(6)
「王子様が私などに何の御用向きでしょう」
「そう他人行儀にならないでよ、アデル。僕と約束してくれたでしょ?」
「――恐れながら、何か人違いをされているようです。私は殿下を先ほどの祭典でお見かけした以来と存じますが」
淡々と言うアデルに、ミシェル王子は
「ふーん……」
と、何か考えるような含みを持った視線を送った。
「な、何でしょう……」
たじたじするアデルの目前で、ミシェルはやおらにジャケットの腕をまくった。
筋肉のついた青年の腕は筋ばっており、静脈が透けて見える。
雪原のようにハッとするほど白い手首に、赤い燃えるような色の宝石がきらりと光っている。
珍しい金細工で繋がっているそれを、ミシェルは宝物を慈しむように撫でた。
優しいのに少し低い、澄んだミシェルの声は厳かに部屋に響いた。
天才的な芸術家の作品のような形の良い唇が動く。
「ところでね、僕は第三王子という身分だったから、幼い頃からいろんな誘惑や罠に狙われるのがつきものだったんだ。これは王族としての宿命だね」
どことなくなまめかしい手つきで、ミシェルはブレスレットの細かな鎖を弄る。この人の、こういう無意識な色気に誘因された大人が多かったのではないか、とアデルは邪推した。
「だから幼い頃から、身を守る魔法の道具をいつも身に付けていたよ。それがこんなふうに役に立つなんて想像もしなかったけれどね。これは王家に伝わる魔法石でできているんだ。ここに、君が五年前、僕と会ったときに何と言ったか、記録されてる」
ミシェルは切なそうに、はあ、と息を吐き出した。
ユーリンヒッテは痛みを抑えるように頭を押さえている。
アデルは首を傾げた。
一度会った時のこと……?
「でもね、残念なことに、魔法石は一回切りしか再生できないんだ。僕は5年前から肌身離さずこれを身に付けてきた。もう一度、アデルの声を聴きたくなって、手を伸ばしそうになったのをずっと我慢して……」
爪先を綺麗に整えられた指先が、金の鎖に絡みつく。
熱のこもった声音でミシェルは言った。
「きっとアデルは忘れてると思った。だから、この瞬間を何万回も想像していたよ」
ミシェルが宝石に手を当て祈りを込めると、石がパンッとはじけ飛ぶように消え去った。
ミシェルに魔力があるというのは本当のようだ。
部屋中に響き渡る音量で、5年前の音がよみがえった。
パタパタ……
「アデル嬢!」
「どうしてこんなところに?」
「あの、その、実は……今は、僕も、貴族で……」
「養子になれたの!? よかった。しっかり食べられている? 大きくなったら君が領民をお腹いっぱい食べさせてやれるように頑張るんだよ」
「……うん」
ザーッ……ザザ、ザッ
「アデル。僕、ミシェルっていうんだ。5年! 5年待ってて。アデルをちゃんと迎えにいけるように、僕は強くなるから」
「ふふ? ミシェルが迎えに来てくれるの。それは楽しみだわ」
「本気だよ。ちゃんと待っていて、アデル。僕が君を守れるくらい、この国の誰よりも強くなったら……僕と結婚して」
「結婚」
プツッ……ザ、ザー、ザッ
「あっはっは! それはいい。そのときはこの聖女アデルが、君のお姫様になろうじゃない」
「本当! 絶対だからね」
ブツッ!!
太い紐が切れるような音をたてて、過去が消え去った。
「あのときの……」
アデルは薄っすらとした記憶を掘り起こした。
あれは、アデルが聖女に就任することが決定したパーティーだった。
少年がアデルに話しかけてきた。
聖女試験の際に出てきた少年だ。
貧しさに窮していたようだったが、最終的には貴族に引き取られて養子になったと言っていた。
そうだ、名前も知らない瞳の綺麗な子――。
「迎えに来たよ? 僕のお姫様」
魅惑の甘い微笑が、真っ直ぐに飛んで来る。
アデルの心臓がぐっと重くなった。
「ひ、姫?」
「アデルに決まってるじゃないか。さあ、式はいつにしよう? アデルの誕生日? いや、そうすると、記念日が重なってしまうよね……毎月楽しみがあったほうがいいし、どうかな、あえて夏まで待つっていうのは」
「待、……お待ち下さい」
「どうしたの?」
「いきなり、結婚と言われても」
ミシェルは何を言われてるか分からない顔でアデルを見た。こてん、と小首を傾げる。
「どうして困るの?」
好かれることに一片の疑いもない。
愛玩用のペットの猫が餌を待つのと似ている。
確かにこの天使のような男――大聖堂の全ての聖女よりも、美しく気高い――に、男だろうと女だろうと、好かれて困るような者は存在しないだろう。
そう、アデルを除いては。
「私はあなた様にふさわしくありません。当時は身分も知らず、無礼を言って申し訳ありませんでした……どうかお許しください」
「そんな、許すなんて。アデル、約束してくれたよね」
「いいえ、ミシェル様。私は下級聖女です。ただの魔力があるその他大勢の女に過ぎません。申し訳ありません」
「だって、結婚するって」
「無理です」
「えっ」
「絶対に無理です」
ガーン、と脳天に衝撃を受けたような顔で固まったミシェルを置いて、アデルはぺこりと頭を下げて、申し訳ありませんと退室しようとした。
「待って、アデルさん。あなた、他に婚約されているのかしら? もしくはよい人がいるとか」
「いいえ、まさか!」
「じゃあ、どうかしら。ミシェルは少しがんこなところがあるけれど、本当は優しい子なのよ。少し付き合ってやってくれない。結婚はともかく、そうね、お友達として」
無理です、とアデルが言うより先に、ユーリンヒッテが口を開いた。
「この子の機嫌が悪くなると困るのよ。聖堂と聖騎士団はいろんな所で共同の仕事をしているでしょう。今、病人を癒やす魔導の研究が完成しそうなのに、この子に長期休暇なんてとられたら、私たちの計画も狂ってしまうわ」
「しかし」
「あなたが本当にミシェルのこと、心から嫌いなら無理とは言わないけれど」
「いえ! 嫌いなんて! ミシェル様の書類はいつも私の癒しでした」
ミシェルがカッと目を見開く。
「えっ! 何それ、アデル、どういうこと」




