↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の日キ帖(ひふみ神示)  作者: 最愚最弱者(さいそこびと)
PR
40/41

31-33 大の虫・小の虫

ひふみ神示 補巻 月光の巻(昭和33年12月25日 - 昭和34年3月2日) (全62帖)

第三十三帖


まことから出たことは誰のねがひも同様。

心配せずにドシドシと進めて下されよ。


若(も)し行き詰ったら省(かえり)みよ。

行き詰った時は大きくひらける時ぢゃ。


ぢゃと申して ひとこころで急ぐでないぞ。

急ぐと道が見えなくなってくるぞ。


そなたの考へて御座ることは自己中心でないか。

われよしの小さいわれよしではならん。大きなわれよし結構ぞ。


ぎせいになることを尊いことぢゃと申してゐるが、

ぎせいに倒れてはならん。


己を生かす為に他を殺すのもいかん。

己殺して他をいかすのもいかん。


大の虫を生かすため、小の虫を殺すことはやむを得んことぢゃと申したり、

教へたりしてゐるが、それもならんぞ。


総てを殺さずに皆が栄える道があるでないか。何故に神示を読まぬのぢゃ。


「われよしの小さいわれよしではならん。大きなわれよし結構ぞ」

 これは「小さいわれよし」が我のみ良しで、「大きなわれよし」が我も皆(全体)も良しです。


 また、以前の話数で紹介した


 「今の政治はむさぶる政治ぞ、神のやり方は与へぱなしざぞ」(『18-3-1 (三九九)』)

 「取り上げたもの何にもならんのぢゃ、ささげられたものだけがまことじゃ」(『18-3-2 (三九九)』)


 は、”小さな皆よし”(皆と言ってもほんの一部の者だけです(ᐢ ᵕ ᐢ))と云えるのかも知れません。

 それは年貢やお金を取る事により、多くの個人が苦しめられ、集められた物もそれをいかに私(わたくし)するかが最大の焦点だったりします (ᐢ ᵕ ᐢ)。

 ※「神に供へられたものは、私することならん」『2-31 (七三)』の真逆です

 

 そもそも集める事により、個人が苦しんで(最悪、飢死等)は元も子もありません。

 集めたのなら個人個人が持っているよりも良い状態(→豊か)になる様に、全体はすべきなのです。

 そうなれば、個人は喜んで差し出します。

 なぜなら、自身で持つよりも豊かになるからです。


 例えるなら、「より利子がつく銀行の預金にお金を預ける」になるでしょうか (ᐢ ᵕ ᐢ)。

 「この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ」です。



「大の虫を生かすため、小の虫を殺すことはやむを得んことぢゃと申したり」

 上記の大の虫・小の虫の話でとても印象的な政治家さんが居ました。


 それは、かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』にて

 「大の虫の為に小の虫を犠牲にする事を致し方なしとは思わない。私は全員が助かる方法を模索し続ける」

 といった内容だったと思います (ᐢ ᵕ ᐢ)。


 ある意味、究極の理想論とも云えますが、私も嫌いではありません(選挙に受かる為だけのでまかせでなければ(ᐢ ᵕ ᐢ))。


 そうして、このひふみ神示にめぐり合います。

 ひふみ神示は今まで紹介した様に、とても理想的でかつ現実的です (ᐢ ᵕ ᐢ)。


 今の現状をまずは受け入れ、そこを足場として悪い所を直すだけでなく、善い所もそれに満足せず更に良くなる様に努(つと)める。

 ただ、それは一歩ずつです。登山で打ち込んだ金具を足場として、また次の足場となる金具を打ち込む様に、一段ずつ上(のぼ)って行けと仰(おっしゃ)られます。


 おそらく、ひふみ神示はこれからの時代を生きていく為の手本・教科書の様に、私は感じます。

 神様から人へと贈られた、大切な「理(みち)しるべ」なのです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。