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「あ?」
思わず見ていた資料に声を上げた。
「ヒジリ、煩いんだけど」
「悪い、だが見てくれ」
「んもー何なのさ!」
側にいたナティーシャが、俺の手元に文句を言いつつ視線を落とす。俺は今、与えられた仕事を行なっている。サシャに言葉を教えてもらって、読み書きも出来るようになった俺は、本を読み、知識を増やした。そして今度は働きたくなって、色んな人間の手伝いをする事になった。と言っても、今はナティーシャがやりたくないと言った地味な書類仕事だが。俺としては何かしらやっていないと落ち着かないから、非常に助かっている。
「コレってオルスタムの報告書?」
「そうだ、お前どれだけ溜め込んでた」
「はぁ?何でそんな事をお前に言わないといけないわけ?」
「そう言うって事は、一ヶ月近いな。こんなんだから愛想尽かされるんだぞ」
「んな!?大きなお世話だし!そもそも愛想なんか尽かされないから!」
キーキー騒ぎ出した奴を放っておきながら、再び資料に目をやる。約一ヶ月前の資料という事は、報告書の国であるオルスタムの戴冠式より前だ。そこには見落としてもおかしくない程度の一文があった。
「大体ね、僕が何でこんな書類仕事なんかしなきゃならないのさ。僕には別の大事なお仕事があるんだから、こんなの地味な仕事が大好きなサシャに任せればいいんだよ!」
「サシャはお前の数倍は忙しい毎日を送ってるんだ、このくらい出来なかったらアイツに笑われるぞ」
「だから!」
「中々楽しそうだな、ナティーシャ?」
喚くナティーシャを遮り、エリルークが入り口から声を掛けてきた。その一声でピタリと止むその声が、実に犬の様だ。犬種はそうだな…パピヨンと言ったところか。
「エリルーク様ぁ、ヒジリが僕をイジメるんですぅ」
「それはお前が可愛いからだろう、大丈夫だよ、構って欲しいだけだから」
「馬鹿言うな、お前じゃあるまいし。そんな子供じみた事で気を引かなきゃならない程困ってない。そもそも好みじゃない」
煩い奴は男だろうが女だろうが好みじゃない。
「〜〜〜っ、僕だってお前なんか嫌いだ!」
「そうか、俺は好みではないだけで嫌いではないけどな」
「えっ!?」
「クックック…」
そう、好みじゃないだけで嫌いではない。そもそもナティーシャは、盲目的にエリルークを愛している。そのせいで若干おかしい発言もするが、決して頭が悪いわけではない。仕事もサボるし我儘だが。対してエリルークはそれを分かって面白がって煽るから、色々面倒臭いのだ。全く、こんな男の何処が良いのか分からない。
「…で、何しに来たんだアンタは」
未だ楽しそうに笑っているエリルークに、俺は心底呆れた顔を向けてやる。コイツだって暇ではない筈なんだが。
「あぁ、隣から楽しそうな声が聞こえてな」
「嘘吐け、聞こえるか」
「ふっ、まぁそれは冗談だが…コレを届けに来た」
そう言って見せたのは書類だった。…報告書のようだ。
「ウィンファルターの神の使いについて、か…」
「そうだ、気になっているのだろう?」
「そりゃ、な。だが、良いのか?」
「何が」
「俺が外の、他の国の事を知ろうとすると嫌がるだろ」
「あぁ、そんな事か。確かに外の世界への興味は、ここから出て行く布石になりかねない。だが今のお前はそんな事より知識が欲しいように見えるからな」
「あっそう」
中々見ている、そう思った。確かに前より外に出たいと思う事は少なくなった。親父も居て、やる事も出来たからなのは言うまでもない。だが、外に出たくないわけではない。
「…ちょっと」
「うん?」
「感謝の言葉はないわけ?」
今まで黙っていたナティーシャが口を挟んできた。またキンキンし出すのは勘弁して欲しいが、まぁ、俺がここに居る以上無理だろう。
「ワザワザ、エリルーク様が届けて下さったにもかかわらず!」
「あーあー、アリガトアリガト」
「心が込もってない!」
「ふっ…ククッ」
王様は実に楽しそうに笑っていらっしゃる。どうせならこのパピヨンを連れて行ってもらいたい。自分の飼い犬くらい、しっかり躾けてみせろってんだ、まったく。
「…そんな事より、コレを見てくれ」
話を逸らして、エリルークに書類を渡す。先ほどのオルスタムの報告書だ。
「コレは?」
「ナティーシャが貯め込んだ資料、オルスタムの一ヶ月以上前の報告書」
「違っ…!ヒジリ!」
「何だナティーシャ、随分古い物が出てきたな」
「エ、エリルーク様、これは…」
「…サボり癖が早く治ることを、私は期待しているよ」
「!?」
悲しそうな顔をして、よくもまあいけしゃあしゃあと心にも無いことを吐ける。お陰でナティーシャの顔色が一気に悪くなった。そんな事はこの際置いておいて、問題は中身だ。
「ナティーシャで遊ぶのは結構だが、問題はそこじゃ無い。その中にある、親父が居た宿屋の記載…どう思う?」
「……また、随分と細かい所を見たものだ。しかも、中々面白そうだな」
「面白いかは別だが、もう少し早く知らせが来てたら何か変わっていたかも、とは正直思う」
「ならばナティーシャ、お前はどう思う?」
「あ…え…」
「宗教国である我が国の神の使いが、お前の不手際が無ければ、多少何か変わっていたのでは、と言っている。国民はどう判断するだろうな?」
あー…ナティーシャの顔面から色が消えた。みるみる大きな目から涙が溢れてくる。恐怖からくる条件反射のようだ、気の毒に。
このエリルークという王は、所謂根っからのドSだ。言動共に暴力的なのだ。普段は人の良さそうな優しい笑顔を振りまいているが、上げておいて急降下させる、物凄く厄介な性格だ。しかも、それに気付ている人間は少なく、よりによって好きな奴程虐めて泣かせる。この通り。元々ナティーシャはエリルークの為に生きていると豪語する変わった人間だし、そんな相手に注意でもされようものならこの通りになってもおかしくはないのかもしれないが、周りは巻き込むなとオーラを出しても、超面倒臭い性格のエリルークが聞くわけもなく、常にコレが俺が来てからの定例なのだそうだ、サシャ曰く。実に!心底!迷惑極まりない。
「はぁ…いい加減にしろ。楽しむな。ナティーシャもその程度で泣くな」
「おや、泣かせたのは私だと?」
「はっ、白々しい。今お前はナティーシャがちゃんと仕事をするように言えばいいだけであって、泣かせて遊ぶのは後にしろ」
「後なら良いのか?」
「俺の居ない所で勝手にやれ」
お前らのSMには全く興味は無いから、放っておいてくれ。
「話の脱線はもういい。で?実際お前の方には報告は無いのか?」
「何だつまらない、もう終わりか。だが…ふむ、そうだな…有ったかもしれないし、無かったかもしれない」
「曖昧だな」
「正直、興味が無くてね。新王になるくらいの人間が、我が国で分かる情報を仕入れていないわけが無いし、それを知って黙っているとは思えない。どうやら、この宿屋の主人は元婚約者候補のようだしな」
「…マジかよ」
その場に居た親父に、少し詳細を聞いてみるか。




