3 ヘルムリート
前話の続きです。時系列的には第一話の前日のままです。ヘルムリート(婚約者の親友)の一人称です。
侯爵令息であるこの私、ヘルムリート・ギーゼンの人生は順風満帆だった。
王女を母に持つ侯爵令息として生まれ、初恋のアリーセ・デツェン男爵令嬢が婚約者となり、自分ほど幸せで恵まれた男はいないと思っていた。
その思い込みは、今日、打ち砕かれるのだ。
親友であるエアハルト・ダンゲルマイヤー公爵令息の婚約者であるエデルガルト・シュリューター伯爵令嬢によって――。
「ああ、それと、ヘルムリート・ギーゼン侯爵令息」
忠告をしたはずが、反論され、心を折られたヴィヒエア・ダンゲルマイヤー公爵令嬢は黙り込んでしまった。
そんなヴィヒエアに構わず、今度は、私のほうを向くエデルガルト。
「あなたも私に対し、見当違いな『忠告』やら『苦言』やらをしてきたので、多少きつい事を言っても許してくださいね」
標的がヴィヒエア・ダンゲルマイヤー公爵令嬢から、この私、ヘルムリート・ギーゼン侯爵令息に替わったようだ。
淡い青の瞳が爛々と輝く。まさに獲物を前にした肉食獣のそれだ。
女性から、いや、誰からも、そんな目を向けられた事などなかった。侯爵令息として常に守られた立場なのだから当然だ。
表情こそ平静を装っているが、内心はうろたえ、いや怯えまくっていた。
「ヘルムリート・ギーゼン侯爵令息、あなたと私の親友のアリーセ・デツェン男爵令嬢は、元々婚約などしていませんよ」
「何を馬鹿な事を言っているんだ⁉」
エデルガルトが言っている事が理解できなかった。
「元々アリーセと恋仲だったのは、あなたの異母兄シュテファン様です。昨年お亡くなりになった元王女でギーゼン侯爵の正妻であるあなたのお母様が、息子であるあなたの恋を叶えるため……というより、シュテファン様と彼のお母様への意趣返しで、アリーセとあなたの婚約を無理矢理決めた。ですが、ギーゼン侯爵は愛する息子のために、貴族院に届け出る婚約証明書には、シュテファン様とアリーセが婚約がしていると記したのです。だから、正式に婚約しているのは、あなたとアリーセではなく、シュテファン様とアリーセです」
「それは、君の勘違いだ。だって、誰一人として、私にそんな事は言っていない」
アリーセと婚約したのは、十歳の時だ。エデルガルが今言った事が事実なら、七年の間、誰もそれを私に言わなかったのは、おかしいだろう。
「あなた、というより、あなたのお母様に、それを言うと、ややこしい事になると思ったからでは?」
反論できなかった。
元王女である母は、高慢で気性が激しい女性だった。少しでも自分が気に入らない、もしくは思い通りにならない事があると、時や場所や場合をわきまえずに、周囲に当たり散らすのだ。
「本当に、あなたとアリーセが婚約しているのなら、それを周知するパーティを開催するはずだし、そもそも、アリーセを伴って社交した事などないでしょう?」
エデルガルトの言う通りだ。
互いの誕生日にプレゼントを贈り合った事もない。
それに、よくよく思い返せば、アリーセは私と二人きりになる事を避けていたし、私との会話も、ぎこちなかった。それは、アリーセが、おとなしい性格で恥ずかしがっているからだと思っていたが、異母兄と話す時は、ぎこちなさなどなく、ごく自然に会話していた。
アリーセは私の事など愛していない。彼女が好きなのは、愛しているのは、シュテファンなのだ。
悟ってしまった真実に黙り込んでしまった私に構わず、エデルガルトは、さらなる衝撃を放った。
「アリーセの本当の婚約者だけでなく、ギーゼン侯爵家を継ぐのは、あなたではなく、シュテファン様ですよ」
「は?」
愛する女性の本当の婚約者が異母兄だという以上の衝撃はないはずだった。けれど、今のエデルガルトの発言は信じられない。思わず間抜けな声を上げるくらいには。
「一昔前は無能でも嫡出子であれば家を継げたけれど、今は能力さえあれば、嫡出子でなくても後継者になれます。まして、あなたの異母兄様のお母様は、あなたのお母様の喪が明けてすぐ、一月前に、お父様とご結婚されて、嫡出子になられたわけですから、次期ギーゼン侯爵となるのに支障はありませんものね」
「何を馬鹿な事を。そんな事、まかり通るはずがないだろう!」
「元々シュテファン様のお母様とギーゼン侯爵が婚約されていたのに、あなたのお母様がギーゼン侯爵に一目惚れして、王女としての権力を使って無理矢理結婚したのでしょう。社交界で、その事を知らぬ者などいませんよ」
黙り込む私に構わず、エデルガルトは話を続けた。
「邪魔なあなたのお母様がいなくなれば、愛し合うお二人が結婚するのは当然だし、愛する女性との息子であり、あなたよりも容姿も能力も秀でたシュテファン様を後継にしたいと考えるのも当然でしょう」
「次期ギーゼン侯爵になるのは私だ! そのために、ずっと努力してきた! 父上だって、その事は分かってくださっているはずだ!」
普通の令嬢なら目の前で男が激昂すれば、怯えた様子を見せる。けれど、エデルガルトは怯えなど一切見せず、何とも醒めた顔をしている。私の怒りなど、心底どうでもいいと言わんばかりに。
「領民の血税で生きる貴族であり、領民の命や生活を背負う領主になるのよ。家族としての情よりも、領民に対する義務や責任を最優先するのは当然でしょう。あなたよりシュテファン様が次期侯爵として相応しいとギーゼン侯爵が判断されたのなら、血の繋がったもう一人の息子だろうと、あなたを切り捨てる事に、ためらいなどあるはずがない。まして、あなたのお母様と結婚した経緯を考えると、ギーゼン侯爵に、あなたとあなたのお母様に対して家族の情があるとは到底思えませんもの」
私は何も言えなかった。
エデルガルトの言う通りだ。
父に、ギーゼン侯爵に、私や私の実母に対する愛などないし、何より、家族としての情よりも貴族としての責務を優先する人だ。
後継者として相応しくないなら、たとえ、シュテファンが愛する女性との間に生まれた愛する息子だろうと切り捨てるだろう。
だが、実際は、シュテファンのほうが私よりも容姿も能力も秀でていて、次期ギーゼン侯爵として不足はない。
父が私を切り捨てるのをためらうはずがない。
愛する女性。継ぐはずだった爵位。
それらは、私には最初から手に入らないものだったのだ。
打ちひしがれる私に、エデルガルトは追い打ちをかけた。
「今日の事、ギーゼン侯爵家に正式に抗議します。何があっても、自分がした事の結果なのですから、諦めて受け入れてくださいね」
次期シューリューター伯爵となるエデルガルトの抗議を受け、父であるギーゼン侯爵は、貴族学園を卒業前だというのに、私を男子修道院に送った。
問題を起こした愛も関心もない息子をこれ以上養うのは嫌だったのか。除籍して市井に放り出すのではなく修道院という世俗から離れた場所に息子を送ったのは、父の最後の情だったのだろう。
何を失っても、生への執着と死への恐怖がある以上、私には死ぬ事などできない。
だから、この命が尽きるまで、修道僧として生きていく。




