暴挙(2)
虚勢を張って生きてきた。つまらないとこで喧嘩をし続けた結果、今日みたいに昔の因縁に呼び出されてしまう。
帰社すると、総務経理マネージャーの女史が、場所と日付を書いたメモを渡してきた。
「新井さん、男の人からここで会いたい、って入電がありました」
「どうも……」
受け取りながら、竜平は苦い顔をした。本当に、面倒なことになった。もうこういうのは卒業したつもりだったのに。ちくしょう!
知った連中に逃げたと笑われたくはない。行かなかったら、有る事無い事を吹聴されて、そうなる。ここらの界隈は狭いんだ。表を歩くたびに、そんなふうに指差されたら、さすがの俺も生きていけねぇ。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様ー。あ、そうだ。シマさん、この間教えてくれたあれ、やってみたんだけど、ちょっとまた訊いていい?」
普段愛想が悪い総務経理の女まで、自分にメモを渡す時と打って変わって、大島ににこやかに接するのを見て、竜平は今日イチ不愉快な気分で会社から出たのだった。
行き交う人々はごく少ない。
残業なのか、明かりが灯る窓もあるが、ほとんどが真っ暗になったビルの立ち並ぶ、夜二十三時過ぎのオフィス街だった。
呼び出された場所に向かう間、竜平は当時のことを詳細に思い出そうとした。
逃げも隠れもしない、と売り言葉に買い言葉を返したが、あの男と自分の関わりははっきり言って薄かった。自分の属するグループの問題でもなく、たまたま行き合った知人から聞いた襲撃予定に、面白そうだ、と乗っただけなのだ。その喧嘩騒動で、あの男が鉄パイプを握っていた手首ごと、軽く押し返したつもりが、加減が効かずに口元に大当たりして流血させた。それが、前歯4本が折れた、ということだったのだろう。
「4本かぁ……ま、俺も前歯2本、差し歯だけどな」
歯医者が大嫌いな竜平は、悪い事したな…と一人呟いたのだった。
なんで俺ごとき相手に、こんなに集まってんの?!
指定場所に来て早々、竜平は大いに後悔した。場所は、昼間収集作業に来たオフィスビルの隣にある、更地になった工事予定地だった。
これから着工を控えた更地には、すでに仮囲いが巡らされ、建材置き場が区切られ、現場事務所用のプレハブ小屋が建っていた。
相手は当時より、一層悪くなっていたのだ。半グレのトップか、それに近いのか、ぞろぞろと、ゆうに十人以上の取り巻きを引き連れている。連中に知った顔がちらほら見えた。
「アイツなら一蹴り入れたいよなー」
間延びした、しかし自分にとって楽しくない台詞が聞こえてくる。
「おー、ここか?何てヤツだ?なに?中学時代のォ?つまらんなぁ。ははははっ!」
さらに加わったのが、一際嫌な雰囲気の中年だった。そいつも四、五人引き連れている。
というか、絶対に暴力沙汰が『本業』の筋モンだ。何で俺一人に、20人近く集まるんだよ!?暇か!!
竜平は囲まれて震えそうになるのを、なんとか抑え、まず昼間の男に詫びを入れた。
状況が怖いのもあるが、思い返せば、あの時のいざこざは自分には関わりのないことだったのだ。相手の前歯4本を折る理由が無かった。
本心から、すまないことをした、と思い直していた。
「あン時は、ホントに悪かった」
当時、自分が対立に無関係だったにも関わらず、しゃしゃり出た上に怪我をさせた事を詫び、真摯に頭を下げた。
そんな竜平を、テラテラ素材のシャツを着た男は鼻で嗤った。
「バァーカ!そんな詫び一つで済むモンかよ!!つーか、詫びなんていらんわ。とりあえず、一回死んどけ?な?」
言うなり、男は頭を下げた竜平の頭頂を殴りつけた。
くそっ!そんな上手くまとまるわけねーか!!
一発は黙って殴られた。それでケジメをつけたものとして、竜平は反撃した。しかし、相手は一対一でやり合おう、などと最初から思ってはいなかった。
「いきがってんじゃねぇぞ、新井!!」名前を呼んだのは、当時の自分を知っている一人だろう。そいつが羽交い締めしてきたのを、すんでのところでかわし、肘鉄を喰らわせると、別の男が竜平の首を後ろからベルトで引っ掛けて、引っ張り上げた。竜平は自分の頭の後ろにあるそいつの顔を探ると、目を思いっきり引っ掻いた。「ぎゃはっ!」
「てめ……おい!!手加減なしでやっちまえ!!」
多勢に無勢だった。こうなると、竜平自身、そもそも体系立った格闘技など何も身についてない。勢い任せに殴る、蹴るくらいしか出来ないのだ。
中には構えからして、空手、柔道、ボクシングを齧ったであろう輩たちが混じっている。
竜平は、みるみるうちにタコ殴りの練習台に堕とされた。
竜平は覚悟した。
朦朧として——あ、死ぬわオレ。
跪いた竜平の前に、男がにやけて手に持った角材を振りながら距離を縮めてきていた。
男が竜平の脳天に叩き込もうと、角材を振り上げる。
その時、それまでの騒乱の中で聞いたことのない声がした。
「そいつはいつまで続くんだ」
関係筋から借りたであろう、工事予定地の建材置き場——
この一方的な暴力に関わる人間しかいないと思っていた場所に、他の誰かがいる。
昼間と異なって人気のなくなったオフィス街の工事予定地……乱闘用に点された光の輪の中に、白髪長身の男が入り込んでくる。
焦げ茶色の、日本ではまず見かけないロングライディングコートに、黒のタートルネックシャツ、そしてブラックデニムという装い——ただ、足元は鉄鋼芯入りの安全靴だった。そのせいか、何人かは現場の作業員が私服で戻ったものと勘違いした。
竜平はその男の顔を見て、完全に思考が停止した。
あいつ…だ。大島、大島……えっと。ヤな奴。
いや、なんで?
何でアイツがここにいる?
「そろそろ、場所を空けろ。死にたくなかったらな」
「はぁあぁ?テメ、誰だぁ?!こいつの助っ人か?」
「違う!オレは一人で——」
「テメェには聞いてねぇんだよ!」
半グレ男は、複数の男に散々殴られ、顔がひどく腫れ上がった竜平を跪かせたまま、その頭をさらに殴りつけた。
「俺は俺の用でここに来ている。……全員、早く失せろ」
「ふざけんな!見りゃ分かるだろうが!俺たちはな、これからコイツの指を落として、お袋さんに送りつけてやるんだよ」
「なに…」
半グレの計画を聞いた大島の、左目がギラリと光った。
夜の灯りでは誰にも分かるまい。左の瞳孔は縦に割れている。
急速に辺りの気温が下がる。
「ヒャフッ……なんか、急に、冷えねぇ、か?」
取り囲む面々の後方にいる輩が、白い息を吐いた。
「指を、母親に送りつけて、そしてどうする?」
半グレリーダーは、白い息とともに暴言を吐いた。
「……て、テメェに関係あるか。お袋さんが息子可愛さに1本でも持ってくりゃ、それで手打ちさ。キレーな終わり方だろうが」
1本。つまり、百万円。
竜平にも、それくらいは分かった。
母一人子一人で生きてきて、その金額は竜平の家庭では大層な額だった。
母が自分の服を何年も新調せず、竜平のために揃えた真新しい高校の制服を、嬉しそうにハンガーに掛けていた光景が、今この状況で竜平の脳裏に強烈によみがえった。
半グレは竜平の家の事情を知ってか知らずか、軽く言ってのける。
その乱暴で残酷な発想が披露された時、工事予定地の暗闇の奥、更地から大量の液体がバチャリと溢れたような音がした。
その場の何人かがその音に振り向いたが、何かが倒れ込む音に、すぐに半グレと白髪の男がいた方へ視線を戻した。
戻した視線の先には——
半グレ男が膝を落とし、上半身を地面につけて、その場に不恰好にうずくまっていた。
白髪の男が懐に入り、強烈な右フックを脇腹に叩き込んでいた。
一瞬の出来事だった。
その場の全員が、何が起きたのか理解するまでに数秒かかった。
取り囲む半グレたちの後方で物見遊山を決め込んでいたヤクザが、事態に怯む。
鉄火場を何度か潜った経験が、介入してきた男から一瞬放たれた、自分たちとは桁違いの暴力の匂いを嗅ぎ取らせた。
コイツハイケナイ。カカワルナ。理性がそう告げていた。
だが同時に、損得だけで進退を決められない、ヤクザの筋が理性的な判断よりも、格好をつけることを選ばせていた。
「おう!何ボーッとしてる!?お前らのヘッドだろうが!!」
その声に、角材を手にした三人が、立て続けに大島惠介に殴りかかる。
攻撃は瞬時に躱され、二人は地べたに叩きつけられた。もう一人は高く、囲む円陣の外に投げ飛ばされる。まるで木端を投げるような、雑なやり方だ。
その様子から、大島の力が明らかに数段違うことが分かる。
砂利山に落下した木端男は、どこか関節を外したのか、「ギャウェッ!」と奇妙な悲鳴を上げた。
竜平は、眼前で繰り広げられる光景に絶句したままだ。
大島の手には、相手から奪った角材が握られていた。
面倒くさそうに、次々、自分に向かってくる羽虫か何かを払うように、相手の鎖骨や脛を打ち据えて、昏倒させていく。
「グウェッ」
「ォグッ」
「やろ…ッ…オヶッ」
断末魔のような一声を最後に、男たちが倒される。
「う、後ろ!!」
竜平が叫んだ。
後ろから振り下ろされた木刀を、大島は振り向きもせず紙一重で躱した。
勢いで自分の前につんのめる相手の後ろ首辺りを、大島は角材で大上段から打ち据えた。
ガタイの良いそいつが、主だった連中の最後だった。
大島惠介は手に持っていた角材を、用が無くなったとばかりに遠くに投げ捨てた。
自分たちの中で一番デカい男が沈んで、残って立っていた連中は、倒されて気を失ったままの半グレ男を引きずって、あっという間に逃げ去って行った。
ヤクザすら、騒動の途中でいつの間にやら、暇つぶしの見物に来ただけだ、カネにもならん、と言い訳がましくその場から消え失せていた。
「………チッ…今夜は、焼き切れんな」
大島が、自分の周りに累々と倒れ込んだ輩たちを見て、忌々しそうに呟いた。
それを聞いて、腫れた口で、竜平がもごもごと訊いた。「何を、焼くって?」
「……まだいたのか……」
「い、いたさ!」
「いや…立てないんですか?」
「立てる!バカにすんな!!」
言いながらも、立てない。ア、アタァ!!
「……邪魔なんだがなァ」
そう言いながら、大島惠介はロングコートを脱いだ。
「な、何だと…この野郎、助けたからって、邪魔ってなんだ、邪魔って」
コートを簡単に畳み、その辺の建材に引っ掛けて、大島が工事予定地の奥にさらに進もうとする。
「おい!勝手に——」
そもそもが普通の状況でないにもかかわらず、竜平も行儀の良い日本人の一人らしく、大島がそれ以上勝手に侵入するのを止めようとした。
コートを脱ぎ、ライトに照らされた大島惠介の後ろ姿を見上げると、腰のベルトに大小一対のナイフシースが、X字に交差するようにがっちりと固定されていた。
ナイフ……
いやいや、え??ナイフも、差している。
……ナ、ナイフ!?ガチか??!
デカいぞ、あれ!!




