第九話 完全復活とお菓子作り
「タツキちゃん、本当にもう大丈夫なの? 無理しちゃダメよ?」
王宮の広々とした厨房で
現王妃が心配そうに、けれど嬉しさを隠せない様子でタツキの顔を覗き込んだ。
「はい、王妃様! もう本当にすっかり元気です。
むしろ、ずっとベッドでゴロゴロしていたので
身体を動かしたくてウズウズしていたくらいですから」
タツキは短く切り揃えられた黒髪を揺らし
きりっとした美しい切れ長の瞳をきらめかせて微笑んだ。
光の最高位精霊ルミエと闇の最高位精霊シェーダによる治癒を経て
あの日以来、タツキの心からは恐怖の影が一切消え去っていた。
ストーカーの悍ましい悪意のフラッシュバックも、綺麗に洗い流されている。
そんなタツキの足元では、お留守番係のルミエとシェーダの2匹の仔猫が
今日もただの可愛いペットとして「みゃあ」「みゃう」と
のんきに喉を鳴らして丸くなっていた。
「素晴らしいですね
タツキ様が健やかに笑ってくださるだけで、厨房の空気まで華やぎます」
純白の料理着を着こなした料理長ユウゴが、流れるような所作で一礼する。
「今日はヒカルも国境の会議で夕方まで戻りません。
せっかくですから、戻ってきた彼が驚いて腰を抜かすような
最高のお菓子を作ろう!」
「はい! よろしくお願いします、ユウゴさん!」
タツキはエプロンの紐をきゅっと結び、気合いを入れた。
ちなみに、今日のルールはひとつ。【精霊の力は一切借りないこと】。
いつも過保護に先回りして水を出したりするウンディーネには
今日だけは少し離れた場所で見守ってもらうことにした。
自分の手で、自分の力で、美味しいものを丁寧に作る。
それが、今のタツキにとって何より楽しい日常生活の証だった。
「よし、まずはクッキーの生地からいきましょう。
王妃様、小麦粉の計量をお願いできますか?
タツキ様はバターと砂糖を白っぽくなるまで混ぜ合わせてください。
僕は隣でカスタードを炊きます」
「任せなさい! 計量なんて宿屋で毎日やってたんだから、お手の物よ!」
王妃が豪快に腕をまくり、正確無比な手つきで粉を測っていく。
農家が作った上質な小麦粉だ。
タツキは大きなボウルを抱え、室温に戻したバターに
砂糖を加えて木べらで力強く練り始めた。
シグルドの辺境で毎日泥にまみれて薪を割っていたタツキの腕力は
並の男顔負けである。
「タツキ様、素晴らしい手際ですね。」
「ふふ、ありがとうございます!
薪割りに比べたら、バターを練るなんて簡単なものです!」
タツキが楽しそうに笑うと、ボウルのなかのバターはあっという間に
理想的なふんわりとしたクリーム状に仕上がっていった。
それを見たウンディーネが厨房の隅で
『まぁっ!タツキはあんなに完璧に生地をまとめてしまうのね……!』と、
ちょっぴり寂しそうに、けれど誇らしげに身を震わせている。
次にユウゴが、銅鍋でツヤツヤに炊き上げたカスタードクリームを
流れるような手捌きで氷水に当てて冷やしていく。
パチパチと爆ぜる薪の穏やかな熱を
ユウゴは長年の経験だけで完璧にコントロールしていた。
「さあ、生地を寝かせたら、次は型抜きね!
タツキちゃん、好きな形に抜いていいわよ」
「わぁ、色んな型があるんですね。
あ、この猫の型、ルミエとシェーダにそっくり」
タツキがハチワレ猫と黒猫の型を見つけて目を輝かせると
足元で寝ていた本物が、ピクリと耳を動かして嬉しそうに尻尾を振った。
タツキ、王妃、そしてユウゴ。
三人が肩を並べ、普通の人間として
純粋に「美味しいものを作って大好きな人を喜ばせたい」という
想いだけで手を動かす。
魔法も精霊の奇跡もないけれど、厨房を満たす甘い香りと
三人の賑やかな笑い声は、どんな至高の魔術よりも温かく
タツキの心を優しく満たしていった。
夕暮れ時。
オーブンから、香ばしいバターの香りがふんわりと漂い
完璧に焼き上がったクッキーとツヤツヤのクリームが詰まった
特製タルトが焼き上がった。
「ただいま戻った!」
その瞬間、会議を終えて息を切らせたヒカルが
厨房の扉を開けて飛び込んできた。少しでも早くタツキの顔が見たくて
王宮の廊下を走ってきたのだろう。
「あ、ヒカルさん! おかえりなさい!」
エプロン姿のタツキが、あの日ベッドの中で見せたような
屈託のない最高の笑顔でヒカルを迎えた。
「これ、見てください!王妃様とユウゴさんと一緒に作ったんです。
全部自分たちの手で作ったんですよ!」
タツキが自慢げに差し出した皿の上には
可愛らしい仔猫の形をしたクッキーと、ユウゴ特製のカスタードタルトが並んでいる。
「タツキが……俺のために、これを作ってくれたのか……?」
ヒカルは感動のあまりその場に固まり、切れ長の目をごしごしと擦った。
タツキが完全復活し、こうして厨房で楽しそうにお菓子作りをして
自分の帰りを待ってくれた。
その当たり前の「日常」が、彼にとって奇跡のように思えたのだ。
「ヒカル、突っ立ってないで早く食べなさいよ!
タツキちゃん、あなたの喜ぶ顔が見たくて、一生懸命バターを練ってたんだから!」
王妃がニヤニヤしながら小突くと、ヒカルは顔を真っ赤にしながらクッキーを一口齧った。
「……うまい。めちゃくちゃ美味い。世界一だ……っ」
「ふふ、よかったです! はい、ヒカルさん、あーん」
「……っ!!」
タツキから不意打ちの「あーん」とタルトを口に放り込まれ、
ヒカルは一瞬で茹でダコのように真っ赤になり、幸せのあまり天を仰いだ。
後ろではユウゴが「実に見事なお茶会だ」と満足そうにハーブティーを淹れている。
魔法も精霊の力もない、ただの人間としての温かい時間。
悪役令嬢としての苦難を乗り越え、最高の仲間と過保護な恋人に囲まれて
タツキは今度こそ、本当の「愛に満ちた普通の女の子としての日常」を
その手でしっかりと抱きしめているのだった。




