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「みぃーっけぇ」
子供の声がした。ぞわり、と身の毛がよだつ。本来愛らしい声の筈なのに、何故こんなにも恐ろしく感じるのか…答えは分かりたくもない。
「ふふ、安心して良いよぉ、あっちはちゃぁんと逃がしてあげるからぁ」
「…本当でしょうね」
「うんー、今はぁぼくの仲間がちゃぁんと動いているよぉ。煩い小さいのが騒いでるけどぉ、通さなかったら犯罪だもの、役人もぉ国境兵もぉちゃぁんと知ってるよぉ、どっちが悪い子かなんてぇ」
クスクスと馬鹿にした様に笑う声が、自身の警戒を更に強くする。ゆっくりと声の方を向く。あぁ、まさかフクロウなんて…逃げられないじゃない。
荷物を纏めあと少しで国境の検問所が見える所で掛けられたこの声が、あの悪魔の手紙の使者だと気付いてしまった。気付きたくもなかったけれどね!けれどハッキリした。私が逃げる事を、イナを逃がす事を、分かっていたのだ。下手に私が動けば、どちらも共倒れになってしまう。私の判断が、イナを無事にサーマルクへ行かす事が出来るかどうかの鍵になるという事だ。…あの男、本当に良く頭が働くわね。それとも、私が単純なのかしら。
「…ふふ、やっぱりイナの言う通りだねぇ」
「は?」
「イナが言っていたんだぁ、君を恨むのは間違ってるってぇ」
急に声のトーンが低くなった。間延びした口調は変わらないけれど。
「ぼくねぇ、君が奴隷になろうかという時にぃ、あの荷台に居たんだよねぇ」
「え…」
「その時自分だけ助かった君が大嫌いだって言ったのぉ、周りもみぃーんな嫌って当然だって言ってたからぁ、ぼくの感情は間違いじゃないって思ってたんだぁ…なのにイナは違ったぁ」
「…」
「イナはぼくに言ったんだぁ、自分の分しかお金が無い人がぁ、他人まで助ける事が出来るかなぁって。それにぃ、嫌いって物凄く嫌な感情だからぁ、ぼくが汚れるよってぇ…綺麗事すぎて笑いそうになっちゃったけどぉ、でも最初の言葉が物凄ぉく人間らしいなぁって感じたんだぁ。だからぁ、それもそうだなぁって思ったんだぁ」
いつの間にか、この彼とイナが会っていた事が衝撃的で呆気にとられてしまったけれど、それ以上に私の話をしていたことで開いた口が塞がらない。あの場に、彼が居た?どうして、フクロウの彼が…?
「貴方…フクロウではないの…?」
「そうだよぉ、でも奴隷でもあるのぉ。ほらぁ」
ぐっと被ったローブの襟元を掴み、下に引くと現れた奴隷の証。身体の一部に付けられる、私も付けられたかもしれない印。思わず顔を顰めてしまった。そんな私を見て、彼は少しだけ雰囲気を柔らかくした。普通は逆なんじゃないだろうか、と首を傾げると、更に空気が柔らかくなった。
「ぼくねぇ、奴隷になってもぉ、ちぃっとも不幸じゃないんだぁ。ぼくの主様は素晴らしい方だしねぇ。だから奴隷になって飼われてもぉ、ぼくは不幸じゃないのぉ」
「そう…」
「今日此処で君に会ってぇ、どう思うのかなぁって思ったけどぉ…うん、ぼく君の事嫌いじゃないみたいー」
その宣言が何を意味するのか全く分からないけれど、取り敢えず分かったという意味を込めて、頷いておく。それを良しとしたのか、彼は突然私の手首を掴んだ。子供とは思えない強さで。
「じゃあ、行こうー。逃げたら困るからぁこのまま主様の所へ連れて行くけどぉ…暴れたら眠らせるからねぇ」
私は一言も行くと言っていない…でも、それが唯一の選択肢なのだ、従うしかない。物騒な物言いの子供に抵抗なんか出来る筈もなく、裏道に停められていた馬車に乗せられた。せめてこの強引な子供の仲間が、無事にイナを国外に出すことを手伝ってくれる事を切に願うわ。
〇
案の定、連れてこられた先は城だった。王妃候補であった頃、何度か登城したことは有ったけれど、二度と来たくはなかった場所に、また来ることになるなんて。
途中、イヴァンと名乗った彼に連れられ、謁見室に通された。アレの使いだとは思っていたけれど、まさか本当に王の使いとは思いたくなくて、ワザと思わない様にしていたのに…直々に自分の手の人間を私の元に向かわせたなんて、間違い無く端から逃がす気など無かったと言っている様なもの。目の前に在る立派な椅子に腰を掛ける相手、メルーソル。その横に顔見知りの令嬢が座って、反対にあの男が立って居るこの状況は、一体何なのだろうか。犯罪者の娘として処刑するなら、此処ではなく牢獄な筈だろうに。
「久しいね、ティアナ。君が息災で何よりだ」
状況が今一掴めていない私に、メルーソルが口を開いた。
「…ありがとうございます」
「あぁ。それから早速だが、紹介しよう。彼女が王妃と成ったアンヌだ。君たちは知り合いだった筈だが…」
「はい、陛下」
隣に座る令嬢、アンヌに話を振る。彼女は私の家と同じ爵位を持つ家の令嬢だった…私が退いたなら、彼女になるのは別におかしな事ではない。候補は全員それに見合った物を全て持っていて、私だけが血筋に問題があった。だからある意味で、少しだけ申し訳ない気持ちにもなる。彼女が成りたかったのなら問題は無いけれど、私が退いた事による無理やりならば、気の毒でしかない。もし私が彼女の立場なら…恨みはしないが良い感情は持たないと思うから。
「そうか、ならやはり好都合じゃないかな」
「えぇ、私もそう思います」
今度はもう一人の男、ルイザゼラへと話が移る。この出来上がった茶番に、何を言われるのかたまったものじゃない私は、ずっと顔を上げずに床を眺めている。まさか、アンヌへの罪悪感を煽るだけで呼ぶなんて無駄な事をするとは思えない。
「よし、ならば当初の予定で行こう。ティアナ」
「…はい」
「君にアンヌの側仕えとなってもらいたい」
「…は?」
何がどうなっているの?まさか、この茶番はこの事を言う為?
「ファシート家が取り潰しになって君の身分が剥奪された旨は、此方からの密書で知っている筈だ。その現状にアンヌが酷く心を痛めてね、どうにか出来ないかと相談されたんだ。元は王族に次ぐと言われたファシートの令嬢…例えその父と兄が愚かであっても、君までが愚かとは限らない。事実、私の婚約者候補であった君は、例え宿屋の主となってもやっていけた程だ」
あぁ、成る程、と納得したくもないけれど、そういう事かと合点がいってしまった。ぐっと両手を強く握りしめる。
「そんな人材を、処刑してしまったり奴隷に落としてしまうなんて、愚かだ。それに君は、ファシートの人間ではなくなって、民としての身分を得て生活していたのだから、そんな酷な事を強いるのは違うとアンヌが気付かなければ、我々はとても愚かなことをするところだった」
アンヌがそんな風に言ったかどうかなんて問題じゃない。初めからこうする事が決まっていた癖に、アンヌに恩着せがましく言う辺り、彼女も巻き込む気でいるのだと分かる。彼女も憐れだが、自分が惨めでしょうがない。此処には誰も、助けてくれる人が居ない。女であるからか、それともファシートであったからか…どちらにせよ私に残された道は二つ。王族の提案を拒否し、二度とイナたちに会えなくなる処刑か、
「ティアナ様、私からもお願いします。貴女に側に居て欲しいのです、了承して頂けませんか」
「……承り、ました…」
恥を晒し、生きるか、だ。




