蛇のように姿を変えて、綺宵の身体にまとわりついた。
先程よりも強く締め付けられたせいで呼吸すらままならず、綺宵は唸りながら瞼を持ち上げた。柔らかな陽光が照らす室内は、整然としているが見覚えのない内装である。漆塗りの柱は深紅に輝き、天井からは金糸を織り込んだ帳が垂れ下がっていた。褥は贅沢にも絹を使われているようで冷たくも滑らかな肌触りが頬に伝わる。
(あれ? ここって僕の房室だっけ?)
与えられた房室はここよりもこじんまりとしており、柱や壁は眼に優しい茶色で、空間を飾る帳などは存在しなかったはずだ。かといって、彩王の住居である皇鳳殿ほどの華やかさはない。
「……あっ」
昨夜の出来事を思い出した綺宵は飛び起きた。
否、飛び起きようとした。身体に絡まる蛇が力を込めたせいで敵わなかった。
「意地悪はやめてください」
蛇——腕が邪魔をして振り向くこともできないため、綺宵は少し声を張り上げた。
くつくつと喉を鳴らす音が聞こえたと同時に綺宵の身体を拘束する腕が持ち上がる。綺宵は急いで褥から身体を滑らせるようにして床に降りた。急いで身だしなみを整えて、褥で頬づえをつく偉丈夫を軽く睨め付ける。
偉丈夫——龍賢は眩しいものを見る時のように目を細めていた。その目元を彩る隈は昨夜と比べて、薄くなっている。よく眠れたらしい。
「意地悪ではないさ。これは俺なりの優しさだ。榻で寝ていては身体を壊してしまうからな」
「……すみません」
鍛錬を積み始めていても綺宵の身体は軟弱だ。榻の上で一晩過ごせば、腰や背中を痛めてしまうかもしれない。
(全部、優しさってわけではなさそうだけど)
容貌も図体も武人のように勇ましく成長しても、甘えん坊な性格は変わらないらしく、綺宵を閨に引きずりこむと抱きしめるようして眠った。背丈も平均より低く、最近では龍賢が色んな食べ物をくれるため脂肪がついた身体は抱き心地がいいらしい。
(まあ、抱き枕がないと眠れないっていう人はいるそうだし、仕方ないか)
彩王としてその癖は正すべきだが、今まで約束に縛り続けていた罪悪感から綺宵は黙って抱き枕になるしかない。
それに、自分が側にいるだけで悪夢に魘されて、眠れないよりかはましだろう。
「彩王さま、こちらをどうぞ」
寝ている時に凌峯か玉麗が準備してくれたのか、机案の上に置かれていた龍賢の衣裳を手に取る。龍賢は侍女や宦官の手を借りず、自分で着替えるため、差し出すように持ち上げた。
「着せてくれ」
甘えるように言われたので心の中でため息をつく。
「自分以外の着替えを手伝ったことないので、下手くそですよ」
「構わない」
龍賢は立ち上がるとそっと腕を持ち上げた。
「後で怒らないでくださいね」
そう言って、綺宵は腰紐に手を伸ばした。腰紐を解き、軽くまとめると机案の上に置く。次に襟に手をかけた時、龍賢が小さく呟いた。
「昨夜、俺はなにか言っていたか?」
「いいえ、なにも。僕がくる前は魘されていたご様子でしたが」
「……夢を見たんだ」
脱がせた夜着を畳みながら「夢ですか?」と聞き返す。
「ああ、蒼詠皇太子を思い出した」
綺宵は手を止めた。伺うように龍賢を見る。
龍賢は当時を懐かしむように、どこか悲しそうに微笑んだ。
「綺宵は蒼詠皇太子を知っているか?」
「先代彩王さまのご子息であり、彩王さまのお兄さまですよね?」
「そうだ。俺が殺したお方でもある」
硬い声が降ってきた。抑揚が欠けたその声音は、まるで龍賢の心の内を表しているようだ。
綺宵は「知っています」と平静を装って答えた。龍賢が蒼詠を殺害したのは史実として、歴史書に記されているが大衆の意見はさまざまだ。蒼詠をよく知る者はその人柄を絶賛し、そんな男を殺害した龍賢に大して怒りの感情を持っている。蒼詠をよく知らない者——国民の大半は、国を傾けた蕩帝と同様だと思い、それを討ち、国を安定させた龍賢を英雄だともてはやした。
「……蒼詠皇太子が後宮に彷徨っているという噂が広がっている。どうしても、一目でもいい。会って、謝りたくて探していたんだ」
綺宵が衣裳を広げると、龍賢は袖を通した。慣れた手付きで襟を正し、帯を締める。
「蒼詠皇太子さまには会えましたか?」
いいや、と龍賢は首を左右に振った。
「どこにも居られなかった。けれど、昨夜、あの方は会いに来てくれた。〝いい子〟だと言って、あの時のように撫でてくれたんだ。俺を恨んでいないと、俺が約束を守っていることもわかっていてくれた」
堰き止められた想いが次々と吐き出される。感情を整理しようとするが、どうも上手くいかず、まるで子供のように言葉を連ねた。幼子のようだ、と龍賢は自嘲する。
「……僕は、会ったことはありませんが蒼詠皇太子さまは、彩王さまを恨んではいないと思います」
「そう思うか?」
「はい。二十年以上が経ってから幽鬼となってでてくるわけ、ありませんから」
——だって、蒼詠は僕なんだから。
その言葉はすんでのところで飲み込んだ。




