10 お気に入り
東の空が白んできた。遥か遠くで輝きだす山陵を眺めながら、初任務を無事に終えた綺宵は安堵から肩を落としながら回廊を歩く。
「はあー! 無事に終わったな!」
馴れ馴れしくも肩に腕を回しながら墐章は眩しい笑顔を向けてくる。夜警の時とは打って変わって、疑心に濁っていた目が嘘のように晴れやかな色を帯びていた。
「本当に。何事もなくてよかったです」
「おいおい、俺たちの仲なんだし、そんな敬語やめてくれよ」
「けど、墐章さまの方が年も上だし、立場も上です」
「いいって! ほら、俺たちはこれから仲良く彩王さまをお守りするんだから、な?」
友と認定されたのは嬉しいが、必要以上に他人と密着したことのない綺宵は返答に困る。普通の友達というのが分からない。だが、好意を無碍にしてはこの後に差し支えがあるかもしれない。そう判断した綺宵は人好きのする笑みを浮かべて、上背のある墐章を見上げた。十六歳の少年らしく、無邪気さを装って。
「ありがとう、墐章さん。少しでも早くお役にたてるように僕も頑張るね」
「お前はそのままでいいよ。俺がその分、鍛えてあのお方を守ればいいだけなんだから!」
からからと豪快に笑う姿に、綺宵が目を細めると「おはよう」と背後から声を投げかけられた。振り向こうとした綺宵の頭を押さえつけて、墐章は流れるように言葉を操る。
「おはようございます。昨夜は深くお眠りいだけたようで、なによりでございます」
先程までの軽口が嘘のように、墐章は敬語を操る。
頭を押さえる手がなくなっても、その隣で綺宵は頭を下げ続けた。陽光を弾く黄袍が視界に入り、墐章が話す相手が龍賢だと知ると更に深く頭を下げる。
「二人とも、顔をあげなさい」
許可がおりた。二人は揃って顔をあげた。
穏やかな微笑を称えた龍賢の顔を見て、墐章は目尻をゆるめる。形相を変えるほどに色濃い隈がないことに内心、ほっとする。
「これから朝餉か?」
「その前に綺宵に稽古をつけようと考えております」
墐章の視線を受けて、綺宵は小さく頷く。
龍賢は、顎に手を添えると「そうか」と笑う。
「それはいいことだが、お前は手加減ができない。綺宵は異動を命じたばかりだ。慣れない夜警で疲れているのに、無理に扱くのは体調を崩す要因にもなる」
「ああ、それは確かに」
「今日はゆっくり休ませてやってくれ」
「そうですね。これから機会はたくさんありましょう。今は彩王さまのお言葉通り、身体を休めることを優先させます」
「それで、綺宵を借りてもいいか?」
「ええ、わかりました」
え、と声が漏れ出そうになるのを綺宵は堪えた。今の会話からどうして自分を借りるに繋がるのか分からず、混乱していると、墐章が肘で脇をつつく。
「は、はい。もちろんでございます」
上擦った声で答えると龍賢は踵を返した。
「綺宵、こちらへ」
名指しで呼ばれた綺宵は慌てて黄袍を追いかけた。
***
回廊に響く足音が聞こえなくなり、揖礼を解いた墐章は、無人の空間を眺めながら頬を掻いた。尊敬する主人が一人の少年を連れてきた時は驚いたが、蓋を開けてみれば少年の存在は千金にも値する価値があった。
(あれだけ穏やかな彩王さま、久しぶりにみたな)
長らく不眠症に苛まれていた主人——龍賢はいつも辛そうだった。
他人に当たることはせず、いつも一人で耐え忍ぶ姿を間近で見守ってきた墐章は自分の不甲斐なさを何度も呪った。ない知恵を振り絞り、安眠をする方法を調べては、凌峯に伝えて実践してもらったがどれも効果がなかった。
それが、あの少年が来ただけで龍賢は眠れた。
いつもは魘されて苦しそうな時刻も昨夜は訪れなかった。少年が持つ未知の力か、そんなものはどうでもいい。主人が安眠できるなら、墐章は守るだけだ。
「やっぱお気に入りじゃん」
墐章の独り言が誰もいない回廊に溶けていった。




