暴挙(1)
ごみの収集や関連する運搬業務を請け負う、清掃会社の朝は早い。
住宅街のごみの集積所からの収集は、朝一番なら概ね八時半から始まることが多い。だから町内会やマンション管理組合などは、住民に八時までにはごみ出しすることを推奨している。
区からごみ収集事業を受託している日向環境クリーンサービス株式会社も、朝早くから稼働し始める。
この会社は、従業員が長く勤められるよう、各自の生活に合ったシフトの希望をなるべく汲み取っている。
だのに、今日の早番を自分で選んだ新井竜平は、朝から憂鬱だった。
竜平がこの会社——社内や区の担当者の間ではヒューカンと略して呼ばれることが多い——に勤務し始めてから、早くも三年経った。
三年も在籍すれば、会社の業務は一通り把握している。
総務、経理、といった内勤以外なら、新人に自分の従事する仕事のコツや心構えは教えられるくらいにはなっていた。まず業務のことで分からないことはない。
憂鬱なのは、今日一緒に組む男が苦手だからだ。
いや、苦手、というよりも……はっきり言って、気に食わない。嫌いなのだ。
一年ほど前に入ってきたヤツだ。後輩になるが、おそらく年上だ。
そもそも入社してきた経緯が面白くない。
会社の代表取締役である日向誠司が、自ら朝礼で紹介する時に、「みんな、シマさん、と呼ぶといい。おれもそう呼んでいるから」などと言っていた。
どこでどう、日向社長に取り入ったのか、信頼関係がすごく出来ている。そう見える。それも面白くないのだ。
昔、悪ぶって社会から外れかけた自分に、社長はまともな働き口を与えてくれた。
日向社長は、面接で空欄の目立つ履歴書に目を通してから、書類から目を離し、
「履歴書からはわからないんだけどさ、結局君は何が出来る?ウチで何がしたい?」
そう言って、自分の言葉を聞き出そうとしてくれた。
「あ、の……俺の出来ることがあれば、なんでもッス。じゃなくて、なんでもします……したいです!」
後から入ってきたそいつは、その社長に重用されている。
後輩のはずなのに、忌々しくて仕方がない。
しかも、そいつは見た目もなかなかかっこいい。背も高い。力もある。人に配慮もする。女性に対しても、礼儀正しい。
清掃や社食のおばさんたちに、何か頼む時、「お姉さん」と呼びかけてて、社食の婆ちゃんなんか、あいつに頼まれもしないうちに飯を大盛りにしてる。面白くない。
同僚のおっさんたちに、あいつさぁ、と悪口を振っても、誰も同じようには返してこない。まぁ、ちょっと怖そうだよね、近寄りがたいよね、程度のことは言っても、評判は決して悪くない。面白くない。
それに比べて、自分の自慢と言えば、昔やんちゃをしていた。その程度だ。自分でも思うが、つまらない男だ、と思う。まるで小物だ。
あいつ、なんか雰囲気も落ち着いているし、明らかに自分は男として敵わない。わかっている。面白くない。
「そういや、あの人に助けられたわ、おれ」などという話まで出てきてしまう。
家庭ごみの袋が収集車内に取り込まれる時、圧縮板に何かが挟まれ、詰まった。そいつを取り外そうと、同僚はプレートに顔を近づけていた。瞬間、大島がその襟首を掴んで引きずり倒した。
その直後、小規模ながら爆発が起きた。挟まれていたのは、使い切っていないスプレー缶が複数入っていた袋だった。挟み込まれたスプレー缶に穴が開き、噴き出したガスに、近くの金属同士が擦れて生じた火花が引火したのだった。
顔を近づけたままだったら、破砕片で大怪我をしていたかもしれない。
「シマさん、無愛想だけど、ちゃんと周り見ててくれて——おー、おはようさん!今シマさんの話してた」
「ゲッ……」
竜平は、喫煙所に入ってきた気に食わない年上の後輩・大島惠介から目を逸らした。
「おはようございます」
「こないだはありがとさん。なに、スプレー缶が爆発した時に助けられた、って話よ。お疲れ」
火のついたタバコを消しながら、機嫌よく挨拶したおっさんは、さっさと自分の持ち場へ行ってしまった。
「新井さん、おはようございます」
顔を逸らしていた竜平だったが、名指しで挨拶をされ、仕方なくタバコを挟んだ手を軽く挙げて見せた。
少し離れたところで細い葉巻に火をつけた大島……を、竜平は盗み見る。
荒くカットされた肩ほどの長さの白髪に、彫りの深い横顔——男の俺からみても、かなりのイケメンだ。
ハーフだか、海外暮らしが長かった、とか聞いた。
煙をくゆらす姿が、悔しいけど決まってる。だいたい、なんで葉巻?高そう。
鉄鋼芯入りの黒い安全靴を履いた脚が、長過ぎだ。ありゃなんだ。会社の健康診断で、たまたま近くにいて身長と体重が聞こえてしまった。188.7cmって……俺なんか170.2cm、ぎりぎり170cm台なんだぞ!
この間なんて、退勤時間近くにこの野郎を訪ねてきた女がいた。めっちゃイイ女だった。
素っ気ない態度だったのを、女の代わりに俺がムカついた。結局、二人で飲みに行ったみたいだったけど。飲んだだけだろうな?……とにかく腹が立った。なんなんだ。
年長者だろうと、モテまくりだろうと、俺の方が先輩だ。会社では!
揃い過ぎてるだろう。人生勝負に強ェ上位カード——イケメン、高身長、力が強い、気が利く、挨拶、挨拶ができる、女にモテる、多分モテる、そういう羨ましいカードが一人の男に揃い過ぎだ。
神サマはマジで不公平。
なんで俺が、そんなヤツに朝の挨拶なんざしなくちゃならねぇのよ。
それでも——
今日の早番は、その気に食わねえ年上の後輩と組まなきゃならない。
会社に雇われる、ってそういうことなのだ。
自分の好き嫌いでは仕事が回らない。あー!もぉ!!
「オーライィ!オーライィ!オーライィ!はい、ストーップ!!」
集合住宅の定められたごみ集積所からごみを回収するため、近接した駐車指定場所に停車できるよう竜平はドライバーに向けて大きく合図した。
その日は燃やすごみの収集日だった。
区の指定ごみ袋に入れられ、山と積まれたごみを、二人一組で手際よくホッパー部に二袋、三袋とまとめて放り込んでいく。
今日の気に食わない相方は五つ、六つで投げ込んでいくから、あっという間に作業が終わる。
すべてのごみ袋を集め終え、次の集積所に向けて発車する時だった。
「すみませーん!ごめんなさい!」
45リットルサイズのパンパンに膨れたごみ袋を両手で持つOLが、のろのろとこっちに向かってやって来る。
こういうのがいるんだよ、毎度毎度。時間通りに出せよな。
竜平は、あからさまに面倒くさそうな顔をした。
その横で、大島が徐行で進む収集車から離れ、小走りで女に向かって行った。
ごみ袋を受け取り、すぐ引き返そうとする大島に、OLが飲み物が入っているらしい白いビニール袋を差し出している。
まただ。あいつが会社に入ってきて、区民からの差し入れがやたら増えた。
しばしの押し問答の末、大島は袋を受け取り、戻って来る。
人数分以上の飲料水が入った袋を掲げ、「皆さんに、ということなので」
会社の先輩だから、ということだろう。手短に報告する男に、竜平は小さく舌打ちした。
お前のおこぼれなんて、ほしくねぇっての!
朝の収集が終わり、早番のランチタイムに一旦帰社し、社食で昼飯を食う。
午前は家庭ごみ収集で、午後は別の車両に乗り換えて、事業系ごみの回収だ。
今日は午後もあいつと組まなきゃならない。
竜平は、大好物のはずの豚の生姜焼きを社食のテーブルで突っつきながら、大きなため息をついた。
それぞれの人に魅力があるっていう視点が持てない。自分の物差しだけで優劣をつけている。小さい。俺はガキの頃からそうだ。女手一つで育ててくれた、お袋にもよく言われた。
「竜平。上か下じゃないのよ、人は。それぞれの人にいいところ、悪いところがあるの」
鍵っ子で、普段家に誰もいない寂しさを、自分と同じように家にいたくない連中とつるんで、バカな話や遊びに興じて紛らわせた。
自分が上だ、下だといった物差しで計る不良グループに属して、あいつに勝った、どいつに負けた、そんな価値観になった。そうしなくちゃ、仲間と仲良くなれない。仲間内の価値観がすべてだった。
そのうち、小学、中学とつるんでいた仲間の方が、母親より大事になっていた。
学業そっちのけで遊び回る竜平を案じる母親に、「いつも家にいねーくせに、母親ヅラすんな!」と、暴言を吐き捨てたこともあった。
バカだ。母親は家計のために、働き続けていたのだ。
頭でわかっていても、感情が止められなかった。虚しかった。
虚しさをさらに拭うために、闇雲に暴力沙汰に関わってウサを晴らした。
ある日イキがって、自分が無関係のいざこざに首を突っ込んだ結果、一網打尽に逮捕され、現行犯として手錠をかけられた。取り調べの末、結局竜平は、ロクに事情も知らない数合わせの部外者に過ぎないと分かり、警察署から放免されてしまった。
竜平を迎えに来た母親が、警察署で深々と頭を下げた時にようやく気づいた。
子供のころ見知っていた母の、かつて美しかった黒髪は、もうだいぶ白髪が目立つようになっていたことに——
以来、竜平はやめにしたのだった。上とか下とか、もうどうでもいい。
だのに、あいつ、大島が現れてからまた気に病んでいる。俺の下であって欲しいのに、そうはならない。格が違う。最初っから、いやってほどに……
入学式に出席しただけで高校を中退し、さしたる経歴もない自分を採用してくれたヒューカンは、良い会社だ。社長も同僚も、嫌なヤツは一人もいない。居心地が良い。
でも、自分にとって面白くないヤツが入ってきて、ペースが乱されている。
自分が勝手に乱れてるだけだ。そこまでわかっているから、面白くないんだ!
最後に回る、オフィスビルの半地下にあるごみ集積所から残りのごみ袋を、ホッパー部に放り込んだところで、竜平は聞き覚えのある声に呼び止められた。
「おいおい、マジかよ。新井。新井竜平だよな?」
振り向くと、同世代の男がズボンに両手を突っ込んで立っている。そいつは竜平を頭のてっぺんからつま先まで、見下すように睨めつけてきた。
「ごみ掃除屋になったってなァ、本当だったんだな。へーェ」
ニヤついて、いかにもバカにした調子で絡んでくる。
テラテラした素材の派手な柄のシャツに、白いダブッとしたパンツ、同じく白のエナメル調ポインテッドシューズを履いている。太いゴールドチェーンのネックレスとブレスレットをして、いかにも安っぽいファッションだ。誰だ、こいつ?
「おいおい、忘れたとか言わせねぇぞ?お前のせいで、俺は前歯4本、差し歯になったんだからな」
「……あ…」
「あ、じゃねーよ。あ、じゃ」
竜平は目の前の男が、中学時代に対立していたグループの一人だったことを思い出した。
「マジでムカつくわ。やったもん勝ちってつもりか、ああ?」
面倒なことになった、と竜平が内心思った矢先だった。相手と自分を照らす陽の光が遮られた。
自分たちの近くに、大島惠介が立っていた。
彼の影が二人にかかっていたのだ。
通常の事業系ごみとして回収できる廃棄物か見てほしい、とオフィスビルの警備員に呼ばれ、物品確認に行っていて戻ったのだろう。
自分たちより大柄な男がすぐ隣に立って、二人を交互に見る。
竜平に言いがかりをつけてきた男の方が、そうやって見られることに大きく舌打ちした。オフィス街に行き交う人々の中では、自分たちの過去の因縁話は続けられないと判じて、竜平に毒づいた。
「……このままで済むと思うなよ?」
男は、ごみ収集車のサイドボディに書かれた会社の電話番号を、携帯カメラで撮って離れて行った。
「逃げも隠れもしねぇよ!」
竜平も負けじと、オフィス街から飲み屋やいかがわしい店が集まる繁華街の方に去っていく男の背中を睨みつけたのだった。
二人の不穏な空気を蹴散らした大島惠介は、近くの工事予定地の方向を黙って見やった。物品確認のため大島が呼ばれたオフィスビルの隣は、新たな社屋が建つ予定地だという。
大島はしばし、その更地と建材置き場として囲まれたエリアを凝視し、そのうち徐行するごみ収集車を追って歩き出した。




