13 寧玲琳
寧玲琳の頭は今にも沸騰する寸前だった。
否、もう沸騰していると言ったほうが正しいかもしれない。
その証拠に徳妃に与えれれた殿舎の一室は嵐が通り過ぎたように荒れ果てていた。壁に飾られていた名だたる画家が描いた山水画は無惨にも切り裂かれて、大金を叩いて購入した異国の壺は粉々となり敷布の上に散らばっている。美しい意匠に惹かれて何度も愛用した簪は捻じ曲がり、櫛は折れて、かつて頸飾として輝いていた青玉が四方に転がっている。
その側では頬を抑えた侍女が恐怖に染まる目で、泣きながら玲琳の見つめていた。
「なによ!! 私が悪いというの!?」
金切り声をあげながら椅子の背もたれを掴むと侍女目掛けて投げつける。重量があったため、椅子は侍女の手前に落ちて大破した。
侍女が悲鳴をあげる。その声と、侍女に当たらなかったことが頭に来て、玲琳はあたりを見渡した。自分でも投げれて、なおかつ侍女を傷つけるのに十分な凶器を探していると恰幅のよい身体を持つ侍女頭が顔を青くさせながら、年若い侍女を守るように前に進みでた。
その行動でさえ、癇に障る。
まるで玲琳が悪いとでもいいたいのだろうか。悪いのはこの侍女だ。玲琳が望む返答をくれず、玲琳の望みも難しいと跳ね除けた女が全て悪い。
だから、玲琳は悪くない。自分を怒らせた者が悪いのだから。
「なに、あんた、私になにを言おうというの?」
凄んで問えば、侍女頭は揖礼を捧げる。
「恐れ多くも申し上げます。興奮するとお身体に障りますゆえ、どうか落ち着いてくださいませ」
「はあ? それがなんだっていうのよ!」
灰を撒き散らしながら床に転がった香炉を拾い上げ、投げようとした時、侍女頭は大きな声で「御子が!」と叫んだ。
「母体に負荷が掛かれば、御子の命にも関わります」
「……御子?」
玲琳の手から香炉がこぼれ落ちて、床にぶつかり、細やかな破片を飛ばした。侍女頭は慌てた様子で玲琳に駆け寄ると怪我がないか手や足を確認する。
「かすり傷でもそこから悪い気が入り込みます。お怪我は……ああ、お手が真っ赤に。おいたわしい。誰か、医官を呼んで! あと、水を持ってきてちょうだい。早く冷やさなければ痕になってしまうわ!」
心配そうに侍女頭は背後を振り返り、一塊になり震えている侍女の群れに声をかける。主人の怒りに触れるのが恐ろしくて動けないでいたが、再度、侍女頭が声をかけると蜘蛛の子を散らす勢いで房室からでていった。
「……子がいるというの?」
その場に残された玲琳は、自らの腹部を撫でながら呆然とした声音で侍女頭に問いかけた。布越しからでも真っ平な腹に赤ん坊がいるとは思えない。
「ええ、きっと。月のものが遅れているのは、玲琳さまがご懐妊あそばされたからに違いありませんわ」
侍女頭は玲琳の手を引いて、榻へと導きながら答えた。その表情はどこかぎこちなく、声音も震えている。務めて冷静に、主人の癇癪を落ち着かせるため、思ってもない言葉を連ねた。
「玲琳さまは彩王さまに唯一、愛されたお方ですもの。なにも不安がることはございません」
「……そう、よね。きっと、そう。だって、私は彩王さまのお気に入りだもの」
玲琳は愛しげに腹部を撫でながら、真っ赤な唇を持ち上げる。
だって、自分は彩王の寵妃だ。三日も同じ妃の元へ通わなかった彩王が一週間も玲琳の元に通ってくれた。一週間という長い日数、玲琳は彩王を独り占めした。
「宦官が珍しいから、今は私の代わりに側に置いているのよ」
今現在、彩王が寵を注ぐ宦官は見た目が美しいだけ。
そう、顔立ちが美しい、ただそれだけだ。玲琳の方が華やか美貌を持っていて、性格もよく、家柄も、全てが極上なのだから心配する必要はない。
「飽きたらきっと私のもとに帰ってきてくれるはず。だって、私は彩王さまに愛されているのですもの」
「その通りでございます。玲琳さまこそ、国母となられるお方ですわ」
「ふふっ、楽しみね。いつ産まれるのかしら?」
玲琳はお腹を撫でながら微笑んだ。頭が沸騰しそうなほどの怒りは消え去り、代わりに穏やかな感情が胸の内を支配する。普段なら回廊から聞こえる足音ですら怒りを感じるのに、今の玲琳にとってはその足音は自分に幸福をもたらすものだと思った。




