第4話 次世代を洗脳せよ(後編)
翌週の土曜日。
六月に入り、雨が増えてきたが、今日はよく晴れていた。
黒木たちは、町内会館の和室に集まっていた。
先週の会議後、三枝が田辺に洗脳――もとい、防犯教室を提案したところ、読み聞かせボランティアのあとに開催することが即決された。
「防犯教室をやってくれるなんて、助かるわあ。お知らせを出したら、親御さんたちも『ぜひ』って喜んでいたわあ」
田辺が笑顔で言った。
三枝が紙を持ってきて、ちゃぶ台に広げる。
進行表のようだった。
「本日の流れです。不審者による誘導実演と緊急離脱訓練がメインイベントです」
「まあ、いいわねえ。きっと黒木さんが不審者役ね?」
黒木は黒いコートに黒い帽子を装備して、サングラスをかけている。
どこに出しても恥ずかしくない、立派な不審者である。
「黒木さん、絶対不審者役うまいっすよ」
「それは褒めてんのか」
「はい!」
ユズルは子どものように元気に答えた。
黒木は少しだけ複雑な顔をした。
* * *
一時間後、準備が整い、防犯教室が始まった。
会場は、町内会館二階の多目的室だった。
十人ほどの子どもが集まり、皆、普段と違う催しにワクワクしている。
前方にはパーテーションが用意され、そのそばには小さな机がある。
三枝は机の前でマイクを持ち、大門は部屋の入り口脇で仁王立ちしている。
「今日は皆さんに、危険な大人がどのように近づいてくるかを実演します」
三枝はそう言って、大門に合図した。
大門が電気のスイッチを押すと、後方の照明が消えた。
同時に、パーテーションの裏からユズルが出てきた。
「ユズルくんは、学校が終わって一人で家へ帰っていました」
三枝がナレーションする。
ユズルは、ご丁寧にランドセルを背負っている。
「あー暑いなあ。アイスでも食べたいなあ」
そこへ黒木が現れる。
黒木の装いに、子どもたちがクスクスと笑う。
「おい、おま……じゃねえや、えっと、ぼく! 今日は暑いねえ。アイスでも食べようと思うんだけど、一緒にどうだ? ついておいで」
「えっ、いいの!? 僕、ハーゲンダッツがいい!」
二人がパーテーションの裏にはけていくと、子どもたちがドッと笑う。
同時に、ブブーッとブザーの音が鳴った。
「このあと、ユズルくんは二度と家に帰りませんでした」
三枝は、バツマークの札を掲げながら淡々と読み上げる。
子どもたちは絶句し、お互いの顔を見合わせる。
「このように、皆さんが安全だと思っているこの町にも、悪い人が潜んでいるかもしれません。今日は、ユズルくんがどうすれば家に帰れるか、皆さんで一緒に考えてみましょう」
子どもの一人が手を上げた。
「お名前は?」
「アイ!」
「ではアイさん、実際にやってみてくれますか? 今度はあなたが、ユズルくん役です」
子どもが立ち上がり、前に出てくる。
再び黒木が姿を現す。
「や、やあ、お嬢ちゃん。お兄さん、君のお母さんと知り合いなんだ。お家まで送るように言われているから、車に乗っていくといい」
「私、こんな髭のおじさん知らなーい!」
「お、おじ!?」
ショックを受けている黒木を尻目に、少女は大門のもとへ走る。
「きんにくのひとー! たすけてー!」
「はっ!? 俺か!? 任せろ、あの髭面か!?」
大門は軽々と少女を抱き上げて肩に乗せ、そのまま黒木のほうへ駆け出す。
いまだ呆然としている黒木を、ラリアットの要領でぶっ飛ばす。
「ぎゃああああああ!」
黒木が情けない悲鳴とともに飛んでいく。
同時に、ピンポンピンポンと爽やかな音がする。
「お見事です! 大声を上げて周囲の大人に助けを求める。とても有効です」
三枝が拍手を送ると、子どもたちも続く。
「きんにく、すごい!」
「つよい!」
「僕も肩車してほしいー!」
「よくできました。ただし、この人たちは特殊な訓練を受けているので、よい子は決してマネせず、速やかに警察に通報しましょう」
「はーい!」
子どもたちは、元気よく返事した。
「さて、悪い人はこんなふうに、いろんな言葉で皆さんを惑わせようとします」
三枝の説明が続く。
黒木が息絶え絶えにパーテーションの後ろに座り込むと、ユズルが紙に何かを書いていた。
三枝から預かった進行表(裏)のようだった。
「安心の破壊、判断基準の植え付け、味方の設定、順調に完了っす」
「残るは反復だな」
黒木が低く笑った。
「では、全員で練習します。知らない人には?」
「ついていかなーい!」
「不審者に声をかけられたら?」
「たすけをもとめるー!」
子どもたちの声が、多目的室に響いた。
ユズルは満足げに、「反復」にもチェックをつけた。
* * *
防犯教室は、予定より少し早く終わった。
子どもたちは帰り際、黒木たちの周りに集まった。
「不審者の人、もう一回やって!」
「その呼び方はやめろ」
「筋肉の人、腕さわっていい?」
「屈しろ、俺の僧帽筋に」
「かたーい!」
「ユズルくんって何年何組? 最近転校してきたの?」
「うっ……僕、これでも立派な大人なんです……」
子どもたちを優しい顔で見つめながら、田辺はパンパンと手を叩く。
「はいはい、みんな、今日はもう帰りましょうね。帰り道、今日学んだことをちゃんと守って帰るのよ」
「はーい」
田辺に促されて、子どもたちがバラバラと部屋を出ていく。
「不審者の人、ばいばーい!」
「筋肉の人、またねー!」
「ユズル、今度ドッジしようぜー!」
田辺も見送りに出ていき、部屋の中が急速に静かになる。
三枝は配布資料の余りをまとめながら言った。
「次回実施する場合、低学年と高学年で内容を分けたほうが効果的です」
黒木が振り返る。
「俺は二度とごめんだ。ジジババの相手してるほうがましだ」
「俺は、またやりたい。子どもたちに、俺の筋肉が何よりの味方だと教え込む」
「大門さんは普通にヒーローなのでは……」
ユズルが至極まっとうな疑問をつぶやいた。
黒木たちは下に降りて、いつもの和室に戻った。
そこへ田辺が戻ってくる。
「皆さん、本当にありがとう。素晴らしかったわあ。ささやかだけど、お礼にこれでも食べていってちょうだい」
田辺が、冷蔵庫から箱を取り出し、机の上で開ける。
色とりどりのケーキだった。
三枝が身を乗り出す。
「これは、ラ・パティスリー・ヒロセの……!」
「あら三枝さん、詳しいのね」
「脳に糖分は不可欠です。ありがたく頂戴いたします」
「筋肉にも不可欠だ」
「僕、このチョコレートケーキがいいっす!」
「遠慮なく召し上がって。お茶もどうぞ」
田辺が、急須からお茶を注ぐ。
和室にお茶の香ばしい香りがふわりと広がる。
「そういえばねえ」
田辺が、湯呑みを配りながら思い出したように言った。
「この間また、アーバンリンクさんから案内が届いていてね」
黒木の目が、わずかに鋭くなった。
「回覧板も困りごとも、まとめてアプリで管理できるんですって。便利そうではあるのよねえ」
黒木は、ケーキを食べる手を止めた。
「それはつまり、町内会を乗っ取ろうとしている外部組織ってことか」
ユズルはフォークを握りしめて、目を輝かせた。
「敵対組織っすね」
「このシマを荒らそうってんなら、看過できねえ」
「まあ、そんな大げさな話じゃないと思うけどねえ」
田辺は、お茶をすすりながら呑気に笑った。
黒木たちは、笑えなかった。
こうして、暗黒結社ノクターンの防犯教室は完了した。
しかし、彼らは言う。
これは防犯教室ではない。次世代洗脳教育である。




