11 王命
通された房室は厚い朱塗りの柱に囲まれ、天井からは幾重にも紅い絹の帳が垂れていた。開け放たれた窓から入りこむ風が、帳に映る人影をゆらゆらと動かした。
「お前のおかげで昨夜はよく眠れた。感謝する」
帳の奥から投げかけられた言葉に、綺宵は「はい」と笑みを返す。
「彩王さまが安眠することができのならば、私も嬉しいです」
「違う」
「なにがでございましょう」
帳に映る影を見つめた。表情は分からないが、口調は柔らかいことから、彼が怒っているわけではないと判断する。
「〝僕〟と」
「はい」
「墐章の前では〝僕〟と呼んでいたな」
綺宵は肩を跳ねさせる。その一人称は蒼詠のものだ。龍賢を含む、自分よりも立場が上の人間の前では〝私〟を心がけていたのに、油断してしまい使用してしまった。
容貌も経歴も、全てが蒼詠と違う。第一、前世の記憶を持ち生まれ変わったなどあり得ない。綺宵は心の中で自分に言い聞かせる。
「他の者がいれば喋りにくいだろうが、できれば一人称も口調も普段通りにしてくれ、と言ったら悪い気分になるか?」
「いえ、なりません」
「……彩王の前だと普段通りは難しいか」
「いえ、それは……」
「もう少し肩の力を抜いても問題ないと言いたかっただけだ。俺と凌峯、墐章の前では、誰も気にしない。墐章だって、普段はもっと砕けた言葉遣いだ」
それと、と龍賢は続ける。
「いつまでそこにいる」
「えっと」
「こちらに来なさい」
帳を捲り、臥台に腰掛ける龍賢に近づいた。
少し離れた場所で足を止めると「もっと」と言われたので、一歩一歩、ゆっくり距離を近づける。膝が触れそうな距離まで近づけば、龍賢は腕を伸ばした。
古傷が浮かぶ手は綺麗とは程遠い。綺宵の頬を撫でるたびにささくれが引っかかり、痛くはないがむず痒くなる。龍賢の手は頬の輪郭を確かめるように撫でたと思えば、親指で目尻から目頭まで辿り、鼻筋をおりて、唇へ。唇の形を指先で辿り、感触を確かめる。
「確かに肌も髪もカサついているな」
昨夜の会話を聞かれていたらしい。
(もしかして、閨の相手とか話していたのも聞かれた?!)
綺宵は顔を真っ青に染める。夜警に集中でず軽口を叩くのはもちろんだが、その内容が彩王への侮辱となれば刑罰を与えられてもおかしくはない。なぜ、自分だけ呼び出したのか謎が解けた綺宵は弁明のため唇を開く。
「申し訳ございません! 彩王さまの眠りを邪魔してしまいました」
「いや、大丈夫だ。俺は《《血》》ゆえか、耳が少し良くてな」
綺宵の頬から手を離すと、龍賢は自らの耳を軽く叩く。
「墐章が珍しく楽しそうだったから聞き耳をたててしまった。すまない」
「いえ、あの、すみません」
「なぜ謝る?」
「僕、いえ、私、失礼なことを口にしてしまったかもしれなくて……」
「〝僕〟でいい。それに失礼なことを口にしたのは墐章のほうだ。お前は気にするな」
やはり会話は聞かれていたようだ。気まずくなって、視線をそらそうとした時、ふっ、と龍賢が口角を緩めるのが見えた。
「墐章は腕は確かだし、懐に入れた相手には甘い。安心して頼りなさい」
次に龍賢は綺宵の手をとった。手首から肘、肘から二の腕の感触を確かめて、その細さに眉をしかめる。そして、また手首に戻ると肉付きが薄い手のひらの厚さに驚きながら、赤切れが目立つ関節と指先を見て「ひどいな」と呟いた。
「あとで凌峯に薬を持ってこさせよう」
「ありがとうございます。あの、すみません」
ちら、と伺うように海色の瞳を見る。
「あの、それでどうしてわたし、……僕は呼ばれたのでしょうか?」
その問いかけに困ったように龍賢は頬を掻く。
「異動したばかりだから数日は休みを与えるつもりだったんだが、りょ——あー、まあ、少し反対意見がでてな。初日から勤めてもらうことにしたんだ。いつもは昼仕事だろう? それが急に夜になったから寝不足になっていないかと心配でね」
「凌峯さまに昼寝の時間をいただいたんです。なのでご心配には及びません」
「それならいいのだが……」
釈然としない様子で龍賢は綺宵の目尻を撫でた。
「隈ができている」
「すぐになくなります」
「眠れない辛さはよく知っている」
だから、と龍賢は腰を浮かせた。
綺宵の腕を掴み、肩を押すと褥に横たえる。柔らかな感触を背中に受けながら、綺宵は目を丸くさせた。
「あ、あの、これって?」
「ここで休みなさい」
思わず大声がでそうになった。
だって、ここは彩王の臥室である。本来なら下級宦官である綺宵が立ち入ることは許されない禁域。その中で彩王のみに就寝を許された臥台で眠るなんて鞭打ちどころか梟首刑に処されてもおかしくはない。
立ちあがり、頭を下げようとした綺宵を、龍賢は肩を掴んで止めた。指先にはほとんど力がこもっていないのに一寸も起き上がることができない。貧弱すぎる己が身体に苛立っていると、その形相がおかしかったのか龍賢が小さく笑った。
「凌峯たちが俺のために安眠できるように色々試行錯誤してくれてな。ここの方がゆっくり眠れるはずだ」
言われた通り、寝具は絹で肌触りもよく、中に詰められた羽毛はふわふわだ。焚かれたお香も爽やかで甘く、夜警明けの綺宵の眠りを誘うには十分。正直に言うとこのまま眠ってしまえば、いい夢が見れるに違いない。
それでも、常識がここで寝てはいけないと訴えかけてくる。
「そんなに嫌か?」
「嫌、というよりも僕のような宦官が彩王さまの臥台で眠るのは……」
「なるほどな。ならば、こうしようか」
いうや否、龍賢は衾を持ち上げて大きな身体を潜り込ませた。逃げ出そうとする綺宵の腰を抱き止めると、引き寄せる。
「綺宵、命令だ」
命令という言葉に綺宵は身体を強張らせた。
龍賢は笑いを含む口調で続ける。
「俺は寝る。その間、お前は俺の抱き枕となれ」
どんなにふざけた命令でも彩王の言葉は絶対だ。綺宵は消え入りそうなほど小さく掠れた声で「……はい」とだけ返事を返した。




