第三話 二人の交流とお出かけ
ヒカルが「明日も来る」と言った言葉は、決して気まぐれな社交辞令ではなかった。
翌日も、その次の日も、彼は約束通りに宿屋の裏口へ現れた。
最初は頑なに拒んでいたタツキだったが、ヒカルがその強靭な肉体であっという間に
たかく積まれた丸太を美しい薪に変えていくのを見て、流石に折れるしかなかった。
今では、ヒカルが薪を割り、タツキがそれを手際よく荷台に並べるという臨時の共同作業が
午後の静かなルーティンになりつつあった。
タツキが身を寄せているこの辺境の街は
ミカエリス王国から見れば「魔の森のすぐ側にある恐ろしい僻地」でしかなかったが
実際に暮らしてみると驚くほど活気に満ちていた。
王都へのアクセスも悪くなく、市場には珍しい交易品や新鮮な食材が所狭しと並んでいる。
その理由は、この国における「森」の定義そのものが
ミカエリス王国とは根本的に異なっているからだった。
ミカエリス王国にとってそこは凶暴な魔獣が跋扈する不毛の「魔の森」であり
畏怖と排除の対象でしかなかった。
しかし、シグルド王国の人々にとってあの鬱蒼とした緑の深淵は
豊かな恵みをもたらす「精霊の住む森」なのだ。
森から流れ出る清らかな水、特殊な魔力を帯びた薬草や果実
それらすべてがシグルドに極上の恩恵を与えていた。
そして、その恩恵を最も色濃く享受できる理由が、二人の「目」にあった。
「……あ、また来てる。ヒカルさん、足元」
薪を並べ終えたタツキが、ふっと視線を落として微笑む。
ヒカルの無骨な革ブーツの周りを淡いエメラルドグリーンに輝く小さな精霊が
楽しげにくるくると飛び回っていた。
それは、並外れた魔力を持つ者にしか視認できない
悪意を持たない純粋な下級の森精霊だった。
「ん? ああ、シグルドの精霊は、魔力の高い人間に懐きやすいからな」
ヒカルが大きな手のひらを差し出すと光の玉は嬉しそうにその指先に着地し、
パチパチと小さな火花のような光を放った。
「ミカエリスにいた頃は、森の近くに行くだけで『禍々しい魔気が満ちている』って
みんな怯えて遠ざかっていたのに……。不思議ですね。こんなに綺麗で、温かいのに…」
タツキはそっと目を細めた。
彼女自身、生まれつき膨大な魔力を体内に宿していた。
しかし、彼らにとって魔力とは、制御すべき異能であり、恐怖の対象でしかなかったのだ。
だが、このシグルド王国で、そしてヒカルの前でその力を隠す必要はなかった。
「あいつらは愚かだな。こんなに澄んだ、美しい魔力を持っているお前を恐れるなんて」
ヒカルは真っ直ぐにタツキを見つめ静かに、しかし断固とした口調で言った。
タツキの持つ魔力が、どれほど洗練されていて、かつ優しいものであるか。
精霊たちが彼女の周りでまるで花の蕾が開くように嬉しそうに踊っているのが
その何よりの証拠だった。
「……ヒカルさんは、本当に変な人ですね」
タツキは照れ隠しにふいっと顔を背けたが、その頬は夕暮れの光よりも赤く染まっていた。
ミカエリスでは自分のすべてを否定され、悪役令嬢として追放された。
けれど、このシグルドの温かい空気と、正体も知らないこの大男の不器用な優しさが
タツキの凍てついた心を少しずつ、確実に溶かし始めていた。
「おい、タツキ。今日はこれから市場に行くか?
精霊の果実で作った美味い焼き菓子を売る店があるんだ。お前に、食わせたくて」
「……からかうつもりなら、怒りますよ?」
「からかってなどいない。俺はいつだって、お前に対して本気だ」
大真面目な顔で、とんでもない殺し文句を投げてくるヒカルに
タツキは「もう!」と小さく足を踏み鳴らす。
利用価値だけで人を測っていたかつての世界から遠く離れて
タツキは今、精霊の祝福に満ちた異国の地で、生まれて初めての温かい足音を刻み始めていた。




