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【BL】転生皇子の後宮生存録  作者: 荻原もも


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14 幽鬼


 深夜。手燭を持った女が二人、後宮の一角を歩いていた。


「はあ、寧徳妃さまも困ったもんね。大丈夫かい? ほっぺた、だいぶ深く切れたんだろう。まだ治らないのかい?」


 年嵩《としかさ》の女官は心配そうに眉を寄せると隣にいた若い女に目配せを送る。つい先日、徳妃付きの侍女から女官に降格した女は、瘡蓋《かさぶた》となった頬を指先で撫でながら愛想笑いを浮かべた。


「ざっくりいったから治るまでもう少しかかると思うわ。寧徳妃さまのお怒りはもっともだわ。彩王さまのお通りがなくなったのだから」


 ——徳妃が彩王の寵愛を一身に受けている。

 つい先日まで後宮を賑わせていた噂を口にする者は、今は誰もいない。あの彩王が一週間も寧徳妃の宮に通っていたのは事実だが、すぐに飽きたのか今は別の人間を寵愛していた。妃嬪でも宮女でもない、宦官——それも宮刑を受けた罪人を。

 今はその噂で持ちきりだ。その宦官は後宮の美姫に負けない美貌を持っているだの、あらゆる知識に秀でているだの、舞を踊らせれば宮妓《きゅうぎ》よりも華やかだの。

 噂の真偽を確かめたくても彩王が己の殿舎で囲っているため、誰も件の宦官の顔や人柄は知らない。

 そのため、噂は噂でしかないという声もあがるが彩王を知る者達はこぞって首を振った。


「素敵なお方なのでしょうね。彼をそばに置いてから彩王さまが幸せそうだとみんな言っていたわ」

「それを許さない者が多くいるっていうのが心配の種さ」


 若い女官は表情を曇らせた。


「その宦官さんは大丈夫なのかしら……」


 さあね、と年嵩の女官は肩をすくめる。


「子供を孕《はら》むことがないから、他の女に手を出されるよりかはマシだと安心なさっているお妃さまもいるけど、邪魔だと思っているお妃さまもいるのは事実さ。現に寧徳妃さまはたいそうな暴れようだったんだろう?」

「……ええ、とても。今まで一番ひどかったわ」

「そりゃあ、寵妃だってもてはやされた早々に寵を失なっちまったからねぇ」

「あの一週間は良かったわ。ずっとご機嫌で、癇癪起こして物や人間に当たらなかったもの」

「今はまたご機嫌だって聞くけど、やっぱりご懐妊したからかい?」

「どう、かしら」


 若い女官は言葉を濁した。寧徳妃の懐妊は事実だが、まだ箝口令《かんこうれい》が敷かれているため、口にはだせない。


「いいって、みんな知っているから。あれだけひどい癇癪持ちが穏やかな顔で腹を撫でていたら馬鹿でも分かるさ」


 そのひどい言い草に若い女官は乾いた笑みを浮かべた。

 実際に寧徳妃は後宮で一番嫌われているといってもいい。侍女だけではなく、下級妃嬪や女官、宦官ですら八つ当たりの対象にするためだ。それでも寧徳妃の後ろ盾が大きいため、誰も盾付けない。


「御子が生まれても彩王さまの寵が元通りにならなければ、寧徳妃さまがまた怒りだすだろうね。それまでに高貴妃さまが戻って来てくれればいいんだけどね」

「高貴妃さまが戻られたら別の意味で寧徳妃さまはご機嫌を損ねそうね」

「でも、逆らえないんだろう? 高貴妃さまんとこの方が立場は上だし、なんたって皇女《ひめ》さまがいるんだから」


 豪商として財を成した寧家は、大金を叩いて高官の娘を嫁に貰ったり、婿養子として息子を与えたりして、その家門をより大きくしていった。

 対する高家は建国当初から続く由緒正しい家柄で、数々の高官を輩出していた。高貴妃の父は中書省《ちゅうしょしょう》の長官——中書令を務め、母は先々代彩王の孫にあたる。


 そして、後宮に住む女は子の有無が重要視された。男児でも女児でも子を産んでいれば、新たな彩王が即位する際に土地と地位を与えられる。子がいない妃は道観に入り、再婚すら許されず、朝から晩まで祈りを捧げなければならない。

 高貴妃には今年で十五歳となる第一皇女——寿華《じゅか》がいる。


 そのため、家柄も後宮での立場も寧徳妃より格段に上のため、寧徳妃が問題を起こせば、その度に諌めていた。


「寧徳妃さまはお腹の子が男の子であると思い込んでいるわ。家柄は上でも寿華皇女さまは王位を継げない女の子ですもの。寧徳妃さまが男児を産めば、皇后に召し上げられるでしょうね。そうなれば、高貴妃さまより立場は上になるわ」

「無事に産まれればいいんだけどね。あの方、色々と恨みを買われているだろうし、今までご自分が蹴落として傷付けた人たちから——ん?」


 年嵩の女官は足を止めると前方に手燭を掲げた。


「どうかしたの?」

「いや、なにかいた気がしてね」

「えっ、怖いこと言わないでよ!」


 若い女官は自らの腕を摩《さす》りながら目を凝らした。回廊に面する中庭は日中の喧騒が嘘のように寝静まっている。自分たち以外の宮女や宦官が夜警に配置されたとは聞いていない。

 だから、誰もいないはずだ。


 そう、いないはずだった。


「……男?」


 夜気を運ぶ風が枝を揺らす音が聞こえた。しなやかに揺れる枝の下に佇む一人の男の横顔を、仄かな月明かりが照らしている。生者とは思えないほどその肌色は悪い。虚《うつ》ろな眼差しは何を映しているのかわからない。

 風が強く吹いた。女官たちが瞬きをした時、男の姿はそこにはなかった。


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