ep.87 最後の選択
「うわあぁぁん……っ! よかったですぅ~っ!」
シオが大泣きした。
「なぜ、あなたがファイレナさん以上に号泣するんです?」
アーダンが呆れた表情を見せる。
その師弟の再開に水を差すのは当然グリオハンだった。
「おい。エルフよ。よくも、この我に人間化などという忌々しい魔法をかけてくれたな」
「ちょ、ちょっとグリオさん! 今は感動的な再会の場面じゃないですか!」
グリオハンがシオを蹴り飛ばした。
「いたーっ! グリオさんが酷いよーっ」
サリフィンはファイレナの頭を撫でながら顔を上げた。
「ああ。グリオハンだね。よく似合ってるよ。逞しくて勇壮で。なかなかいい姿じゃないか」
「やかましい!」
グリオハンが石棺に拳を叩きつける。簡単にひびが入った。
「我は術者であるおまえなら、この魔法を解けると聞いた! だから、面倒な旅をしてきたのだ!」
「なるほど。君も一緒に、私を生き返らせるために旅をしたと言うんだね」
「さぁ、今すぐこの魔法を解いてもらうぞ!」
一瞬にしてその場に緊張が走った。
アルダーウィンへ向かう馬車の中でアーダンが指摘したことだ。
グリオハンはサリフィンに魔法解除を迫る。そして、ドラゴンに戻れば、その場にいる者たちは、おそらくただでは済まない。
グリオハンをやるなら今だ。
ファイレナが涙を拭った。その目はすでに決然とした強い意志を帯びている。
アーダンも真剣な表情だ。
シオもその雰囲気に当てられ、唾を飲んだ。
だが、誰かが行動を起こすよりも先に、サリフィンが言葉を紡いだ。
「いいよ。その代わり、私と君、それにファイレナの三人にしてくれないか?」
サリフィンは、アーダンとシオに目を配り、席を外すように促した。ふたりは互いを見合って、最終的な判断を求めるようにファイレナに目を移す。
少しの逡巡の後、ファイレナが静かにうなずく。
それを見てふたりはそっとその場を離れた。心配そうに後ろを振り返りながらだ。何かあればすぐにでも駆けつけるつもりなのだ。
三人になると、ファイレナはサリフィンの耳元で囁いた。
「師匠、こいつはドラゴンに戻った途端に私たちを襲う気だ。何せ、師匠を憎んでるんだ」
「報復ね。まぁ、暴竜と呼ばれたドラゴンだ。それくらいは考えるだろう」
サリフィンはファイレナの言葉にも動じない。
石棺の縁に腰をかけ、グリオハンと向かい合った。
「さて、グリオハン。魔法を解く前に私はひとつ、君から教えてほしいことがあるんだ」
「もったいぶりおって。なんだ?」
「人間として生きるのはどうだったかなってね。その感想だよ」
グリオハンは僅かに顎を上げた。予想していない問いだったに違いない。
「脆弱、惰弱、貧弱。空も飛べぬし、火も噴けぬ。不便極まりない日々だったな」
忌々しげに顔を歪めるグリオハンだ。サリフィンはそれを穏やかな微笑みで聞いた。
「つまらなかったか? そう……さぞかし、つまらなかっただろうなぁ」
まるでグリオハンの気持ちに寄り添うように、しみじみと言葉を吐く。
しかし、グリオハンは同意をするどころか、意外にも黙り込んだ。
サリフィンは話を続けた。
「グリオハン。ドラゴンに戻れば、君はまた大きな翼で空から世界を眺めることだろう。だけども、わずか地上から二メートル程度の高さから世界を見るのも、案外悪くなかったんじゃないか?」
「師匠?」
サリフィンの話にファイレナも首を傾げた。サリフィンは気にしなかった。
「ドラゴンに戻ったら、もうそれは叶わない」
「何を今さら。かまうものか」
「本当かい? 君は人間に比べれば遥かに長い一生を過ごす。でも、その一生の中で、もう人間となって世界を見る経験は二度とないよ。山を見上げることや、洞窟へ入ることも、柔らかい布団で寝ること、馬車に揺られることだって、巨大なドラゴンではできないことだ」
ファイレナはグリオハンへ目をやった。グリオハンなら一笑に付すに違いない。
だが、グリオハンは黙って聞いていた。サリフィンを見る眼光だけは鋭い。しかし、食ってかかろうという殺気は感じなかった。
意外にもサリフィンの言葉に迷っているのだ。
最初こそ、ちっぽけな生き物になってしまったことへの怒りと憤りに支配されていた暴竜だった。だが、ファイレナたちとの旅の中で、僅かなりとも変化があったのだ。
そして、それはファイレナ自身が何度も感じたことだった。
ドラゴンには戻りたい。だが、暴竜の中に芽生えた人間性が、今を捨てることを惜しいと感じている。
「グリオハン。私が生きてさえいれば、君をいつでもドラゴンへ戻すことができる。そして、私は実質、君に負けないくらい長生きだ。だからさ、もう少しばかり、この機会に人間として不便を楽しんでみてはどうだい?」
「いつでも戻れる……か」
ファイレナは頭を掻いた。いけ好かないところばかりの暴竜だが、数少ない美点がある。単純で、思いのほか素直なところだ。
ファイレナもようやく口を開いた。
「バカドラゴン。おまえのことはずっと嫌いだった。今も別に好きじゃない。ただ、おまえとの旅はそんなに悪くなかった」
「……半エルフ」
「おまえだって私のことは嫌いだろ。ドラゴンになって丸飲みにしてやりたいって思ってるはずだ。だけど、私もやっぱり人間なんかよりも長生きだ。おまえがその気なら、今じゃなくたって、いつでも受けて立ってやれる」
グリオハンは呻いた。
「人間となって旅をして、ちょっとは思ったんじゃないのか? 無敵の存在っていうのは、案外退屈なものだったんだなって」
「知ったげに何をぬかすか」
グリオハンが鼻を鳴らしてあしらう。だが、まんざらでもない顔だ。
しばらく無言になった後、ようやくグリオハンが口を開く。
「わかった。いつでも戻れるのなら、少し先延ばしにするのも悪くはないかもしれん。よかろう。しばらくはまだ人間の体を試しておこう」
グリオハンはそう言って村の方へ歩いて行った。程離れたところで、驚いた表情のアーダンとシオが合流している。
サリフィンがその様子を見守っていた。




