16 高貴妃
凌峯を伴い、中庭に面する回廊を歩いていると前方から華やかな女が多くの侍女を引き連れて歩いているのが見えた。
(珍しいな)
眉は力強く跳ね上がり、頬は元の色が分からないほどに白粉がはたかれ、目尻と唇を彩る赤が目を引く。元の造形が分からないほど、派手に着飾った女の名は高鳳仙。皇后のいない後宮において、貴妃の座を与えられている彼女は頂点と言ってもいい存在だ。
「彩王さま、笑顔を」
ひそりと耳打ちされて、龍賢は慌てて笑みを刷く。どうもこの女が苦手だ。無意識に、いつも顔が強張ってしまう。
龍賢の姿に気がついた高貴妃は揖礼の形でその場で留まった。龍賢は内心でため息を吐きつつ、高貴妃の元へ足早に近づいた。
「楽にせよ。高貴妃よ」
ゆっくりと高貴妃が面をあげる。侍女らもそれに倣う。
高貴妃は目尻を緩ませると龍賢の瞳を見つめた。口元と目元も笑みの形をとっているのに、黒曜の瞳は凪いだ湖面のように感情を映さない。それが妙に不気味だと龍賢は思った。
「ごきげんよう。龍賢さま」
派手な容貌からは想像つかない鈴を振ったような可憐な声が発せられる。
(久しぶりに声を聞いたな)
高貴妃は身体が弱いのか入内した当初から体調を崩しがちだった。特に季節の変わり目は本調子ではないらしく、今の時期は殿舎にこもっているため催事への参加も夜伽も免除されている。
「散策か? 体調は大丈夫なのか?」
「ええ、いつも宮に閉じこもっていては良くなりませんもの」
高貴妃はにっこりと微笑む。どこか人形めいた笑みだ。
「今日は身体の調子がよく、医官からの許可がおりたので近くを散策をと思いました」
そっと視線を中庭に向ける。
つられて龍賢も中庭を見つめた。庭師が丹精込めて手入れを行っている中庭には可愛らしい梅の花が蕾を綻ばせようとしている。あと二日もしないうちに満開の花を咲かせることだろう。
(綺宵を連れて、花見酒というのも一興だ)
凌峯も、墐章も。あと信頼できる侍女たちも呼んで身内だけで楽しむのもいいだろう。
そう考えていると口角が持ち上がっていたのか高貴妃は楽しそうに指摘してきた。
「噂を耳にしました。龍賢さまは今幼い少年を手元に置いているだとか」
ぎくり、と身体を強張らせる。幼い少年とはおそらく綺宵のことだ。宦官を寵愛することを妃嬪を含むその他大勢に諌められるのはどうとも思わないが、高貴妃は別だ。なぜか、この女の前では弱みは見せたくない。
「わたくしも一度お会いしてみたいですわ。龍賢さまが大切になさっている、少年を」
「……お前が考えるような関係ではない」
思わず否定する。一寸たりとも高貴妃が綺宵に興味を持たないように願いながら。
「ふふっ、そんなに警戒なさらないでくださいませ」
高貴妃は口元を袖で隠して、くすくすと笑う。
「わたくしはただ、寿華と歳が近いのなら話し相手にどうかと思っただけですわ」
「彼は十六歳だ。寿華とそこまで歳は近くない」
「あら、寿華はもう十五になりますわ。一年と少し、十分近いと言えませんか? きっと良い話し相手となりましょう」
こてん、と小首を傾げられて龍賢は顔をしかめる。
直後、背後から凌峯が小声で咎めてきたので顔を引き締めた。
「寿華はもう十五になるのか」
「ええ。やっとお転婆もなりをひそめましたの。ぜひとも会いにきてあげてくださいな」
「俺は嫌われていそうだが」
「ふふっ、年頃の娘というのは父を毛嫌いするものですよ。わたくしも覚えがございます。寿華も大人になりました。昔、龍賢さまに投げかけた言葉にひどく反省しています。だから、一度でもいいので会いにきてくださいませ」
「時間を調整しておこう」
「ええ、約束ですよ。その際はぜひ龍賢さまが大切にしている宦官の少年もお連れになってくださいませ。おいしいお菓子を用意しておきますわ」
気が向いたらな、と返して回廊を進む。
間をおかず、高貴妃は思い出したように声を弾ませた。
「聞きまして、龍賢さま」
「なにをだ」
足を止めた龍賢は振り返りながら問う。
「今、後宮内でひとつの噂がたっているのです」
噂? 龍賢は首を傾げた。
「つい先日、後宮に幽鬼がでたそうです」
「幽鬼?」
「ええ、夜警か火の番か、女官たちが後宮を歩いていた際に男性の幽鬼をみた、と」
くだらない、と思った。後宮に心霊話はつきものだ。どうせ葉の陰が男にでも見えたのだろう。
「身長はおよそこれぐらいでしょうか?」
高貴妃は袖を押さえながら手を持ち上げた。示す身長は龍賢の肩上ほどだ。
「左の目尻に二つ並んだ黒子がある優しい顔立ちの男性らしいですよ。それも黄色の袍を着ていたとか」
黄色は禁色に定められている。着用を許されるのは彩王と皇太子の二人のみ。
今現在、皇太子はいない。つまり——。
「それは本当か」
「さあ、わたくしも噂を耳にしただけですので。真偽はともかく、龍賢さまに伝えたほうがいいと思っただけですわ」
「そうか、……後で道士を手配しておこう」
高貴妃は両目を丸くさせた。
「あら、よろしいのですか? 蒼詠さまかもしれませんのに」
「蒼詠皇太子が今更化けてでてくるなどあり得ない」
硬い声で龍賢は否定する。
「俺が彼を殺したのは、もう二十年も昔だ」
もし、蒼詠が自分を恨んでいたのならば、きっともっと早く化けていたことだろう。




