第3話 住民の弱みを握れ(前編)
回覧板は、思った以上に早く町内を一周した。
これまで一週間近くかかっていたものが、三日で町内会館へ戻ってきたと、田辺はたいそう喜んでいた。
そして、その回覧板に挟まれた町内会報には、黒木たちの名前も載っていた。
『町内会に、若い四人が加入してくれました。
黒木さん、三枝さん、大門さん、ユズルさん。
とても優しくて、頼りがいのある方々です』
黒木は、ちゃぶ台の上の町内会報を見つめる。
田辺が、記念にと押し付けてきたものだった。
「晒し上げられた」
「代表が許可しました」
「『優しくて頼りがいのある』なんて、ぬるい紹介文で流せとは言ってねえ」
「でも、これで怪しまれにくくなったんじゃないですか?」
ユズルが、スマホをいじりながら言った。
「町内会長公認なら、多少怪しいことをしても『そういう人たちなのね』で済むっす」
「それはそれで腹立つな……」
黒木は上体を後ろに倒して、シミだらけの天井を睨んだ。
そのとき、黒木のスマホが鳴った。
「……ヤツだ」
画面に表示された「田辺」の文字を見て、眉をひそめる。
スピーカーに切り替えて、スマホをちゃぶ台に置く。
「もしもし」
『黒木さん? 田辺です。今、大丈夫かしら』
「大丈夫じゃねえが、どうしてもって言うなら聞いてやる」
『あら、じゃあ後でかけ直すわ』
「おい待て! 今大丈夫になった!」
三枝が無言で、パソコンを開いた。
『あら、そう。ええっとね、ちょっとお願いがあって』
「……ほう」
地域住民が、暗黒結社ノクターンに協力を要請してきた。
よい兆しだと、黒木は目を細めた。
『回覧板に挟んだお困りごと記入票がね、たくさん返ってきたの。無理のない範囲で、少しだけ手伝ってもらえないかしら』
「具体的にはなんだ」
『電球が替えられないとか、米袋が運べないとか、そういう小さなことなの』
「……なるほどな。わかった。このあと行く」
『まあ、助かるわ! ありがとう! じゃあ、待ってるわね』
黒木は電話を切ると、したり顔で三人を見た。
「来たぞ。住民どもが、進んで俺たちに弱点をさらけ出そうとしている」
「でも助けちゃったら、普通にボランティアっすよね」
「俺たちが、ただのボランティアなんてするわけねえだろ。三枝、例のものを」
三枝が素早くキーボードを叩き、三人に画面を向ける。
『住民脆弱性管理表』が表示されている。
項目には、氏名、住所、家族構成、弱点、制圧担当、支配状況が並んでいる。
黒木は立ち上がった。
「いいか。困りごと対応という名目で家に入る。そこでさらなる弱みや家族構成、警戒心の薄さを確認する」
「何だか悪っぽくなってきました!」
ユズルがキラキラした目で黒木を見つめる。
「そうやって地道に個人情報を――」
「待ってください」
三枝が黒木を制した瞬間、頭上でカタリと音がした。
四人は同時に天井を見上げた。
天井板は、まだ開いていなかった。
「誰だ、ガムテープ剥がしたの!」
「猫の鳴き声がしたから外した」
大門が、なぜか得意げに言う。
「猫なんているわけねえだろ! おいジジイ! てめえか!?」
『……にゃーん』
天井から、しわがれた老人の声がした。
「ほら、猫だ」
「お前、これに騙されたのか……」
神はそれきり何も言わず、顔も見せない。
三枝が声を潜めて言う。
「これまでの出現傾向を分析し、対策を検討しました。神は、我々が犯罪行為を口にした直後に出現します。つまり、直接的な表現を避ければよいのです」
「なるほどな」
黒木は天井に向けて言う。
「我々は、そうやって地道に……住民の生活状況と脆弱性を把握する!」
『……把握して……どうするのじゃ……』
「なんだって!? 聞こえねえよ!」
神の声はやけに小さく、かすれていた。
天井板がずらされ、隙間から神が顔をのぞかせる。
『……天上カラオケ大会予選に向けて、練習しすぎてしもうた……優勝景品はハワイ旅行じゃ……』
「じゃあ来んなよ!」
神は、やかましく咳払いをした。
『して、その情報をどうするのじゃ……』
「確認して、すべての弱点を潰す! 困ったときには必ず俺たちを頼るよう、徹底的に手を貸してやる。やがて奴らは、俺たちなしでは生活できなくなる!」
神の顔が、ぱっと明るくなった。
『……なんじゃ。生活支援ボランティアじゃな……』
「違う!」
「合ってるのでは……?」
ユズルが首を傾げた。
黒木が、ギッと音がしそうな眼力でユズルを睨んだ。
『では、がんばるのじゃよ……わしは戻る……』
「もう来んなよ」
『……ふぉっ……』
神は笑おうとして、口を押さえた。
「笑い声まで温存すんな」
神はひらりと手を振ると、顔を引っ込めた。
天井板が、カタンと閉じた。
黒木は、大きなため息をつくと、肩をほぐすようにグルグルと回した。
「……出撃だ。いいか、目的は我々の支配力を見せつけることだ」
黒木は大門を見た。
「大門、お前の出番だ」
大門の目が、ぎらりと光った。
大柄な体が立ち上がるだけで、室温が上がる気がする。
「電球を素手で割り、米十キロを小指で持ち上げ、圧倒的な力で屈服させる」
「やめろ。ちょっと見てえけど」




