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ep.54 竹トンボ

 じっくりと見るのはこれが初めてだ。

 これまでグリオハンが使っていた量産品の斧とは違い、斧頭には精緻(せいち)な意匠が(ほどこ)されている。ファイレナの指がそれをなぞる。体を丸めたドラゴンのモチーフだった。さらに視線を滑らせると、金属製の柄にも鱗を思わせる模様が彫られている。これは間違いなくドラゴンのものを模したものだろう。

 ファイレナがうなずく。自身の中の仮説が確信に変わった。


「やっぱり。この斧はおまえの血に反応して炎を上げるんだ」

「我の血?」

「うん。これまでオークもこの斧を使ってた。だったら、色んな条件下に置かれたはず。だけど、一度として炎は発現しなかった。唯一、炎を上げたのはおまえの血を浴びたときだけだ。つまり、この斧はドラゴンの血を浴びることで炎を纏うんだよ」


 ファイレナは更に細部に至るまで斧を調べる。すると、斧頭の背に秘文字が彫られているのを見つけた。

 魔術師しか使わない古い言葉だ。慎重に読む。


「ファラグ。こいつはファラグの斧、あるいは単純にファラグ。魔法の斧だ」


 グリオハンがその柄を掴んで持ち上げた。


「ファラグの斧か」

「ドラゴンの血なんてそうそう手に入るもんじゃない。どういう経緯や意図があって作られたものなのかはわからないけど、今は、誰よりもおまえが使うのが相応(ふさわ)しいだろうな」


 グリオハンは持ち上げた斧をじっと眺めている。その目がどこか憂いを帯びていることにファイレナは気付いた。


「どうした、嬉しくないのか? ほとんどおまえ専用の武器だぞ。しかも魔法の武器だなんて。人間だったら小躍りしてるところだぞ」


 グリオハンは鼻息でファイレナの言葉を吹き飛ばす。


「炎を噴く斧程度で何を喜ぶことがある? 我は自ら炎が噴けたのだぞ」


 戦斧を背中に担ぎ直す。


「貴様の師に魔法をかけられるまではな」


 グリオハンがファイレナに鋭い目を向ける。その目にはもう憂いはない。

 あるのは怒りと(いきどお)り。その斧はグリオハンの怒りの具現だ。


 ふたりが睨み合っていると、グリオハンの背中にこつりと物の当たる感触があった。振り返ると、花冠を被った小さな少女と、その兄と思しき少年が走ってくる。


「でかい兄ちゃん! それ、取ってくれ!」


 少年が声を上げた。それというのは、グリオハンの背中に当たって落ちたものだ。木を削って作った竹トンボである。

 グリオハンは竹トンボを拾って少年に無言で差し出した。


「腕ふってぇ!」


 グリオハンの腕の(たくま)しさに少年が思わず声を上げる。


「ねぇねぇ、お兄ちゃん。この大きいお兄ちゃんならもっと高く飛ばせないかなぁ?」


 花冠の少女が、兄の後ろに隠れるようにしながら、服の裾を引っ張っている。

 少女の発想に兄はうなずき、妹ともども期待の目をグリオハンに向けた。求められていることがわからず、グリオハンはただ兄妹を凝視している。


「その竹トンボを思いっきり飛ばしてくれって言ってるんだよ。おまえの力ならもっと高く飛ぶかもしれないって思ってるんだ」


 ファイレナが声をかける。

 グリオハンは太い指でつまんだ竹トンボを珍しそうに眺めている。


「両手を合わせて、こすり合わせるようにしながら離すんだ。そうしたら、回って飛ぶ」


 兄がこうするんだとばかりに両手を擦り合わせている。

 しばらく眺めていたグリオハンは、竹トンボの柄を両手で挟み、少年が言ったように、力いっぱい擦り合わせて上に向かって離した。

 音が聞こえるのではないかと思うほど、勢いよく回転した竹トンボは、思惑どおりに高く飛び上がった。兄妹が思わず歓声を上げる。


 グリオハンは無感動に空を飛んでいる竹トンボに目をやった。


「すげーっ! さすがでっかい兄ちゃん! めちゃくちゃ高く飛んだ!」


 高く飛んだ竹トンボも回転が収まると、フラフラと落下を始める。グリオハンがそれを地面に落ちる前に掴んだ。


「ねぇ、もう一回やってみて! 今度はもっと高く!」


 花冠の少女が両手を握って興奮気味にねだる。


「こんなものの何が面白いのだ?」

「いいから、やってやれよ」


 グリオハンはより高く飛ぶように、さらに強い回転をかけ、放り投げるように手を放した。竹トンボがさらに勢いよく高く舞い上がり、兄妹が歓声を上げる。

 グリオハンは空を飛ぶ竹トンボをじっと眺めている。やがて落ちてきた竹トンボを手に収め、これで終わりだという言葉に変えるように、少年へ差し出す。


「これが飛ぶのがそんなに楽しいのか?」

「楽しい! 俺の頭にもこんなのが付いてたら、空を飛べるかもしれないのに!」


 少年が言うと、少女がケラケラと笑う。


「……我は、かつてはもっと高く空を飛べたのだ」


 ぶっきらぼうに呟いたグリオハンの言葉に、兄妹がぼかんと口を開けた。どういうことか理解していないのは一目瞭然だ。


「魔法か何かのこと?」


 兄の精一杯の理解だ。グリオハンがかつてドラゴンだったなど、当然知る由もない。


「まぁ、なんでも良い。空から見る人間の町は小さく、山も川も気にすることなくどこへでも行けた」

「今は飛べないの?」


 妹は兄よりもさらに純粋な目でグリオハンを見上げている。


「今はな。ただ、もう少しでまた飛べるようになるはずだったのだ。〈深層〉にさえいければな」

「〈深層〉? 〈深層〉って地下の洞窟のことか?」

(しか)り。ここからそう遠くないところに入り口があったと聞いていた」


 妹の方が兄の耳に顔を寄せて何かコソコソと話している。

 そして、兄の方がグリオハンと話をする。


「父ちゃんたちが言ってたやつだ。洞窟の入り口を塞いだってやつ。その中に行くつもりだったのか?」

「そうだ」


 妹がまた兄に耳打ちする。今度は兄が妹に耳打ちする。すると、妹が耳打ちし、また、兄の方が耳打ちする。


「キミたちさ、何をコソコソ話してるんだよ」


 目の前での内緒話ほど気になるものはない。ファイレナが我慢しきれず口を挟んだ。

 少年は周りを気にするようにキョロキョロと辺りを見回し、ファイレナに小声を返す。


「実は、他にも入り口があるんだ。これ、父ちゃんたちに知られたらきっと塞がれるから黙ってるんだ」

「なんだって⁉」


 思わずファイレナが声を上げ、慌てて口を塞ぐ。


「どこにある?」


 グリオハンが身を乗り出す。

 妹がグリオハンを見上げた。


「大きいお兄ちゃんは竹トンボを高く飛ばしてくれたから、お礼に教えてあげる」

「でかしたぞ、クソドラゴン。おまえの馬鹿力が役に立った」


 ファイレナは兄妹の肩に腕を回した。


「ねぁ、キミたち。村の大人たちに内緒で案内してくれないかな?」


 妹は勢いよくうなずいたが、兄の方は渋っている。


「でも、父ちゃんにバレたら、何発拳骨(げんこつ)食らうかわかったもんじゃないし……」

「大丈夫、心配いらないって。もし、見つかっても、うまいこと誤魔化してあげるからさ。なにせ、私は天才的な魔法使いだから」

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