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ep.36 グレイミュートの森

 グレイミュートの森。その名は、鬱蒼(うっそう)と茂った樹々によって、暗く保たれる森の様子に由来する。森は昼の陽光すら満足に通さない。その上、異様な静けさに包まれており、人々は本能的な恐怖を刺激される。人間の寄り付かない森は、獣や亜人の巣窟となるのが常だ。

 グレイミュートの森は、近隣の村々ではある種の禁足地となっていた。


 そんな森の道なき道を、四人はひたすらに前進する。

 森の景色は代わり映えしない。今、どこを歩いているのか、まったくわからなくなる。


「ファイレナさん。方向、合ってますか?」


 先頭を行くシオが後ろを振り返った。シオの後ろはファイレナが歩いており、いつもは腰に差したままの魔術杖を片手に握っている。


「合ってる。そのまままっすぐ進んでいい」


 魔術杖からは淡い魔法の光が線状に発せられている。それは常に北を指していて、自分たちがどの方向を進んでいるのか見失わないようになっていた。

 シオが自身と同じくらいの背丈の草をかき分ける。


「これ、先頭変わった方がよくないですか? グリオさんが道を作ってくれた方が、皆さん歩きやすいと思うんですけど」


 シオの訴えに返答したのはファイレナの後ろにつくアーダンだ。


「これだけ深い森なら、獣もいるでしょうし、巨大昆虫や危険な魔物もいるでしょう。優れた斥候でもあるシオさんが先頭の方が良いと思いますが?」

「獣に狙われてるかどうかなんてよくわかんないですよぉ。人為的に仕掛けられた罠なら見極められると思いますけど」

「だったら、一回変わってみるか? たしかにデカブツが一番前の方が盾役にもなっていいかもしれないし」


 ファイレナは最後尾にいるグリオハンへ振り返った。

 グリオハンは先頭だろうが、後列だろうが気にも留めていない様子で、言われたとおり素直に従って前に出た。

 ガサガサと伸び放題に茂った草を踏みならしながら進む。


「たしかに、なんかさっきよりも進みやすい気がするな」


 ファイレナの足取りが心なしか軽くなる。

 シオと先頭を変わってものの数分のことである。突然、草木の間から土埃が舞い上がったかと思うと、地面から頑丈な網が飛び出し、グリオハンを絡めとった。


「な、なに⁉」


 グリオハンも突然のことに思わず声をあげる。

 間一髪、巻き添えを食わずに済んだファイレナが、土埃にむせながら、頭上を見上げる。頑丈そうな網に包まれたグリオハンが巨木の上から吊り下げられている。


「ぶふっ」


 その様子にファイレナが思わず吹き出す。ピンチだというのに、憎きドラゴンが罠にかかった様が痛快だった。


「ファイレナさん⁉ 笑ってる場合じゃないです! 罠ですよぉ!」


 一方、アーダンは抜け目なく、背中をファイレナへ向けて、辺りを警戒した。


「うーむ。おそらくは獣用の罠でしょう。知的な生物が住んでいます。それがエルフならいいのですが……」

「おい! これはなんだ! 早くなんとかしろ!」


 グリオハンが網の中で暴れ、吊り上げた縄がゆさゆさと揺れている。

 ファイレナも魔術杖を握り直して、さっと辺りに目を配った。


「エルフは獣を狩るのにこんな罠は張らない。とすれば、だ」


 ガサガサと草を揺れた。

 筋肉で盛り上がった猫背の体躯。獣のような牙ののぞく乱杭歯(らんぐいば)に、豚のように吊り上がった鼻。奥まった眼下の中で怪しく光る目。亜人種(デミ・ヒューマン)の一種族、オークだ。

 ファイレナが早速舌打ちを鳴らした。


「オークか。力もあるが決して鈍足じゃない。好戦的で戦い慣れてる。人数によっては面倒だぞ」


 ファイレナの危惧したとおり、茂みの奥や、木の影、巨大な岩の上から次々に醜悪な面構えの亜人たちが顔を出す。


「ま、まさに面倒なことになってきましたねぇ」


 シオが思わず後退(あとずさ)りする。

 アーダンが指で一体一体を指していく。数えている間にも、ひとり、またひとりと、人数が増えていく。


「いち、にい、さん、し……ああ、数えるのも面倒だ……。沢山です」

「どうします? ファイレナさん。三人でオークを相手するか、グリオさんをまず助けるか。……まぁ、見捨てるって手もあるとは思いますけど……」


 シオがファイレナを見上げる。

 ファイレナはグリオハンを見上げて逡巡(しゅんじゅん)する。(おとり)にする、あるいは引き渡すことによって、安全に逃げる算段は立てられるか。


「ファイレナさん。冷静な判断をお願いしますよ」


 アーダンが小声で囁きかける。グリオハンを犠牲にするのにもリスクはある。この先、振りかかるかもしれない危機に、グリオハンの純粋な戦闘能力は捨ててはおけない。

 ファイレナは、誰にも聞こえないほど小さく短く悪態を吐いた。


「わかってるよ。クソドラゴンは見捨てない」


 三人がまごついていると、集まったオークの中から一際大柄な一体が顔を出した。

 オーガもかくやという体躯を誇り、岩山すら砕けそうな戦槌(せんつい)を握っている。粗い造りの部分鎧から露出する肌には、オーク伝統らしきトライバルな柄の入れ墨がのぞき、首からは大振りの首飾りをぶら下げている。よく見ればそれは人間の頭蓋骨を連ねたものだった。

 シオがごくりと唾を飲む。自分がそこに連なることを想像したのだ。


「あれが頭領でしょう。あれを先に始末すれば統率は乱れるかと」


 アーダンが先手必勝とばかりに、緩やかに両手を構えた。数ある死霊術の一端を披露しようというのだ。


「待て、アーダン」


 ファイレナの目が鋭くオークの頭領を見据(みす)えている。

 オークの頭領は食いしばった歯の間からシュウシュウと息を吐いており、盛り上がった僧帽筋(そうぼうきん)がみるみる膨れ上がっていく。今にも飛びかかってやろうという気だ。

 しかし、ファイレナはその様子にも怯むことなく、むしろ、一歩二歩、前に出た。


「ちょ、ファイレナさん! 危ないですよ!」


 シオが後ろから袖を引っ張る。

 だが、ファイレナはそれを振りほどいて、さらにもう一歩前に出た。

 周りを囲むオークたちが一斉に、長弓に矢を番えた。


「おい、おまえ、まさかマルグルンじゃないか?」


 ファイレナが頭領に向かって声をかけた。

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