(13)
第三王子ミシェルは静かに荒れていた。
周囲に当たり散らすわけでもなく、我儘を言うわけでもない、天使のような王子。
そんないわゆる、極めていい子であり優等生だったミシェルは、少しばかり歪んでいた。
人間らしいといえばそうなのだが、ミシェルの闇の部分を知っているのはユーリンヒッテや父王、母妃や兄たちなど、極めて近しい人間に限られる。
有り体に言えば、『執着』だった。
「あーあ……どうしよう」
執務室の机には、羊皮紙が一枚出してあり、ミシェルはそっとその表面をなぞっていた。
「権力なんて、かっこわるいから、使いたくないんだけどな……」
ミシェルが触れていた羊皮紙には、
『婚約締結書』
と書いてあった。
公爵家に送付することのできる正式な形式な書面だ。
王家の圧力を本気でかければ、この書類によってアデルの身を手に入れることはできるだろう。
「身体だけ欲しいわけじゃないんだよね……」
ため息をついて、ミシェルは自室の鍵のかかった机に羊皮紙をしまいこんだ。
まだ、これを使うには早い。
ぎりぎりまでは自力でアプローチすると決めたのだ。
天使の顔をしたミシェルの、猟犬のようなしつこさに初めに気付いたのは、ユーリンヒッテだったかもしれない。
五年間も、アデル、アデルとうるさくしていればいやでもミシェルの執着が常軌を逸していると分かるだろう。
ミシェルの狡猾なのは、ユーリンヒッテや兄たちのような一部の信頼できる身内にしか、この腹黒い本性を見せていないところだった。
王の三兄弟のうちで最も綺麗な顔をしているわりに、最も『欲しいもののために手段を選ばない男』。
それが身内から見たミシェルの評価なのだった。
王には忠実で、国王の座にも興味はなく、諸外国からおそれられるほどに魔力もありながら、国のために騎士団に身を置いている。
そんな完璧に見える美青年は、たったひとつ、自分の『お気に入り』に認定したものには目がないという弱点がある。
木工職人の特注品の机。先々代の曾祖父王の形見のブローチ。老舗のパティスリーのクリームパイ。全て、ミシェルのお気に入りだ。
この机に勝手に座る者がいれば斬り捨ててもいいよ、と幼いミシェルは若かりしガブリエルに笑顔で言い放ち、困らせたものだった。
人間らしい感情は母親の腹に置いてきた、とミシェルは思っている。
この国が滅びかけるなら、自分の身を賭しても守る。
それが王族として生まれたミシェルの務めだ。
人間ではない王族としての自分を、国民たちは天使と呼ぶ。
面白い皮肉だ。
「魔導で魅力できたらいいのにな……」
魔力を剣にまとわせて心臓を差し貫く攻撃ならば幾らでもできるのに、たったひとりの女性の心を奪う術は持っていない。
どうにももどかしい。
が、仕方がない。
ガタッと音がして、ミシェルは顔をあげた。
せかせかと緑の髪を結い上げたアデルが、バスケットを持って執務室に入ってくる。
「あっ、ミシェル! やっほー。朝からいたの? 珍しいね」
バスケットの中からゴソゴソっと焼き菓子を取り出して、はい、と手渡してくる。
「これは?」
「さっき、ディアーヌ様にもらったの」
「ディアーヌ……マティアスの?」
「そうそう、奥さまなんだよね! 信じられないんだけど私、なぜか奇跡的に声をかけてもらって、ディアーヌ様と一緒に義手を開発することになったんだ! ディアーヌ様って国一番の技術者なのに、すごくお優しくてね」
「へえ」
ミシェルの声は固いが、浮かれたアデルは気にならないようだ。
「アデルのせいで、僕は悩んでばっかりだよ」
「え? 何かしたっけ? 会うのは久しぶりだと思うんだけど」
「ね、アデルは、僕と騎士団での魔導の研究をするためにここに来たんだよね? ……他の人と、他の仕事なんかしてる余裕あるの」
おや、とアデルはミシェルを見た。
こころなしか、あまり元気がない気がする。
「あー、ごめんね。ミシェルと魔導具の話したかったんだけど。なかなか執務室でも会えなかったから……忙しいのかなって」
確かに、ここ数日、ミシェルはこの執務室にも顔が出せなかった。
事件のあった聖堂の見まわりや検分があって、なかなか騎士団の本部にも行けなかったのだ。
食中毒があったり、宝物が壊されたりと、かなりきな臭い。
ユーリンヒッテも気にしているようで、ミシェルが顔を出さないわけにはいかなかったのだ。
「そういえば、ガブリエル様って左利きだよね」
「ガブリエルの話は聞きたくない」
と、ミシェルはぷい、と席をたった。
*
天使の貌がくもっていれば、人間はどうしたのかしらとあれこれ思い悩む。実際のところミシェルは、そうやって周囲からかしづかれることに慣れていた。
しかし、兄弟に囲まれて田舎で育ったアデルは、どこか楽観的に考える癖があった。
(まあ、人間そういうときもあるよね)
うんうん、としたり顔で頷いて、自分の業務に集中することにした。
おなかでも痛いのかもしれないし。
ガブリエル様とケンカしたのかもしれない。
考えても分からないのだ。
そういう類のことは放っておくに限る。
機嫌が悪ければきっと良いときもまた来るし、腹が痛いなら出すものを出せば復活するだろう。
貴族令嬢にあるまじき、品も思慮も計算もない、超自然派のアデルだ。そのままなりゆきに流れながら生きている。
嵐が来ても、風を消すことはできないのだと、田舎暮らしの長かったアデルは本能的に知っていた。
ありのままを受け入れて、自分に落ち度がないのなら流れにのるしかやれることはない。うまくやりすごして、付き合っていくのだ。
没落して領地を手放さなければいけなくなった実家の両親たちは、貴族でなくなった今も牧場暮らしを満喫している。
なるようになるさ、のお気楽マインドがアデルにも流れていた。
アデルがガブリエルの羊皮紙を代筆していると、ダダッと足音が聞こえた。
バンッと扉を開けて、ミシェルが走り込んでくる。
アデルはちらっと扉を見たが、すぐに羊皮紙に向かった。
触らぬ神に祟りなし、だ。
「えーっと……上級聖女の加護のかかった傷薬が10と……そうだ、左利き用のペンを注文しよう。ガブリエル様は手が大きそうだからな……特注で、と」
羽根ペンを握るアデルの右の手が止まった。
手首をがっちりと捕まれている。
――誰に?
顔をあげると、ミシェルの金色の髪が目前に迫っていた。
逆光で表情が見えない。
「ミシェル?」
「アデルは――気になるの?」
「えっ? 何が?」
「ガブリエルだよ」
低い声音に、ミシェルはこんな子だったろうかとアデルは思う。まるで本当に、知らない男の人みたいだ。
「どうしたの、ミシェル。なんだかちょっと――」
「答えて」
「え? 気になる、っていうか……」
「好き?」
「好き……? いや、嫌いではないけど」
あの悪筆を見ると頭痛がするが、ガブリエル本人は悪い人ではないと思う。ただ、脳が筋肉でできている、というだけだ。
「ガブリエルのことばっかりだ。アデルは最近いっつもそうじゃん。ガブリエル、ガブリエルって……本当は僕だって」
言いかけて黙ったミシェルの金髪に、アデルはふと手を伸ばした。
光が揺らいで、驚いたようなミシェルの瞳が見える。
反射的によしよし、としてしまったアデルにも言い分があった。
弟たちや犬がさみしくて拗ねているとき、同じような雰囲気だったのだ。
そういうときは、よしよしに限る。
「ええと、ごめんね。ミシェルには必要ないから。魔導のペンなんてなくっても、ミシェルは綺麗でしょ」
「何の話?」
「マティアスの奥さんのヒルデが、協力してくれてね。魔導ヴァージョンの羽根ペンを作ってたんだ。これが完成したら、暗号みたいな騎士団たちの報告書も読める字になるでしょ」
「羽根……ペン?」
「じゃあ、ガブリエルのことを聞いていたのは」
「ガブリエル様が一番、字が汚いから」
「字……」
ミシェルは、ハァァァァと長い溜息を吐く。
「もう、僕がバカみたいじゃん……ここ数日、ガブリエルのことばっかり考えてたよ」
「え? どういう意味? あっ、ミシェルに羽根ペン渡した方がよかった? うらやましかった?」
「……そうかも」
「ごめんね。最近ミシェルになかなか会えなくって……あ、羽根ペンじゃないけど、これあげる」
「え? これって」




