ep.81 最後の一撃
「これだけ手こずったのは初めてだよ。もう、シオと神殿の至宝を差し出して命乞いをしても無駄だよ。ここで終わりだ」
「命乞い?」
声が聞こえ、〈見えざる手〉に燃える石が投げつけられた。当然、〈見えざる手〉の体はすり抜け、石はあらぬ方向へ飛んでいく。
グリオハンが炎の中に立っている。
「バカドラゴンッ!」
ファイレナが思わず声を上げた。
「この我が命乞いなど無様な真似をするはずがなかろう。終わるのはおまえの方だ」
燃える斧を片手にグリオハンがのしのしと〈見えざる手〉に近づいていく。
グリオハンはまだ勝つ気でいる。生物の頂点を誇った暴虐のドラゴンに、敗北の二文字はない。
「あいつの自信と往生際の悪さには、学ぶべきところがあるな」
ファイレナも自身を奮い立たせた。勝ち筋は糸のように細い。だが、戦い抜くと決めた以上、なんとかして勝つしかない。
「ファイレナさん。ギルドマスターに物理攻撃は効きません。でも、もしかして、あの炎の斧なら倒せるかも?」
シオが言葉に希望を込めた。だが、ファイレナが無碍に首を振った。
「無理だよ。あいつはわかってないだけだ」
「じゃあ、やっぱりファイレナさんの魔法が頼りですか」
「純粋な魔法対決で勝てる相手じゃない。あんな太陽光線の魔法なんて使えないしな」
「……そんな……」
「だけど、考えがある。シオ、アーダン。貸して欲しいものがある」
「は、はぁ」
シオが不思議そうに首を傾げる。
「私が何を貸し出すのです?」
アーダンも同じように首を傾げた。
「とぼけるな、死に損ない。おまえが持ってるのはバレてるんだよ」
「何をこそこそと話をしてるのかは知らないけれど、作戦の相談など無駄だよ」
〈見えざる手〉は自らの体から魔力を分けるようにして、魔力球を生み出し、それを撃ち出した。《魔法の矢》。それを同時に何発も連続して放つ。
それはさきほど、ファイレナが長い時間をかけて練り上げて発動させたものと同じものだった。
《魔法の矢》程度の魔法を連発するなど造作もない。その魔法にはそんな意図すら込められている。
燃え盛る炎が吹き飛び、瓦礫が飛び散る。
シオとアーダンは砕かれた神像の影へ逃げ延び、グリオハンは斧を盾にしながら、その屈強な肉体で受けながら耐えた。
ファイレナは素早く《魔力の盾》を作り出し、魔法攻撃を弾く。
《魔法の矢》の連射が落ち着いたところで、今度はファイレナが反撃に出る。雷球を生み出し、それを槍型に変えて投げる。
「《迸る雷槍》!」
だが、案の定、〈見えざる手〉は、一瞬存在を精神層へ移し、ファイレナの魔法をやり過ごす。再び物理層に現れると、ほとんど魔術錬成の時間をかけず、《魔法の矢》をファイレナへ連射した。
ファイレナが再び《魔法の盾》を作り出す。だが、《魔法の矢》の集中砲火はとても防ぎ切れない。《魔法の盾》が破壊され、ファイレナは魔力の雨を浴びて吹き飛んだ。
「ファイレナさーんっ!」
シオが物陰から顔を出した。
「さすがはかの賢者サリフィンの弟子といったところ。何度も凌いだものだ。だが、終わったな」
勝ち誇る様子もなく、〈見えざる手〉は淡々と言葉を紡ぎ、残った三人に標的を移す。
「細っこい半端エルフを屠ったところで、どうだというのだ。その程度の魔法では、いくら打ち込んでも我は倒せぬぞ」
〈見えざる手〉の前に立ちはだかったのはグリオハンだった。自慢の戦斧を片手に握っている。もう片方の腕はマルグルンとの戦いの中で負傷し、だらりと垂れたままだ。炎の利かない体も傷だらけで満身創痍。もはやプライドだけで立っていると言ってもおかしくない状態だ。
「蛮族風情には分からんようだな。そんな斧では、私を倒すことなど不可能だということを」
魔力の体から触手のように魔力を伸ばし、それを絡め合わせる。やがてそれは、魔力の渦へ変わっていく。
「消し飛ぶがいい」
「消し飛ぶのはおまえだ。魔法生物」
魔法を発動させようとする〈見えざる手〉の背後に立っているのは、ファイレナだった。その両手に握った短剣を魔力の体へ突き刺す。
物理的な力を受け付けないはずの〈見えざる手〉が震えた。可視化した魔力が、その粒子が振動し、一瞬、不安げな明滅を起こす。
「お、おまえ……!」
これまで作られた生命体らしい冷淡な言葉を紡ぎ続けていた〈見えざる手〉から、初めて人間が持つような感情に近いものが見えた。それは驚き、そして恐怖である。
「魂砕きの短剣。こいつなら定命ならざる者を倒すことができる。それはおまえだって例外じゃないだろう!」
アーダンが口惜しそうにそれを見ていた。
「せっかく、どさくさに紛れて回収したんですがね。さすがはファイレナさん。抜け目がありませんねぇ」
ファイレナがアーダンに貸せと言ったのはこれだった。一方、シオから借りたもの、それは首に巻いた夢渡りのスカーフである。
「おまえは《魔法の矢》で死んだはずではないのか⁉」
案の定、〈見えざる手〉にはファイレナの存在は認識できていない。魂砕きの短剣で一撃入れられてからようやく気付いたのだ。
「魔法でやられるふりをして、存在を消した。結局、おまえはどこまでいっても、物理的に私たちを感知することはできないんだな」
ファイレナがさらに強く短剣を押し込む。
魔力という質量のないものにねじ込んでいるにも関わらず、そこには明確に手応えがあった。まるで強く押し固めた砂に突き刺しているかのような感触だった。
〈見えざる手〉は耳をつんざく警報のような音を巻き散らした。苦痛を感じるほどの不快な音。それが、人間たちで言うところの悲鳴であることは明白だった。
「魔力で世界を見る。そのおまえの強みが逆に仇になったんだ!」
「おのれ……! この私が……消える、だと⁉」
自身、無敵を誇っていたのだろう。しかし、その無敵のギルドマスターから明らかな焦燥が感じられた。魔法生物の死、それはすなわち消滅だ。肉体のない魔法生物は思念も残らず、純粋な魔力となって霧散する。
不定形の魔力の体が膨れ上がる。
「ざまぁみろ! 私はあの賢者サリフィンが認め、唯一、弟子に取った魔術師なんだ! おまえみたいなただの魔力の塊なんかに負けるかぁっ!」
魂砕きの短剣が、ついに魔法生物の体を貫いた。
まるで風船が限界に達したように、膨れ上がった魔力の体が破裂する。膨大な魔力が弾け飛ぶ。
「うああああっ!」
膨大な魔力の奔流にファイレナが吹き飛んだ。
アーダンは折れた神像の足元にしがみついている。グリオハンはたたらを踏みながらも、それを耐えた。その横をシオが転がっていく。
やがて魔力の暴走が収まった。辺りには可視化した魔力の粒子がキラキラと輝きながら舞い、やがて消えた。
悪名高き盗賊ギルド〈影の道〉のギルドマスタ―〈見えざる手〉は消滅した。




