10
「ちょっと面貸してくれねぇかな」
2限目が終わった休み時間。次の授業の用意をしていたショウイチに声がかかる。
いつもの生徒達だ。
「うん」
場所を移したいということは、教室で騒ぎにされるのは多少困るのだろう。とはいえ、強く拒否すればより面倒なことになるのはわかっていた。
全く、力を誇示する喜びはわかるが、それなら衆目の中でより強い者を相手にすればいいのに。
頭の中に別の誰かのような考えが浮かんで、ショウイチは小さく頭を振った。
教室とは少し離れたところにある、倉庫のようになっている部屋。机と椅子が乱雑に置かれているそこに、生徒達は入っていく。
「困るんだよな、先公に勘づかれるようなことされるとさ」
生徒の一人が口を開いた。今朝のことを言っているのだろう。
「……ごめん」
「謝るなら最初から大人しくしとけよなぁ」
穏便に済ませるために、おおよそ最も正しい言葉。しかしそれは当然の反応といった具合で流される。
向こうが始めから殴る気なら、話し合いもクソもないよな。
近づいてくる生徒にショウイチは構えようとして、やめた。顔を殴らないこと、痣ができるほど力を入れないことはわかっている。この場は殴られておいたほうがいいだろう。
そうやって受け入れても、すぐにまた「この場」がやってくる事はわかっているのに。
「おらっ」
押し出すような前蹴りで、ショウイチは奥の壁に背をぶつけた。また朝と同じように袋叩きにされるのだろう。
グッと体を丸めて衝撃を待つ。
ビー! ビー!
予感していた痛みが来るより前に、聞きなれない異音が鳴り響いた。
「ああ?」
「なんだ?」
取り囲んでいた生徒達が胡乱げな声を上げる。転んでいた体勢から起き上がり、ショウイチはいつでも動けるように備えた。
『校内に不審者が侵入しました。生徒は教師の指示に従い、速やかに避難しなさい。これは訓練ではありません。繰り返します』
スピーカーから届く、機械的な女性の声。緊急事態を伝えるブザーが間に挟まる。
「ハッ、不審者だってよ」
「誤作動じゃねぇの?」
「アレじゃね、あの赤いやつをバカが押したとか」
生徒たちがケラケラと談笑を始める。その隙に、ショウイチは走り出した。
相手が反応できないまま脇をすり抜けて、教室を飛び出す。
「おい、待ちやがれ!」
「別にいいだろ。また後でシメればよ」
チラリと横目で確認すると、彼らは誰も追ってこなかった。どうやら避難する気はないらしい。
それは、ショウイチも同じだが。
心臓が高鳴る。異様な感覚が全身を支配していた。
まさか。まさかまさか、ハチュウ人が俺のことを追ってきたんじゃないか?
単なる妄想と吐き捨てる事のできない、不思議な確信がショウイチの中にはあった。
恐怖ではないのだろう。口元が醜く震える。歓喜でもないのだろう。足が笑っている。
訳のわからない何かがぐちゃぐちゃに混ざった、形容しがたい高揚。
凍った体液が全身を走り抜けて、体の中を掻きむしるような、いてもたってもいられない疼き。
これは何だ。
「僕は、なんなんだ?」
あてもなく走りながら、ショウイチはふと呟いた。




