(4)
(うわあ……)
白いベールごしであるのをいいことに、アデルは第三王子ミシェルをとっくりと眺めることができた。
(あの方が、『ミシェル』様……)
確かに綺麗な青年だった。
いや、『過ぎる』といってもいい。
豪華な衣装や雰囲気も相まって、発光しているようにさえ感じられる。
過ぎた美貌は現実感を失わせる。
アデルは厳かに胸の中で十字を切った。
(やっぱりミシェル様は、あの筆跡のままのような方だったんだ! えっ、待って、想像以上に天使過ぎる!)
歩くたびに、背景がキラキラと光る気がする。
厳かな聖堂に静かな感嘆の溜息が広がっていく。
強固な理性と鉄壁の貞淑さを持ち合わせた、神の使いが聖女たちなのだが、そんな彼女たちがまるで少女のようにうっとりとミシェルを見ていた。
上級聖女はそれなりに見慣れているのか、姿勢は微動だにしないものの、アデルの前に立っていた聖女の肩がわなわなと震えていた。ロザリオが無いので中級聖女か、アデルのように駆り出された下級聖女かもしれない。
初見であればそうなるのは理解できる。
アデルは内心、ひっそりと祈りを捧げた。
(神よ、ありがとうございます! 我々にミシェル様を遣わせて下さって……これで明日からも元気に仕事に励めます。ええ、どんな悪筆にも負けない力がわいてきました)
王子はまだ成人したての十八歳というのが信じられないほど、落ち着き払っているように見えた。
王族の宿命か、人前に立つことを当然と思っている者の顔だ。
ミシェル王子の後ろから護衛の騎士たちも入ってきた。
先頭にいるのは燃えるような瞳に赤茶色の髪。鋭い目は獲物を狩る鷲のようだ。
王家直属の、白騎士団の副団長ガブリエルだった。
雄々しく強く、さらに元々が平民出身ということで、国民の一部に根強い人気がある方だ。
(う……あの古代の暗号の古文書みたいな字の報告書思い出しちゃった)
悪筆の中でも群を抜いて汚い報告書の山を思いだして、アデルは顔をしかめた。
身分はどうでもいいが、見られる意識をもって字を書いて欲しい。スペルミスも多発する書類は、もはや暗号解読の域だ。
ミシェル王子は膝まづき、大聖女の朗々と謳うような祈りの言葉に耳を澄ませていた。
十八歳らしくほっそりした首筋に、背は高くとも自分より年下なのだなと、アデルは改めて気が付く。
「……――の名に誓い、王子ミシェル、新たな青年王族に神の誉れが与えられんことを」
ミシェル王子が立ち上がる動作をするたび、きらきらと周りに陽光がきらめくようだった。
そのとき、ユーリンヒッテに注がれていた王子の視線がふとゆっくりと動いた。
ベールで顔を隠したアデルは息をのんだ。
あたかも蝶が花に止まるように、そっとミシェル王子の眼差しが、アデルの緑色の長髪の端に静かに降りる。
(わーー!)
宝石のような王子の瞳がじっとこちらに注がれている。
そんな気がする。
しかし、ユーリンヒッテの左側にいる全員が、おそらく同じことを思っているだろう、というのもアデルは理解していた。
尊い存在が、一瞬でも自分の姿を目に映したと思うのは、どれだけ愉しい歓びか。
その証拠に、アデルの前にいた聖女がふらりとよろめいた。アデルはそっと肩を支えてやった。気持ちは分かる。
(恵みをありがとうございます……!)
アデルは心から神とミシェル王子とモルガネに感謝した。
美しい、綺麗、可愛い、かっこいい、という言葉がアデルの胸に去来する。
美しい筆跡でアデルを少なからず日々癒やしてくれていた王子自身が、筆跡以上に素晴らしかったのだ。
なんて良い日だろう。
視線一つでも、貴重な恵みである。
さらには、白のベールごしに目が合った気さえする。
(というか、明らかにこちらを見ている? よね?)
さすがにアデルは心配になってきた。
トラブルだろうか。
ミシェル王子にご不快を与えてはいけない。
珍しい虫でもいるのかもしれないと、アデルはベールの上をさりげなく手で払った。
(何もいないと思うけど……あれ? もしかして私だけ、ベール、変な被り方してる? 裏表反対!? 大丈夫だよね!?)
密かにアデルが焦っている中、ユーリンヒッテの静かな声が聖堂に響いた。
「ミシェル王子の生誕に携えて、国民と聖堂が歌で祝します。一層の繁栄が御身にあらんことを」
荘厳な音楽が流れるが、ミシェルは直立不動のすっくりとした良い姿勢のままに、やはり大聖女の左側を見ている。
アデルは恐る恐る周囲を見渡したいのを堪えて、賛美歌を捧げた。
(ミシェル様、大聖女様の左側を見てる……?)
幻の蝶が止まっているとか、あるいはベールが小麦粉で汚れているとか、そういう可能性を百通りは考えたのだが、おそらく予想はことごとく外れているようだった。
王子の視線はどこか深い興味と好奇心に満ちていた。
時折ベールを暴くように鋭く、かと思えば甘えるようにきらめく。
猫か何かいるのだろうか。
こちらに顔を向けてくれるのは嬉しいが、緊張するし、何となくいたたまれない。
ミシェルの様子から何かを感じ取ったのか、副団長のガブリエルが訝しそうに眉をひそめている。
(あ、もしかして……中級と上級の聖女の中に、私みたいな下級聖女がいたから目立った!? いや、そんなの分からないはずだよね……いやでも、ミシェル王子って騎士なのに魔力があるらしいし、もしかして魔力量とか見えてる!? ここだけ魔力が薄くて変に感じてるとか!? ひえぇぇ……)
とにかく、自分にできるのは一生懸命に祈りを捧げることくらいしかない。
アデルは懸命に王子の健康を祈りながら歌を歌った。
賛美歌が終わり、式典は滞りなく終了した。
第三王子ミシェルは、ガブリエルに耳打ちをされて退室したが、場を去る直前までこちらに視線を寄越していた。
大聖女が退室し、聖女たちも続いて聖堂を去る。
控え室代わりの大ホールに集まって、じっとりと汗をかいた手を、アデルはベールごしの両頬にあてた。
モルガネが小声で囁いた。
「どうだった?」
「ありがとうございます……良い経験をしました」
「すさまじかったわね、ミシェル様」
「はい……私、実はいつも、あの方の書類の筆跡に癒やされていたので、生身の美しさを見て元気を貰えました」
「まあ。それはよかったわ。アデルさんから途中で煮詰めたシトロンみたいな香りがしたから、緊張しているのかと思ったけれど」
「ええ、それは大緊張でしたよ! 思ったより近くて心臓が止まりそうでした」
「まあ。生きていて良かったわね」
緊張したけれど、非常に希有な経験だった。
満足していたアデルの元に、ロザリオをつけた上級聖女が近付いてきた。
ホールの聖女たちがシンッと静まる。
大聖女様の右腕と名高いジョルジェット・リーゼンだ。
足早に近寄ってきたジョルジェットは、じろり、とアデルの緑の髪を見ながら前に立った。
「下級聖女のアデルは貴方?」
ジョルジェットは冷たいアイスブルーの瞳をアデルに固定していた。
「え、……はい」
「共に来なさい」
ジョルジェットは有無を言わさず、一緒に来るように告げて踵を返した。
しかし、進行方向に立ち塞がった聖女がいた。
モルガネだ。
「ジョルジェット様、申し訳ありません。わたくしが壁になるように頼んだのです。中級聖女たちが軒並み体調を崩しておりましたので」
「そんなことは関係ない」
ジョルジェットははっきりしていた。
「大聖女様がお呼びなのだ。そこをどきなさい」
モルガネはうなだれて一歩下がった。
「大丈夫です、モルガネ様」
「アデル」
「実は私、儀式の最中にあくびをしてしまったんです。きっとバレていたんですよ。ちょっと叱られてきます」
アデルは心配そうなモルガネに笑って、ジョルジェットのまっすぐな背中を小走りに追いかけた。
*
アデルのような『魔力持ち』は、生まれたときから自然に、物や人の魔力を視ることができる。
この世の魔力はオーラのように物質の周りに存在し、魔力が強ければ強いほど、その物自体の質は良い。
同じ果実でも、魔力のある物は甘く、ないものはそれほど甘くない。鉱石ならば、その素材のもつ力が強いのは魔力のある方だ。
アデルが師匠と仰いでいるクレマンという老執事は、はちゃめちゃに強い魔力持ちであり、さらには魔力を『流し込む』ことができるという前代未聞な技術を持っていた。
アデルは猛特訓を受け、花に己の魔力を流し込んで咲かせるという手品めいたことができるようになった。
聖女試験はそのおかげで通過できたようなものである。
全く師匠には頭があがらない。
ユーリンヒッテは特別中の特別で、半ば生きる伝説のようになっていた。
そんな絶対的な魔力持ちの大聖女が、アデルを直々に指名してきたのだ。
(聖堂を去れ! とか言われたら困るな……)
自分はともかく、公爵夫妻をがっかりさせたくはない。
珍しく、アデルは不安な気持ちになりながら、大聖堂の最奥の本殿へ足を踏み入れた。
ここは来たことがない。
ほとんどの下級聖女は、入ることを許されない大聖堂の最奥だ。
今日は17時で終わりです。
残りは明日、7時10時13時と投稿です。




