27-7 生かす理(ミチ)は神示よむことぢゃ
ひふみ神示 第二十七巻 春の巻 (昭和27年旧 1月1日(新 1月27日) - 2月15日) (全60帖)
第七帖
ことわけて書きおくから、迷はんように。人民の理(ミチ)歩んで呉れよ。
何も彼も嬉し嬉しとなる仕組、人民に禍ないのぢゃ。
不足ないのぢゃ。
いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組ぢゃぞ。と申しても、心で判っても、
今の人民には判るまいから、更にこと分けて、こまかに説いてきかすぞ。
理(ミチ)しるべをつくりおくぞ。これがよろこびの理(ミチ)ぢゃ。
人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび。
人民と申すものは神の喜びの全き現れであるぞ。
いくらけがれても元の神の根元神のキをうけてゐるぞ。
それを育てることぢゃ。導くことぢゃ。
死なんとする人助けるのもその一つぢゃ。
宿った子殺すことは、人民殺すことぢゃ。
今の人民 九分九厘は死んでいるぞ。
救へ、救へ、救へ。おかげは取りどくぢゃ。
生かせよ。生かせよ。
生かす理(ミチ)は神示よむことぢゃ。
「理しるべをつくりおくぞ。これがよろこびの理ぢゃ」
”理しるべ”とは、おそらく神示のことです (ᐢ ᵕ ᐢ)。
「人民と申すものは神の喜びの全き現れであるぞ」
これは他帖の文が参考になります。
「人間は罪の子でないぞ。喜びの子ぞ。神の子ぞ」
「人は神の喜びの子と申してあらう。人の本性は神であるぞ」
「宿った子殺すことは、人民殺すことぢゃ」「今の人民 九分九厘は死んでいるぞ」
”宿った子”とは、おそらく神の魂(キ)だと思います。
「いくらけがれても元の神の根元神のキをうけてゐるぞ」
それを失っているので、「今の人民 九分九厘は死んで」になるかと。
それを取り戻すには、どうやら神示を読む以外になさそうです (ᐢ ᵕ ᐢ)。




