ep.65 奈落からの追跡者
それからしばらくの後、タルニャが地面に伝わる振動が消えたと告げた。
四人は行動を再開した。願わくば、その追跡者がこちらを見失ったと思いたい。目的地にだって危険が存在するかもしれないのだ。道中、難題が少ないことに越したことはない。
だが〈深層〉は、そう地上の冒険者に優しくはなかった。
「ファイレナさん。例の魔物がこちらへ近づいているようです」
シオとともに最前列を進むタルニャが、地面に手をついてファイレナを振り返る。
「どれくらい近づいてる?」
「さきほど、休憩中に感知したときよりも、明確に振動を感じます」
「それは、こちらをはっきりと認識してるってことか?」
「そう思って、差し支えありません」
ファイレナは首を振った。
「どうやら衝突は避けれそうにないみたいだな……」
「また、土竜みたいなデカブツはいやですよ~」
シオは顔をしかめた。
「ふん。あんな体だけのトカゲなぞ、取るに足らぬわ」
グリオハンはすでに戦闘態勢に入っており、自慢の戦斧を引き抜き、ぐるりと肩を回した。
タルニャがすっくと立ち上がる。その白面を被った首を左右に緩やかに振る。
「いえ、相手は一体ではありません。これは複数で徒党を組んでやってきている振動です」
「マジですか⁉ それはそれでいやですね!」
シオは愕然として目を見開いた。
「まったくです。ノームたちが、我らの忘れものを届けにきてくれただけなら、いいんですけどねぇ」
アーダンもメイスを握った。新調した武器を始めて振るえるとあってか、その目は、死人とは思えないやる気に輝いている。
ファイレナは辺りを見回した。今、自分たちのいる場所は、通路としては幅もあり、グリオハンが戦斧を振るうにも広さは十分ある。ここで迎え撃つのは悪くない。
詠唱を静かに口にしながら、かざした手に雷の力を生み出す。遭遇した瞬間に魔法を叩きこんで、戦闘を有利に進めるつもりだ。
五人が身構えると、微振動などではない、明確な音が聞こえ始めた。
バリバリと岩の表面を削るような硬質の音が響く。
「来ます!」
タルニャが警戒した声を出す。
ファイレナが、魔術光の届くぎりぎりの闇の向こうを見定めた。
ぬるりと現れたのは、人型のモンスターだ。用意した雷の魔法を即座に撃つ。
「《貫く雷撃》!」
光り輝く雷の一閃が真っ直ぐに追跡者へと飛んだ。
だが突然、その追跡者の体が壁を伝って上へ昇った。雷の光線が通路の向こうの闇へ吸い込まれて消える。
「え!」
思わず、ファイレナが声を漏らす。
追跡者が天井からぶら下がっている。
「み、み、見てください……っ!」
シオが通路の天井からぶら下がった魔物を指差した。
魔術球の光が、現れた〈深層〉の魔物を照らし出す。
人型に見えたのはモンスターのほんの一部だった。それはふくよかな乳房を持つ女性の上半身である。そして、腰から下は巨大な無数の体節が長く連なっており、それは鎧を思わせる黒い硬質の輝きを放っている。その驚くべき長さは、魔術球の届かない闇の向こうに消えていくほどだった。
「ム、ムカデ……ですか?」
ごくりと唾を飲んだシオの言うとおり、その体節からは左右一対の甲殻に覆われた足が伸びている。
タルニャが瞬きをした。
「なるほど。私が複数体と錯覚したのは、このためですね。相手は大勢ではない。多くの足を持つ一体だったようです」
ムカデ人間が上半身を天井から垂らす。完全な闇に住んでいるからか、本来、人間に目がある部分に目玉はなく、代わりに幾本かの触手めいたものが伸びており、いやらしく蠢いていた。
「目が見えないぶん、あれで知覚してるんですかね」
その薄気味悪い動きを見たシオが、ゲェっと舌を出した。
「ふん。乳を放り出して、下品なやつだ。なんて名前なのか知らないけど、あいつのことはルード・クロウレスと呼んでやる」
ルード・クロウレスが、気に入らないニックネームに怒るように、ファイレナに威嚇の声を上げた。ヤスリで耳の奥を削るような不快な威嚇音。蛇のそれに似ていなくもないが、はるかに耳障りだ。
「皆さん! どいてください!」
隊列の後方からタルニャが声を上げた。皆がさっと道をあけると、駆け出したタルニャが飛び上がり、勢いと体重を乗せた文字通りの鉄拳を突き出した。
しかし、地面、壁、天井と、長いムカデの下半身を螺旋状に這わせたルード・クロウレスは、上半身を自在に動かすことができる。
加えて、目に変わって飛び出た触手状の器官が高度な感知能力を備えているのか、驚くべき反応速度で、タルニャの拳を回避した。その上、お返しとばかりに黒光りする体を乱暴にタルニャへぶつけ、壁まで吹き飛ばす。
「タルニャさんっ!」
シオが思わずそちらへ目をやった。そこへしなりを持った鎖状のものが伸び、シオを打ち据える。よそ見をしたのは迂闊だった。
「あうっ!」
シオの悲痛な叫びが響く。
「触手? いや、あれは……」
ファイレナは目をすがめる。ルード・クロウレスの手に握られた得物だ。それは、人間やその他人類種の脊椎を繋げて作った長い鞭だった。
「な、なんだよ、あれ」
「あ、あぁ……」
シオが倒れ込んで震えている。
思わずファイレナが駆け寄る。その傷を見て反射的に目を逸らした。
「酷い傷だ」
脊椎の鞭。それは、まるでノコギリの刃を鞭状にしたようなものであり、ギザギザの裂傷を刻む残酷な武器だった。
「ファ、ファイレナさん……」
シオの目は不安にかられている。
肉を抉られる激痛は如何ほどのものか。命に別状はなさそうだが、苦痛のせいで立ち上がるのも難しそうだ。シオが一撃で戦意を喪失させられている。
「アーダン! シオに治癒魔法を!」
「何を。私はこれから新調したノーム製のメイスを試すところなのですよ。あのまるで黒鉄の鎧もかくやという頑丈そうな甲殻なら、打撃の威力を推し量るのに都合がよいとは思いませんか!」
アーダンは新しいメイスを握り、爛々と目を光らせている。
「グダグダうるさい! おまえは神官だろっ! さっさとシオの治癒をしろっつってんだよ! ゴミカスッ!」
ファイレナはさきほどのルード・クロウレスの威嚇も真っ青の怒号をアーダンに叩きつけた。その迫力にはアーダンの顔色もさっと変わる。
「シオはアーダンに任せる。ここは、私とおまえ、それとタルニャの三人で迎え撃つぞ」
ファイレナはグリオハンと並び立った。
「通路の幅には限界がある上、あの虫ケラがなお狭くしている。暴れ回るなら、五人は少し多いと思っていたところだ」
グリオハンが噛んで血の滲んだ指先で戦斧ファルグを撫でる。紅蓮の炎が立ち昇った。
タルニャもその列に加わる。
「大丈夫か? タルニャ」
「はい。父さまが頑丈に作ってくれましたから」




