31-33 大の虫・小の虫
ひふみ神示 補巻 月光の巻(昭和33年12月25日 - 昭和34年3月2日) (全62帖)
第三十三帖
まことから出たことは誰のねがひも同様。
心配せずにドシドシと進めて下されよ。
若し行き詰ったら省みよ。
行き詰った時は大きくひらける時ぢゃ。
ぢゃと申して ひとこころで急ぐでないぞ。
急ぐと道が見えなくなってくるぞ。
そなたの考へて御座ることは自己中心でないか。
われよしの小さいわれよしではならん。大きなわれよし結構ぞ。
ぎせいになることを尊いことぢゃと申してゐるが、
ぎせいに倒れてはならん。
己を生かす為に他を殺すのもいかん。
己殺して他をいかすのもいかん。
大の虫を生かすため、小の虫を殺すことはやむを得んことぢゃと申したり、
教へたりしてゐるが、それもならんぞ。
総てを殺さずに皆が栄える道があるでないか。何故に神示を読まぬのぢゃ。
「われよしの小さいわれよしではならん。大きなわれよし結構ぞ」
これは「小さいわれよし」が我のみ良しで、「大きなわれよし」が我も皆(全体)も良しです。
また、以前の話数で紹介した
「今の政治はむさぶる政治ぞ、神のやり方は与へぱなしざぞ」(『18-3-1 (三九九)』)
「取り上げたもの何にもならんのぢゃ、ささげられたものだけがまことじゃ」(『18-3-2 (三九九)』)
は、”小さな皆よし”(皆と言ってもほんの一部の者だけです(ᐢ ᵕ ᐢ))と云えるのかも知れません。
それは年貢やお金を取る事により、多くの個人が苦しめられ、集められた物もそれをいかに私するかが最大の焦点だったりします (ᐢ ᵕ ᐢ)。
※「神に供へられたものは、私することならん」『2-31 (七三)』の真逆です
そもそも集める事により、個人が苦しんで(最悪、飢死等)は元も子もありません。
集めたのなら個人個人が持っているよりも良い状態(→豊か)になる様に、全体はすべきなのです。
そうなれば、個人は喜んで差し出します。
なぜなら、自身で持つよりも豊かになるからです。
例えるなら、「より利子がつく銀行の預金にお金を預ける」になるでしょうか (ᐢ ᵕ ᐢ)。
「この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ」です。
「大の虫を生かすため、小の虫を殺すことはやむを得んことぢゃと申したり」
上記の大の虫・小の虫の話でとても印象的な政治家さんが居ました。
それは、かわぐちかいじさんの『沈黙の艦隊』にて
「大の虫の為に小の虫を犠牲にする事を致し方なしとは思わない。私は全員が助かる方法を模索し続ける」
といった内容だったと思います (ᐢ ᵕ ᐢ)。
ある意味、究極の理想論とも云えますが、私も嫌いではありません(選挙に受かる為だけのでまかせでなければ(ᐢ ᵕ ᐢ))。
そうして、このひふみ神示にめぐり合います。
ひふみ神示は今まで紹介した様に、とても理想的でかつ現実的です (ᐢ ᵕ ᐢ)。
今の現状をまずは受け入れ、そこを足場として悪い所を直すだけでなく、善い所もそれに満足せず更に良くなる様に努める。
ただ、それは一歩ずつです。登山で打ち込んだ金具を足場として、また次の足場となる金具を打ち込む様に、一段ずつ上って行けと仰られます。
おそらく、ひふみ神示はこれからの時代を生きていく為の手本・教科書の様に、私は感じます。
神様から人へと贈られた、大切な「理(みち)しるべ」なのです。




