夏の出会い
知らないことだらけだった世界は
目まぐるしく取り巻いて、好奇心に心を躍らせた。
知っていることが増えてからは
世界はずいぶんと小さく見えた。
あんなに広く見えたなにもかもが
途端に窮屈に思えた
重い足取り。 変わらないループ。
息苦しい手で、今日も参考書を開く。
うだるような暑さのなかを、一人参考書を片手に道を歩く。
夏休み。
誰もが心弾ませる長期休暇。学校じゃない毎日に、いつもと違う時間を過ごすというのに、俺にとって何も変わらない。変わったことといえば参考書を読みながら向かう先が学校から市立図書館へと変わったことと、教室に居場所のない俺の孤独を際立てるような周りを騒がしく賑わせるクラスメイト達がいないことだろうか。
(…静かで、快適だな)
参考書を開きながら、ひとりそんなことを考えていた時だった。
「早く行こうぜ!悠」
曲がり角の向こうから二人の子どもの声がしたかと思うと、曲がってきた6歳くらいの少年がわきを駆け抜けていく。
「ちょっと待ってよ~っ、亮ちゃ…わ」
次の瞬間、先に行った少年を追いかけてきていたらしいもう一人の少年が小石につまづき、バランスを崩してふらついた小さな身体は俺の足元にぶつかってその場に転ぶ。それと同時に俺の手から読みかけの参考書がアスファルトの上に落ちる。
「おい、だいじょ――…」
手を差し出しかけたとき、背中の方で遠くにいるらしい友達が少年を呼ぶ。
「ゆーう!はーやーく!」
「あ、うんー!」
悠と呼ばれたそいつはすぐさま立ち上がり小さくぺこんと頭を下げると、急かすように呼びかける亮ちゃんとやらのところへ走り去っていった。
(こんな暑いのに元気な…)
知らず知らずの内に楽しそうな背中を小さくなるまで見送っている自分に気が付き、落とした参考書を拾い上げてまた歩き出す。
参考書を開くと落ちた拍子に何ページかが折れ曲がっていたらしく、いくつかのページには折り目や汚れがついている。
(あーあ、ページも折れちゃってまぁ…)
「あ、あっちとかどうかな?」
「えー?でもさこれの意味って…」
歩きながらそれを直していると、通りがかった左手の公園から人の声がした。
ずいぶん古そうな公園なだけに、人がいるのがなんだか珍しい気がしてなんとなく覗いてみる。
すると、なにやらラフな格好の少年と少女が二人、紙切れを手に公園内を回っている。何をしているのかは全く予想がつかないが、見た感じ歳は同年代といったところだろう。
(こんなところでなにして――…)
気になって様子を見ているとまた、会話が聞こえてきた。
「ねぇ、これってほんとにこういう解釈であってるの?鈴宮さん」
「うーん、たぶん違うと思う」
「えぇ?鈴宮さん、さっきといってること違くない?」
「あー…、あれは冗談だよ、冗談。あははは」
「あははは、じゃないんだけど…」
(解釈?冗談?)
全く話の見えない二人の会話が少し気になったが、声をかけてまで何をしているか知りたいと思うほどでもなかったので、気にとめないでおこうと公園をあとにしようと背を向けて歩き出そうとしたときだった。
「うわわ……っ」
「小坂くん!?」
背中に突然、悲鳴にも似た声とさきほどの少女の緊迫した声が聞こえる。
俺は思わず、声のした方へと駆け出した。
俺がいた公園の入り口のあたりから、すぐの松の木の向こうに立ちすくむ少女の姿が見える。真っ青な顔で、口に手を当てている。
ただ事じゃなさそうな様子を前に、思うように声が出なくて、戸惑っていると視線を感じたのか、こちらに気づいた少女が震えた声で涙を流しながら声を振り絞る。
「小坂くんが…、小坂くんが木から落ちて…、動かないの…っ」
泣いている少女の後ろには大木の太い木の根に仰向けに横たわったままの少年。急いで駆け寄るが、見た感じ血は流れていないし、とりあえずは呼吸もしているようだ。しかし、目立った外傷がないからといって安堵するのも禁物。
「おい!だいじょぶか?おい!」
「…………。」
とりあえず呼びかけてみるものの、何度呼びかけてみても少年の反応がない。意識がないようだ。
(下手に動かさないほうがいいか。そうだ…)
「おい、救急車を――…」
「え…っ」
少女に叫んだ言葉に反応するように上がったその声は、俺のものでなければ右隣の少女のものでもない。さぁ、考えてみよう。あるとするならばそれは誰だろうか。
「……………………。」
泣きじゃくる少女を横に、意識のないはずの目の前の少年に視線を落として俺は無言のまま、少年の両側のこめかみに親指を立て、力いっぱい押してみる。
「あたたっ…」
すると、呆れるほど予想通りに少年は悲鳴を上げ、顔を歪める。
「あ、あれ!?小坂くん!?生き返ったんですか!?」
相当な天然なのか、本気で泣きじゃくっていた少女は赤い目をこすって驚いていた。
ゆっくりと体を起こすとまだあちらこちらが痛む体を後ろの大木に預けながら、心配する鈴宮さんに笑ってみせる。
「や、やぁ鈴宮さん。なんとか生き返ってきたよ。ところで、こちらの人は――…あたたっ!いた…いたいって!いきなりなに!?」
いきなり、おでこに親指をぐいぐい力いっぱい押し付けてくる。その手を払っておでこを擦りながら悔しくもほんの少し涙目になった目で聞くと彼が僕をにらむ。
「生き返らなくてよかったのによ、そのままもう一度寝てしまえ」
「えぇ!?初対面から何で怒ってるの!?」
「あ。小坂くんがなかなか起きなくて、動かないって言ったらこの人ね、必死に小坂くんのこと心配してくれ…」
「余計なこというな!」
鈴宮さんが説明してくれようとするのを、なぜか彼はそういって断ち切った。そのせいで続きは聞けなかったがどうやら、心配しくれてたみたいだ。
「あ、そうなんだ。なんか、心配させたみたいで…ごめんな?」
「もう知らねぇよ、じゃあ俺行くとこあるから」
不機嫌そうなまま、立ち去ろうとする彼を引きとめようと俺が腰を浮かせた瞬間だった。
「あ!ちょっと待っ…~っっ」
背中から腰に掛けてひどい激痛が走り言葉の続きを失って、思わず座り込む。その様子を見ていた鈴宮さんがとにかく冷やそうと考えたのか
「あ、あたしハンカチ濡らしてくるね!」
とそれだけを残して、ハンカチを濡らしに公園の奥の方へと急いだ。
「……背中、打ったのか?」
「みたいだ」
「頭痛やめまいは?」
「ない」
「手足の麻痺は?」
「ない。けど、なんで?」
頭痛やめまいなどはなんとなく理解できたが、関係なさそうな手足のことも聞かれたのでつい聞き返す。
「背中や首の強打は危険だ。脊髄が通ってるからな、救急車が必要なときもある」
「う…、救急車?」
自分でも一瞬身震いしたのが、わかった。それを知ってか、彼は嫌に満面の笑みを浮かべて聞いた。
「呼ぼうか?」
「いや、いい。ぜひやめてくれ」
「そうか。それはまた残念だ」
「残念がるなよ。それにしてもお前こーゆーの詳しいんだな」
「まぁな、将来が医者だからか?」
そういって彼は、ひとつの本を差し出して見せた。医学の本。
それも、一般の人が見るようなものではなくて日常では明らかに使いそうもないことまで余すことなく書かれた専門書といった感じだ。
「なるほど、どうりで。夢の為に今から勉強か」
「…まぁ、違わくもないか」
少し間をおいて、どこか引っかかたように小さく意味深なことをつぶやく。
「?」
どの言葉が引っかかったのか分からずに悩んでいると、向こうからハンカチを濡らしてきたらしい遠くから鈴宮さんがこっちにくるのが見える。同じく、それに気づいたらしい彼が隣を立つ。
「…さてと、俺もう行くから。」
荷物の入った黒いショルダーバックを肩にかけなおすし、背を向けると
「あと少し休んでれば痛みも引くと思うし、お大事に」
と、ひらひらと軽く手を振ってゆっくり歩き出す。
「なぁ」
呼び止めて、一度彼が振り向くのを確かめてから続ける。
「お前、名前は?」
「普通、自分は名乗らないで人に聞くか?小坂」
「もう知ってんだからいいじゃん」
「非常識」
「う…」
どこか理屈に合わないことをいうとも思ったりしたが、正論でもあるそれは言い返せず、言葉に詰まっていると彼が口を開いた。
「…梶原 船介。」
「え?」
「俺の名前。じゃあな」
それだけいうと、振り返ることもなく公園を出て行った。それとほとんど入れ替わりで、濡れたハンカチを手にした鈴宮さんが戻ってくる。
「ごめん、水道遠くて遅くなっちゃって…。あれ?さっきの人…」
濡らしてくれたハンカチを渡しながら鈴宮さんがあたりを見回す。
「さっきの人?…ああ、梶原なら帰ったよ」
「梶原くん?」
「うん、梶原 航介。……素直じゃないやつの名前だよ」
隣に残されていったいくつかの絆創膏の束を広げて、ふっと笑いがこぼれた。




