ep.9 そして愛弟子は宿敵と共に旅に出る
宿敵同士のふたり旅だった。かたや、強力な魔法によって人の姿に変えられたドラゴン。かたや、その魔術師を殺された弟子。それぞれの思惑を抱えながらも、賢者サリフィンを蘇らせるという共通の目的だけで手を組んだ、危ういふたり組である。
元ドラゴンのグリオハンからすれば、自身が下等と見ている人類種には一切の興味もない。一方のファイレナにしても、師の仇と仲良く世間話などする気もない。ただ、目的のために黙々と歩くという、息苦しい旅だった。
「くそっ」
思い出したようにグリオハンが悪態を吐いた。
数歩先行していたファイレナがグリオハンを振り返る。
「どうした? 急に」
「ずっとこのまま歩くつもりなのか?」
「他にどうしろと? 村には馬もなかったんだし。歩くしかないだろうに」
眉間にしわを寄せるファイレナに、グリオハンは呻いた。
「ぬぅぅ。翼があればそんな町などひと飛びでいけるというのに、人間とはなんという不便な生き物か! 忌々しい!」
「そんなことでいちいち腹を立ててたらキリがないぞ。翼も爪もデカい図体もなくなったことくらい、そろそろ受け入れろ、バカタレ」
「それもこれもあの耳長の所為だ。おのれっ!」
グリオハンは衝動的に拳を握り、傍らに捻じくれて育った巨木の幹に、怒りに任せた鉄拳を叩き込んだ。木が揺れ、葉がこすれて音を立てる。
拳の皮が破れて血がにじむ。思わず拳を押さえてうずくまった。
「はぁ……。言ったばっかりだろ。鱗もなくなったんだって」
地平線の向こうにゆっくりと日が落ちていく。
「ドラゴンの頃はどうだったか知らんけど、人間はすぐに疲労もする。ちょうどいい、この辺りで少し休もうか。そして、夜明けとともに出発するんだ」
グリオハンは忌々しげにファイレナを一瞥した後に、その場に座り込んだ。
「交代で見張りをするぞ。最初は私が起きておく」
ファイレナは真鍮製の懐中時計を取り出し、蓋を開いて時間を確認した。
「見張り?」
「獣や野党に出くわさないとも限らない。ふたりともぐっすり眠っていたら、いいカモだ」
グリオハンは鼻を鳴らした。
「寝込みを襲われるなど、どれほどあったと思うのだ。今更、そのような手段で遅れを取る我ではない」
「おまえはもうドラゴンじゃないって言ってるだろ。わかれよ、アホ」
グリオハンが不服そうに口を曲げた。
ファイレナはこの数日で、すでにグリオハンを黙らせるもっとも効果的な方法を学んでいた。それは、今は人間だという事実を突きつけることだった。
「最初に寝かせてやる。時間が来たらお前の番だ。ちゃんと見張りをしろよ」
グリオハンは承諾したのかどうかもよくわからない、ぶっきらぼうな返事をして、自身の腕を枕に寝っ転がった。しばらくすればすぐに寝息が聞こえ始める。
グリオハンにはアルダーウィンの村で村人から適当な布を分けてもらい、かろうじて衣類と呼べるような簡素な服を仕立ててもらっていた。そんな身なりで地面の上に横たわる様子は、まさしく、遅れた文明からやって来た蛮族だ。
町に着いたら多少はマシな衣類を買ってやった方がいい。面倒だが、そうすることで自分にも降りかかるだろう諸々の面倒を回避できる。
思い立ったファイレナだが、同時に怒りも沸いてくる。
「なんで、私がこんなヤツの面倒を見なきゃいけないんだ。クソッ」
ファイレナは苛立ちに任せて小石を蹴り飛ばした。
宵闇の中で静かに交代の時間を待つ。やることもない中では、嫌でも失った師匠のことを思い出す。楽しかった思い出も辛かった思い出も、師匠相手に腹の立ったことも一度や二度ではないが、今となっては、それもすべてかけがえのない時間のひとつだった。
自然と目元が潤んでくる。
「師匠……」
ファイレナは肩口に鼻を近づけ、ローブの匂いを嗅いだ。そこには師匠の匂いが残っているはずだ。
「くさっ! ホント、最低だったな、あの人……」
傍らで呑気な寝息が聞こえてきた。その師匠を殺した張本人のものだ。
ファイレナは衝動的に魔術杖を握り込んだ。魔法の刃を具現し、ひと思いに喉に突き立てれば、師匠の仇を獲れるかもしれない。
だが、この男は元ドラゴン。人間となっても感覚は鋭敏なままだったら、どうなるか。
大胆な行動に踏み切るか。否か。
だが、決意が固まる前に、ファイレナがわずかな異音を拾った。鋭敏さならエルフの耳も負けてはいない。聞こえたのはガサガサと擦れる草の音。風ではない。
何者かが近づいてくる音だ。二足歩行の生き物が三人。
人間の冒険者か、あるいは……。
ファイレナは素早く手元で印を結び、口元で小さく呪文を唱えた。右の瞳孔に魔術の紋が浮き上がる。夜目と望遠を掛け合わせた強力な視覚強化の術だ。
左目を閉じて、魔法をかけた右目に集中すると、近づいてくる影の正体を捕らえた。
猫背の大きな体躯。オーガだ。
「亜人か」
ファイレナが舌打ちする。
高い知能を持つ人型の種族は大きくふたつに分けられていた。人類種と亜人種である。
人類種とは、世界で最も数の多いヒューマンをはじめ、森の耳長族エルフ、山のドワーフ、地底人ノーム、草原の小人族リルリングの五種族を指した。
もう一方の亜人種とは、知能もあり、人型でありながら、ときに人類種を襲い、略奪し、食らう、根本的に道徳観を共有できない種族を指す。代表的な種族はゴブリンやコボルド、オークといったもので、かつては魔族という呼び名で括られていた者たちだ。
オーガはそんな亜人種の中でも巨躯と怪力を特徴とする種族である。それが三匹。とはいえ、先手必勝でグリオハンと協力すれば制圧するのは難しくないだろう。
しかし、ファイレナの頭には、別のアイデアが思い浮かんだ。
果たして、この元ドラゴンの寝首を掻くことは可能なのだろうか。
ファイレナはオーガたちが近づく方向を一瞥し、口元で呪文を唱えた。途端、ファイレナの姿が闇に溶けた。不可視の術である。魔法に疎い肉体派種族のオーガに見破れるはずもあるまい。
オーガにグリオハンを襲わせてみよう。もし、オーガの襲撃が成れば、このドラゴンの寝首を掻くのは、決して難しいことではないということだ。




