貴族は決めた
ルート変更を決めたエリシオが、最初に向かったのは宿だった。
血に塗れた衣服を着替え、折れた杖を袋に入れる。そこまで広げていなかった事もあり、荷をまとめるのにそう時間はかからない。
眠っている盗賊団は全員簀巻きにした上でその場に転がしてきた。唯一起きた頭領とは話をつけたものの、早く戻るに越したことはない。
窓越しに外を伺えば、ぼんやりと白み出した空が見える。これから使う魔法の都合上、人々が起き出す前に済ませてしまいたいが────
「行くのかい、あんちゃん」
不意の声に、エリシオは肩を跳ね上げた。
振り向けばそこには、宿屋の主人であるジョンの姿がある。
物音にはかなり気を遣ったと思ったが、もしや。
「ジョン殿!起こしてしまいましたか」
「農家の朝を舐めんじゃねぇよ!こんぐらい毎朝だ」
「ならばよかった。……起きがけに申し訳ないのですが、急用ができてしまいまして。今朝の内に出立します、お勘定の方を」
言いながらも懐から硬貨の入った巾着を取り出す。いくら急いでいようが、ここはきちんと済ませるべき所である。
ジョンの方もそれはわかっていたのか、頷いて紙に金額を記し、エリシオへと渡す。
それを見て、エリシオは首を傾げた。
「ええと……ジョン殿。これは些か安すぎます。相場の二割以下なのでは?」
「ん?ああ、村守ってくれた分だよ。水でも飲もうかと思って起きたら、なんか見えちまってな」
「────ッ?!」
絶句。
荷の全てを取り落とすほどの、今日一の驚愕がエリシオを襲った。
それを悟られまいと、咄嗟に背を向けて(既にだいぶ手遅れな気はしなくもないが)思考を走らせる。
(ぬかった……いや、どこまでバレた?!よもや私が名乗ったのも、であればもう取り返しは────ようやく、負担とならずに滞在することができたというのに。まさか、こんなところで……!!)
「おいおい、落ち着けよ。別に言いふらしやしねえって」
「ですがっ」
「わざわざ偽名まで使ってたんだ、なんかしら事情があんだろ?……あんちゃんが無礼だなんだで打首にするようなやつじゃねぇのはとっくに知ってるし、そういう扱いを望んでねえのもわかる」
だからよ、と。そこで彼は一度言葉を切った。
────思えば、ジョンは敬語を使っていない。平身低頭というわけでもない。
答えはもう出ているようなものなのに、エリシオはまだ、それに気付けていなかった。
一拍置いて、ジョンはこう続ける。
「……あんなに大怪我してまで戦ってくれたあんたに、どうしても礼がしたいんだよ。これは村を救ってくれたあんちゃんに対する礼で、貴族様への捧げもんじゃねえ。……ありがとな、エリオット」
そこまで言われてしまえば、もはや言い返すことなどできず。
「……こちらこそ、ありがとうございます。どうか、お元気で」
ジョンの言葉を胸に刻みつけ────エリシオは紙に書かれた代金をきっちりぴったり、過不足なく払った。
支払いの後、大量のチップを押し付けたのは笑い話だろう。
*
握る木の枝は土を小さく抉り、線を引く。少し下がって位置を確認し、もう二本。
エリシオの手で描かれるそれの全容は、直径五メートルくらいの大きさの円であった。
カーブや点、記号も交えて描かれるそれは、まさしく魔法陣。所々で手が止まる事から即興なのが見て取れて、そのことに一抹の不安を覚える人物がいる。
セリだ。逃げ出さないことを条件に縛られなかった彼は、未だに眠っている団員に寄りかかり、奇妙な作図を眺めていた。
「で、なんの魔法?拷問って訳じゃなさそうだし……また結界でも張るわけ?」
「いや、それには時間が足りない」
エリシオは魔法陣から目を離さずに続ける。
「性能に目を瞑れば張り直しは可能だが、逆に勘付かれるリスクがあるのでな。これは転移の陣……普段は魔力消費が多過ぎるので使わないがな!今ならアスールまで行けるだろう」
「なんだ、アンタの移動用か。騎士団の宿舎にでもぶち込まれるのかと思った」
「そう多人数を飛ばせるものでもない。騎士団にはあちらから来てもらうよう連絡済みだ、昼には着くさ」
「……あっそ」
心底つまらなそうに、セリは返す。
(まあ、仕方ないか。自分のミスだし)
公爵家の子息に手を出した時点で極刑。それを覚悟で襲い掛かり、返り討ちですらなく眠らされ、挙句命まで救われた。
どこが駄目だったかといえば、全部だろう。
判断を誤った。弱かった。だから負けた。
この先は嫌でも察しがついて、しかしどうすることもできずに、ただ描かれていく陣を見る。
気掛かりといえば、一つ────。
「そこで提案なのだが。取引をしないか」
ザリ、と、絶えず響いていた音が途絶える。陣から少し視線を上げれば、エリシオがこちらを見ていた。
────そのまっすぐな視線に、とてつもなく嫌な予感がした。物凄く面倒なことに巻き込まれそうな、ここでとっ捕まっておいた方が楽そうな、そんな予感が。
断る、と口にする前にそいつが動く。
エリシオはこう言った。
「お前に────ガイドをお願いしたい」
「は?」
何言ってんのお前。そう言外に匂わすセリに、
「私はアスールの街にあまり詳しくない。故に、アバリス伯爵と敵対することになれば、地の利がない場所で孤軍奮闘する羽目になる……なるべく避けるためにも、ガイドが欲しい。相手の懐深くまで立ち入った経験のある者が」
「……で?」
「言ったろう、取引だと。お前が私を手伝ってくれるのならば、私もお前に対価を────そうだな、減刑のため父上に手紙を、なんてどうだろうか」
外套が風に翻る。逆光となった朝日は、やけに壮大に二人を照らしていた。
セリはエリシオの言葉を咀嚼した。その意味を、その意図を、裏の裏まで考えて。
「……バカじゃないの?」
そう、小さく呟いた。
どう考えても、何を踏まえても、その提案を善意百パーセントでできる意味が分からない。はっきり言ってお手上げだった。
しかし、セリにもプライドというものがある。
敗者だろうとなんだろうと、それは当然にあるものだ。
それは盗賊としてのプライドで、団の頭領としてのプライドで。
その天秤はどちらかといえば、後者に傾いていて。
だから、セリはもう一度、覚悟を決めた。
「……手紙の内容は、こっちで指定する。あと、それまでの間は団員全員の命を保証してもらう。これが駄目ならお断りだね」
するとエリシオは喜色たっぷりに頷いて、
「そのくらいはわけない!交渉成立だな」
そう言うと、右手を差し出す。
────それを握ってやるのは物凄く癪だったので、セリは無視することにした。




