12 大切な主君
「……ずいぶんと入れ込んでおりますね」
呆れ果てた凌峯の声が降ってきたことで、龍賢はそっと瞼を持ち上げた。少し顔を持ち上げて凌峯を見れば、声と同様に表情にも呆れの色が浮かんでいる。どうやら寝過ぎたようだ。
「おはよう。もう昼か」
「ええ、いくら休みとはいえ、寝すぎではないでしょうか? 昨夜は眠れませんでした?」
起きあがろうとした時、腕に不自然な重みがあることに気が付いた。衾を持ち上げて中を覗き込めば、黒髪が入りこむ。目を背けたくなるほど痩せ細った身体を猫のように丸めこみ、くぅくぅと寝息をたてるのは昨夜から夜警を命じた少年——綺宵である。
衾が持ちあがり、春先の冷たい風が入り込んだからか綺宵は身体を震わせて更に身体を丸めた。その光景に思わず、龍賢は口角を緩める。
「すまないが窓を閉めてくれ」
小声で凌峯に頼むと衾を元に戻した。
凌峯はわざとらしくため息をつくと窓を閉めに向かう。
「よく眠れたよ。快眠といっていい」
「それはなによりでございます。顔つきもずいぶんとまあ、穏やかで安心いたしました」
「夜にたっぷりと寝たはずなのに、二度寝を楽しんでしまった。この子は不思議だ」
衾から覗く髪を指先で梳く。手入れがされていない髪は指通りが悪く、ごわごわとしていた。
(蒼詠にいさまもよくこうしてくれたな)
亡き異母兄の手を思い出しながら、綺宵の髪を梳いていると凌峯が目を見張っているのに気がつく。
「どうした?」
「今の表情、蒼詠さまとそっくりだと思いまして」
嬉しそうに、そして泣きそうに凌峯はまつ毛を伏せる。
「……そっくりと言われたのは初めてだな」
父親が同じだから似ていても不思議ではない。
けれど、龍賢と蒼詠はまったくもって似てはいなかった。容姿も性格も、全てが正反対。鏡を見るたびに異母兄に似ている箇所がないか、とよく探したものだ。
「いけすかない小僧であったあなたさまを慮る蒼詠さまの横顔と、そのいけすかない小僧を慈しむあなたさまの横顔はそっくりですよ」
「俺はいけすかない小僧だったのか」
はっきりした物言いに龍賢は苦笑する。確かに凌峯にそう思われていても不思議はない。大人になってから異母兄に対する自身の振る舞いを思い返すと顔から火がでそうになるほど、ひどいものだった。
「ええ、もちろん。熱で魘されておられる蒼詠さまを叩き起こして無理させたことも、深夜に星がみたいと連れ出して風邪をひかせたことも、気色の悪い虫を見てもらおうとして、あの方のお肌を荒れさせたことも、他にも全て、あなたさまが行ったことは余すことなく、覚えています」
「あー、わかった。すまない……」
「いえ、まあ、蒼詠さまも楽しんでおられましたし、巻き込んだことはまだ許せてはおりませんし、これからも許せませんがいいのです」
そう言うが目はまったく笑ってはいない。龍賢は唇を引き攣らせた。
「その小僧もいけすきませんが、これがいれば彩王さまは安眠することができるのでしょう?」
「不思議だよな。どこか蒼詠にいさまを思い出して、懐かしい気持ちになる」
凌峯は不快といいたげに片眉を持ち上げる。
「蒼詠さまはそのような低俗な人間ではございません」
「綺宵は低俗ではないさ」
「いえいえ、蒼詠さまと比べたら私もあなたさまも、その他、全ての人間が低俗です」
「お前は本当に蒼詠にいさまが大好きだな」
「当たり前でしょう。あのお方があなたさまを守ってやってくれと頼まなければ、宦官などになりませんでしたよ。退職金をもらって、今頃は悠々自適に生活していたことでしょうね」
「その道を潰えさせてまで、俺を支えてくれてありがとう」
「言葉でのお礼はけっこう。代わりにこの国をよくしてくださいませ。蒼詠さまの望みを叶えてくださるのなら、私は宦官にでも、奴婢にでも、この身分を落としましょう」
仰々しい態度で凌峯は膝を折る。
「そのためにあなたさまにはゆっくりと休んでいただく必要がございます。休息は心身を休ませるのにもっとも効率的ですから。だから、その小僧が必要ならば、私は喜んでお守りいたしましょう」
「俺は幸せものだ。……近侍に護衛、侍女に宮女、たくさんの人間に支えられるとは、幼い頃は考えもしなかった」
「嫌われておいででしたものね」
そうだな、と素直に顎をひく。
今現在、龍賢を支えてくれる人々は皆、異母兄に忠誠を誓っていた者たちだ。異母兄の意思を継ぎ、異母兄の願いを叶えるために龍賢についてくれた。志を共にする同胞たちの顔が脳裏を過り、龍賢は笑う。
「今も俺のことが嫌いか?」
「いいえ、まさか。蒼詠さまの代わりを務めようとするお姿に我らは胸を撃たれました」
「そうか、撃たれてくれたか。ならば、これから先も俺を支えてくれ」
「御意の通りに。——しかし、よく眠っていますね」
凌峯は未だ眠り続けている綺宵を見下ろした。極力声は抑えているがこれだけ耳元で会話されて、よく起きないなと思った。
「疲れたんだろう。急に夜警を命じられたのだから」
「……ぐっすり眠っている姿は、まだ可愛げがありますね」
「普段も可愛らしいと思うがな」
「しかし、髪も手もひどい荒れようですね」
「ああ、それで薬を用意してくれないか。綺宵の分だけではない、尚服に務める者はおそらく同じような手をしているだろう。他にも怪我をした者がいれば別費で薬を用意してやってくれ」
「そんなもの自分で用意させればいいのです。昔と違い、給金もたっぷりともらっているでしょうから」
「家に送金していれば、手元にはあまり残らないさ。よろしく頼んだ」
凌峯は肩を落とした。
「ずいぶんとまあお優しいですね」
「蒼詠にいさまもきっとこうしたさ」
いえ、と思い出に浸るように凌峯は両目を細める。
「実際に薬を渡していましたよ」
彼は公平な人物だった。どんな立場の人間でも傷ついた者を放っておけない、優しさの塊だった。
龍賢の行動に、彼の面影を照らし合わせるたびに凌峯は思う。
——彼を支えられてよかった。
と。そう思っているのは自分だけではないだろう。




