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「……おい、無視するな。俺は怪しい者じゃない」
「怪しい者じゃないって言う人ほど怪しいって、相場が決まってるんです。
それに、これくらい一人で運べますから」
タツキはふいっと顔を背け、薪の束を抱え直して宿屋の裏口へ歩き出そうとしたが
ヒカルはその大きな体で、すっとタツキの行く手を塞ぐ。
威圧感があるはずなのに、なぜかその表情は、どこか焦ったように強張っていた。
「待て。本当にただ、手伝いたいだけだ。お前……手が、擦りむけているだろう」
「え……?」
そう言われて自分の手のひらを見ると
慣れない薪割りで、皮が剥けて薄っすらと血がにじんでいた。
ミカエリスにいた頃なら、ハヤトに
「王子の婚約者が、そんな傷を作って」と冷酷に蔑まれていただろう。
だが、目の前の人は、まるで自分のことのようにタツキの手を見つめている。
「……これくらい、なんでもありません。生きていくためですから」
タツキは頑なに手を隠した。
かつて身分の高い男の甘言に騙されてすべてを失ったのだ。
目の前の男が、上質な衣服を身にまとい
ただ者ではない雰囲気を醸し出していることくらい、タツキにも分かる。
「せめて、手当はさせてくれ。綺麗な手に傷が残ってはいけないから。」
(どうせ、この街に遊びにでも来た
どこかの物好きな貴族の若旦那か何かでしょう。
私みたいな『落ちぶれた女』をからかって楽しむつもりね)
まさか、目の前にいるこの男がこの国の第一王子「ヒカル」その人だと
タツキは夢にも思っていなかった。
シグルド王国の王族といえば、森の脅威から国を守る存在。
こんな辺境の宿屋の裏口にお忍びでふらりと現れるわけがない。と
思い込んでいたのだ。
ヒカルは、タツキの頑なな警戒心を感じ取り、少し困ったように眉根を寄せた。
「……頑固な奴だな。だが、そういうところも……」
「は?」
「いや、なんでもない。俺はヒカルだ。
この近くで、一応……警備のような仕事をしている」
嘘は言っていない。国境守備隊の総指揮官なのだから、警備には違いない。
タツキの手に持っていた傷薬を塗り、包帯を巻く。
その無駄のない動きは、治療に手慣れた人の動きだった。
「ヒカル、さん…。私はタツキです。しがない流れ者の雇われ人ですよ」
動じずに手当を受けていたタツキは突き放すように冷たく名乗った。
これ以上関わるな、という無言の圧力を込めて。
ヒカルはその名前を噛み締めるように呟くと、嬉しそうに口元を緩めた。
その強面からは想像もつかないほど優しい笑顔に
タツキは一瞬、どきっと胸が跳ねる。
「タツキ、か。いい名前だ。……明日も、俺はここに来る」
「はぁ!? 来なくていいですから!」
「いや、来る。薪割りが残っているなら、俺がやってやる」
そう言い残し、ヒカルは去っていった。
「なんなのよ、あの人……。意味がわからないわ」
タツキは赤くなった顔を隠すように、バサバサと薪を荷台に投げ入れた。
宿屋の女将さんはそれを見て
「あらあらー、タツキちゃんにも、春が来たのねー!」
なんて呟いていた
男なんて信用しない。そう固く心に誓ったはずなのに…。
ヒカルの真っ直ぐな瞳が、なぜか頭から離れなくなっていた。
隣国の王子ヒカルと、彼の正体を全く知らない元悪役令嬢タツキ。
二人の奇妙な交流が、こうして静かに幕を開けたのだった。




