第1話 ナユカの夢
夜明け前の平原は、まだ冷えていた。
吐いた息は白くほどけ、機体の金属面には朝露がうっすらと浮いている。
冷たい空気の中で、試作機――スカイホッパー・ジャックは静かにそこにあった。
一人乗りの簡易宇宙船――ナユカが組み上げた機体だ。
――いつか、Frontier Galaxies〈辺境銀河〉を冒険する。
それだけは、ずっと決めていた。
「今日が、その一歩目になる」
ナユカは手袋を締め直した。
指先に思うように力が入らない。
緊張で、自分の手ではないみたいだった。
「ナユカ、やっぱりやめた方がいいんじゃないのけ?」
傍らで、麦わら帽子をかぶったノーカが心配そうに首を傾げた。
もとは農作業用の旧式ロボットだ。今はナユカが修理し、アシスタントとして一緒に暮らしている。
「無許可飛行なんて、やっぱり良くねぇぞ。捕まったら、おめえ牢屋に入れられちまうかもしれねぇぞ」
「いいんだよ、ノーカ。許可なんて待ってたらおじいさんになっちゃうよ」
ナユカはスカイホッパー・ジャックを見上げた。
今回は、できれば大気圏の上層まで行きたいと思っている。
理論上はそこまでは届くように作ったつもりだが、本当に耐えられるかどうかは、飛ばしてみなければ分からない。
でも――
「僕は早く宇宙へ行きたいんだ。こんなところで足踏みしてられない」
ノーカはしばらく黙っていたが、やがて小さく肩を落とした。
「……ほんに、言うこと聞かない子だ……」
「大丈夫、ちゃんと調べてるんだ。このルートならレーダーには引っかからないよ」
ナユカは苦笑しながら機体に手をかけた。
胸の奥では、不安と高揚が入り混じっている。
怖くないわけじゃない。
けれど、それ以上に、この先へ行きたかった。
「じゃあ、ノーカ、ナビ頼むよ」
「わかったぁ」
ノーカは手を挙げて応えた。
ナユカは座席に身体を沈め、スターターに指をかける。
空を見上げると、星はもう薄れかけていた。
「よし、いくぞ……」
ナユカはスイッチを押した。
補助重力軽減フィールド、起動。
機体の重量表示が、ゆっくりと下がっていく。
低い電子音とともに、簡易パネルに灯りがともる。
補助電源、接続。
燃料ライン、圧力安定。
制御リンク応答あり。
ナユカは深く息を吸い、心の中で数える。
三、二、一。
そしてスロットルを押し込む。
背後の推進ユニットが低く唸り、振動が座席を通して背骨に伝わる。
出力を慎重に上げると、霜をまとった草が揺れ、機体がわずかに震えた。
やがて足元の重さが、ほんの少し薄れる。
そして――
スカイホッパー・ジャックはふわりと、地面から離れた。
機体はそのままぐんぐん高度を上げ、雲を抜ける。
空の色が変わっていく。
「うわぁ……」
眼下には、山脈も、峡谷も、森も、そして海も広がっていた。
地上では見えなかった惑星の輪郭が、ここからははっきりと分かる。
自分が今、この星の上にいる。
その実感が、胸の奥へ一気に流れ込んできた。
「うぉおお……っ!」
(やった……!)
失敗の連続だった。
生活を切り詰めて貯金し、何度も何度も試行錯誤を繰り返した。
出来るか、そんなこと——
そんなふうに笑われたこともある。
それでも、自分を信じた。
諦めなかった。
その全部が、ようやくここまで届いた。
気づけば、ナユカの頬には涙が伝っていた。
ナユカは夢中で飛び続けた。
前方に大きな雲の塊が現れる。
ナユカは迷わずその方向に操縦桿を倒し、そのまま勢いよく突っ込んだ。
視界が一気に白く埋まる。
機体が細かく震え、風圧が外殻を叩いた。
ナユカはスロットルを踏み込み、出力をさらに上げる。
推進ユニットが唸りを増し、スカイホッパー・ジャックは雲を突き抜けた。
次の瞬間、視界が開ける。
頭上には、どこまでも高い青が広がっていた。
「イヤッホーイ!!」
胸が熱くなる。
自然と笑いがこみ上げる。
まだいける。
「よし、もっと上だ!」
――だが、そのとき。
「ナユカ! 上だぁ!」
ノイズ混じりに、ノーカの声が響く。
巨大な影が、機体を覆った。
ラナスに生息する翼竜が、上昇気流に乗って進路を横切る。
(なんで!? 翼竜はこんなところ飛ばないはずなのに……)
よく見ると動きも少しおかしい。小刻みに震えている。
いずれにしても距離が近すぎる。
まずい――!
ナユカは操縦桿を強く切ると同時に、反射的に別のスイッチを叩いた。
「緊急減速、補助重力装置出力最大――!」
警告音が鋭く鳴る。
補助重力軽減フィールドの数値が跳ね上がり、機体の慣性が鈍る。
機体は空中でぴたりと止まった。
翼竜の巨大な翼が、目前をかすめる。
回避は、成功した。
が――
「ナユカ! 飛行ルートから外れてっぞ!」
ナユカは慌てて操縦桿を引き、元のルートへ戻そうとした。
だが、その瞬間、けたたましい警報音が鳴り響く。
ナユカは反射的に操縦計のモニターへ目をやった。
高速で接近してくる光点が二つ、赤く点滅している。
「ナユカ! 警備艇だ! はよ逃げろ!」
ノーカが通話器に向かって叫ぶ。
ナユカが振り返ると、雲の切れ間の向こうから警備艇が一直線に迫ってくる。
ナユカは息を呑み、手元の操作パネルを素早く叩いた。
次の瞬間、スカイホッパー・ジャックの両翼端が内側へ折れ、機体の輪郭が鋭く絞られる。
背部ノズルの角度が変わり、機体全体が前へ突き出すような姿勢になった。
「オイ! 無茶するでねぇぞ! まだ試してねぇだろ!」
スカイホッパー・ジャックの速度が、目に見えて上がった。
だが――
「くそ! ダメだ、振り切れない……」
差が徐々に狭まっていく。
速度勝負では、最初から分が悪すぎた。
「こうなったら……」
一か八かだ。
ナユカは手元の操縦桿を目一杯引いた。
スカイホッパー・ジャックの機首が、ぐんと持ち上がる。
そして、そのまま一直線に空へ抜けていった。
「オイ! やめろ、ナユカ! そんな上まで行ったら死ぬぞ!」
背部ユニットから不吉な振動が走る。
溶接箇所が軋み、金属が裂ける音が響いた。
「まだだ……」
まだ大丈夫。
僕のスカイホッパー・ジャックは、こんなもんじゃ壊れない。
まだ行けるはずだ。
ナユカは操縦桿に力を込め続けた。
スカイホッパー・ジャックは、どこまでも高く昇っていく。
やがて、警備艇との距離が開き始める。
「もう、少し……」
そして次の瞬間――
高度計の数値が、ゼロになった。
高度計が意味を持たない領域へ、ナユカは飛び出していた。
そこは、ずっと夢見てきた場所。
「…………宇宙だ……」
眼下には、青い惑星がそのまま広がっていた。
無我夢中でここまで来たせいだろうか。
あれほど望んでいた場所なのに、何も言葉が出てこない。
ナユカはただ、圧倒されていた。
しかし、その時間は長くは続かなかった。
操縦席に警告音が鳴り響き、併せて、ノーカの声も聞こえてきた。
「ナユカ! なにしてる! 早よ戻ってこい!」
「やばい!」
ナユカは今度は操縦桿を全力で前に倒し、スカイホッパー・ジャックを地面へ向けて急降下させた。
次の瞬間、背部ユニットが悲鳴のような音を上げる。
鈍い破断音とともに、推進ユニットが機体から引き剥がれ、火花を散らしながら後方へ飛んだ。
機体は急激に姿勢を崩す。
(まずい、まずい――)
スカイホッパー・ジャックは機首を大きく下げ、制御を失ったまま墜落を始めた。
ナユカは歯を食いしばり、即座に判断を切り替える。
ベルトロックを解除し、キャノピーを開放する。
風がナユカの頬を叩きつけた。
やるしかない——
ナユカは一瞬だけ息を呑んだ。
覚悟を決めて機体から飛び出すと、落下の感覚が、直接身体に響いた。
地面が、恐ろしい速さで迫ってくる。
ナユカは腕輪型情報端末〈リンクレット〉を叩き、腰の装置を起動し、反重力制御の出力を一気に上げた。
落下の速度が急激に下がる。
さらに——
(くっ、もう一回)
その瞬間、重力が“掴まれる”感覚に変わり、速度がどんどん削られていく。
地面が迫る。
ナユカは空中で両手を回して必死にバランスを取り、最後に膝を抜いて着地した。
「おっととっと……」
そのまま前に二歩、三歩と踏み出し、前のめりに倒れ込む。
その直後、背後で地面を揺らすような轟音が炸裂した。
ナユカが振り返ると、そこには地面に叩きつけられ、ひしゃげたスカイホッパー・ジャックの姿があった。
ナユカはその場で半身になったまま、しばらく呆然と機体を見つめていた。
だが、次の瞬間、堪えきれないように叫んだ。
「くっそおおぉ! 途中まではうまくいってたのに!」
翼竜さえ現れなければ、予定していたルートを外れることもなかった。
あんな高度を飛ぶはずがない。
どうしてあそこにいたのかは分からない。
ただ、不運だったとしか言いようがなかった。
ナユカは腹の底に溜まったものを吐き出すように叫びきると、大きく息を吐いた。
でも――
初めて宇宙に出た。
その感動が、遅れて現実のものとして胸の奥に蘇ってくる。
全身の細胞が震えているようだった。
そうだ。
「こうしちゃいられない。次に向けて準備をしなくちゃ……」
ナユカは足を左右に大きく開き、左手を腰に当て、右の拳を空へ突き上げた。
やるぞ。
「あら、なんだあの子、おかしな格好して……。頭でも打ったかねぇ……」
駆けつけてきたノーカが、ナユカの姿を見てぽつりと呟いた。
――
その数時間後。
ひしゃげたスカイホッパー・ジャックを、ナユカはジャンク屋に持ち込んでいた。
スカイホッパー・ジャックはもう元には戻らない。
それでも、ナユカは夢を諦めたわけではなかった。
次の宇宙船を作るための資金が必要だった。
店主は機体の周囲を一周すると、端末に数字を出した。
「……こんなもんだな」
ナユカは表示を見て眉をひそめる。
「ちょっとちょっと、足元見過ぎじゃない? もう少し何とかなるでしょ」
冗談はよしてよ、とでも言いたげな顔で言った。
「バカ言うな。推進ユニットは死んでるし、外殻もひどい。分解して使える部品を拾う手間込みだ」
「制御基板は生きてるでしょ。こんな値段になるわけない」
「そのぶんは見てこれだ。限界だよ」
店主は取りつく島もない。
「ナユカ、その辺にしとけ」
ノーカがナユカの肩に手を置き、首を横に振った。
ナユカは不満そうに口をへの字に曲げたが、やがて小さく息を吐いた。
「……じゃあさ」
店内を見渡す。
解体途中のフレーム、工具箱、積み上げられた外装板。
その奥――棚の隅に、なぜか視線が引き留められた。
丸い金属の塊が転がっている。
直径三十センチほどの円盤型。
埃をかぶり、他のガラクタに紛れていた。
「あれ、なに?」
店主は振り返る。
「ああ? 身寄りのない男の倉庫から出てきたもんだ。役所がまとめて処分に回した。動かんし、価値もない」
ナユカはしばらくそれを見つめた。
表面は滑らかで、継ぎ目が見当たらない。
古びているのに、妙に精度が高いように思える。
「……じゃあさ、代わりにあれ付けてよ。それならもう言わないからさ」
ナユカはそう言って、にかっと笑った。
店主は呆れたように肩をすくめた。
「……まあ、あれならいいか。どうせ売れんしな」
ナユカは円盤を手に取った。
思ったより重くない。
ひやりと冷たいはずの金属が、なぜか手のひらに馴染む。
「……これ、いいね。キャプテン・オリオンの映画に出てたやつに似てる……」
そのとき。
胸の奥で続いていた微かなずれが、すっと収まった。
呼吸が一拍だけ整う。
視界の輪郭が、わずかに冴える。
そして――
視界の奥に、青い光が差した。
少女の横顔。
金髪が揺れ、青い瞳がこちらを見た――気がした。
「……え?」
遠くで工具が落ちる音が、現実を引き戻す。
「どうした、ナユカ? 大丈夫け?」
ノーカが心配そうにナユカを見る。
「……大丈夫、なんでもないよ」
ナユカは一つ瞬きをし、円盤を抱え直した。
「……」
帰り道。
ナユカは改めて、先ほどのことを思い出していた。
(なんだったんだろう……)
答えは出ない。
ただ、胸の奥に、何かが始まりそうなざわめきだけが残っていた。




