ep.30 喧々諤々の馬車旅
翌日、四人は早々にヴァルディラを発つべく、高級宿を背にしていた。
「っあ~っ! もう二、三日はここに泊まってもよかったんじゃないですか?」
名残惜しそうにしていたのはシオである。朝の肌寒い空気の中、眩しい太陽を浴びながら体を伸ばし、誰ともなく問いかける。
「私は一刻も早く、師匠を蘇らせたいんだよ」
ファイレナがかぶりを振る。
「一日、二日くらい誤差ですよぉ。旅程だって予定どおりにはいかないもんですし。どうせ遅れるんだったら、もうちょっと高級宿を堪能したって、ねぇ?」
「ダメだっつってんだろ」
しばらくすると、宿の前に一台の馬車が泊まった。エナメルのような艶の黒毛を持つ馬二頭が引く箱型馬車で、旅人が乗るようなオンボロとは違う。
扉が開いて中からアーダンが踏み台を降りてくる。
「さぁ、これでガリンドア山地の近くまで向かいますよ。四人乗りですが、中は広くて余裕があります。グリオさんでもくつろげて、心地よい旅路になるでしょう」
金にものを言わせられるアーダンに、徒歩で長旅を踏破しようなどという発想はない。
アーダンが他の面々に乗車を促した。ファイレナが真っ先に踏み台に足をかける。
「とはいえ、クソ竜はシオと並んで座れよ。一番大きいのと一番小さいのが隣になれ」
「私はどなたと隣でもいいですよ!」
弾むような足取りでファイレナの後に続いてシオが乗り込む。
グリオハンは無言で乗り込んだ。もう、翼があればなどと恨み節を言うことも少なくなった。
最後にアーダンが馬車に乗って扉を閉める。客席の小窓から御者に合図を送り、四人を乗せた馬車がガリンドア山地へ向けて滑り出した。
距離はあるが馬車に揺られていればいずれ到着する。楽な旅だ。だが、そんなのは最初だけだった。
町が遠く景色の向こうに消えた頃である。
「おい、もうそろそろ着く頃か?」
グリオハンは不機嫌そうに窓の外を睨んでいる。
アーダンが怪訝そうに眉を潜める。
「は? まさか。まだまだかかりますよ」
「なんだと? どれだけこの狭い箱の中に入っているというのだ。馬車とはこんなものなのか? もっと速く走れんのか?」
グリオハンは常人なら震えあがるような怒りのこもった目をアーダンに向けた。
「たしかに。馬車じゃなくて、馬を四頭用意すべきだった。そっちの方が絶対に早かった」
意外なことに、もっとも仲の悪いファイレナが真っ先にそれに同調した。
「馬に乗るより、馬車で悠々と向かった方が疲労も少ないと思いますが?」
貸し馬車を取り付けたアーダンがムッと顔をしかめる。
「そもそも、皆さんは馬に乗れるのですか? グリオさんなんてどちらかと言うと乗られる側だったでしょうに」
出発早々、文句をつけられ気分を害されたのか、アーダンは皮肉を付け足す。
「おい。我が誰かに使役されていたとでも言いたいのか?」
グリオハンは沸き上がった怒りの衝動のまま、アーダンの背後の壁に勢いよく手をついて、威嚇するように顔を近づけた。馬車が揺れる。
「壁ドンやめてください!」
隣でシオが小さい体でグリオハンを引っ張る。
「いいじゃないですか、グリオさん! 馬車旅、楽チンで楽しくて!」
「私たちは遊びで旅をしてるわけじゃないんだよ。一刻も早く師匠を蘇らせたいんだ」
「ファイレナさん、ずっと、そればっかり!」
「それが目的なんだから、当たり前だろ! クソチビ!」
「やれやれ。シオさんのおっしゃるとおりですよ。ファイレナさんは焦りで少し視野が狭い」
「はああ?」
四人四様の言い合いとなった。
もう間もなく誰かが暴力に訴える。グリオハンかファイレナか、血の気の多いふたりのどちらかの鉄拳が、アーダンの鼻っ柱に叩き込まれる。そんな一触即発の瀬戸際のことだった。
突如、馬車に大きな衝撃が走り、世界がぐらりと横転した。
全員が、これまで左だった方向に落下し、地震を思わせる振動に体を揺さぶられた。馬車が横倒しになって地面を滑っている。
すばしっこいシオがグリオハンを踏み台にして、いまや頭上となった馬車の扉を開けて顔を出した。
「な、なんですか⁉ 事故⁉」
シオの視線が道の脇の茂みを捕らえたとき、雑木の間で光が瞬き、次の瞬間にシオの尖った耳の先を鋭いものが掠めた。ツっと血がにじむ。矢だ。
「襲撃です! たぶん盗賊の!」
シオが思わず頭を引っ込める。
「ほう。ちょうど気が立っていたところだ。鬱憤ばらしに付き合ってもらおうか!」
グリオハンが扉を粉砕しながら、馬車から飛び出した。
「ちょっと、グリオさん! 馬車を壊さないでください! 走れなくなるでしょう!」
アーダンが憤慨して声をあげる。
「どのみち、もうは走れぬわ!」
外に出てグリオハンが真っ先に見たのは、破壊された馬車の車輪だ。すぐ近くに槍のようなものが落ちている。
「見たことがある。我の寝床にこれを持ち込んだ連中を見たな」
「バリスタか。この辺りの街道を襲って金品を強奪してる連中がいたんだな」
続けて這い出たファイレナの言うとおり、盗賊らしき身なりの男たちが、街道を挟む茂みから虫のように湧いて出てきた。
あっと言う間に横転した馬車が包囲された。




