第2話 情報網を制圧せよ(後編)
天井板が閉まると同時に、ユズルが黒木のそばに駆け寄った。
「黒木さん! どうして言いなりになるんっすか!」
「ふっ、言いなりになんかなるかよ。壺は今度だ。もっと効率よく住民を支配する方法を思いついた」
「まじっすか!?」
ユズルが、餌を前にしたチワワのような顔をする。
「運用の穴は塞ぐ。しかし新たに、我々に都合のいい穴を作っておく」
黒木は続けた。
「今の回覧板は、町内会から住民へ情報を流すだけだ。だから、逆に住民から情報を吸い上げる仕組みを作る」
「なるほど。どのような情報をお求めで?」
三枝が問う。
黒木は回覧板を指で叩いた。
「生活や組織への不満を、全部、自分の手で書かせろ」
黒木の顔に、悪辣な笑みが浮かんだ。
「すげえっす……! 弱点を差し出させるんっすね!」
ユズルが納得したように何度もうなずいた。
ちょうどそのとき、和室の襖がスッと開いた。
「お待たせしてごめんなさいねえ。新しい資材を持ってきたわ」
田辺が入ってくる。
大きな段ボールを抱えていた。新しい回覧板用の資材らしい。
田辺の手が、重さで震えている。
大門が横から段ボールを奪い取った。
「筋肉が泣いている」
「あら、ありがとうねえ」
三枝は、田辺に向き合った。
「会長。整理の前に一つご提案があります」
三枝は回覧板を示した。
「回覧板に、『町内のお困りごと記入票』を挟むのはどうでしょうか? 生活上の不便や町内会への要望などを記載し、封をして戻せるようにします」
「いいじゃない! 最近、皆さんが何に困っているのか、なかなか聞く機会がなくて」
田辺が手を叩いて喜ぶ横で、黒木が悪霊のような顔をしている。
「あ、そうだわ! ちょっと待っていて」
田辺が、部屋の隅の引き出しに駆け寄って中を探し始めた。
黒木がすかさず、三枝に詰め寄る。
「お困りごと相談とは言ってねえぞ」
「外向け表現にしておきました」
黒木が舌打ちする。
田辺が戻ってきて、黒木に一枚の名刺を見せる。
「地域の困りごと支援をやってる会社さんらしいの。この前、お名刺をいただいてね」
黒木たちは名刺をのぞき込む。
『株式会社アーバンリンク
営業 戸田 誠司』
「いけすかねえ名前だ」
「爽やかな好青年だったわよ」
田辺は机に名刺を置いた。
そして、どこか寂しげな声で続ける。
「こういうサービスも、いずれは必要になるのかしらねえ」
「いらねえ」
「まあ、あなたたちが手伝ってくれるのね!」
「そうは言ってねえ!」
田辺はニコニコしながら、回覧板を広げる。
「さあ、始めましょうかあ」
その後、全員で回覧板の運用見直しを進めた。
まず、ルールや順路、掲載情報の問題点を洗い出した。
黒木は、三人の適性を考慮しながら的確に仕事を割り振っていく。
三枝がルートを組み直し、ユズルは書類の文字サイズやレイアウトを整えていく。
「ついでに町内会LINEも作るのはどうっすか?」
ユズルが作業しながら、ふと言った。
「もうあるのよ。でも、全然浸透しなくてねえ」
「じゃあ、登録案内のチラシも作るっす!」
ユズルはさっそく町内会LINEに参加し、チラシを作り始めた。
大門は古い回覧板から紙を外し、ひたすら書類をシュレッダーにかけていった。
町内会館には手動のシュレッダーしかなく、大門はうるさい掛け声とともに腕を回し続けた。
「うおおおお! 育て! 上腕三頭筋!」
「うるせえ、静かにやれ」
「声をかけねば育たない! うおおお!」
「植物かよ」
* * *
数時間後、回覧板は見違えるほど整理されていた。
順路は最適化され、書類はレイアウトも文字サイズも読みやすいものになった。
新たに、『町内のお困りごと記入票』と封のできる回収用の封筒も加えられている。
「まあ、すごい。これなら使いやすいわねえ」
田辺は、完成した回覧板を見て目を輝かせた。
「ふん。こんなこと、我々にかかれば造作もない」
「本当にありがとうね。皆さん、きっと喜ぶわあ」
田辺は、回覧板を大切そうに撫でた。
「それでね、せっかくだから、次の回覧板で黒木さんたちを紹介していいかしら?」
「わ、我々の存在を地域全体に知らしめるだと!?」
「ええ。よかったら写真もどう? 回覧板を見やすくしてくれましたって書きたいわあ」
田辺は、引き出しから古いデジタルカメラを取り出した。
「だ、ダメだ! 絶対にダメだ! 威厳に関わる!」
「あらあ、どうしてもダメ?」
田辺が寂しそうに眉尻を下げる。
黒木はウッと言葉に詰まった。
「じゃあ、写真はやめて名前だけはどう?」
「ぐっ……いや、ダメだ。リスクが高い」
「でも、皆さんに知ってもらったほうが安心よ」
「くっ……」
黒木は奥歯を噛みしめた。
地域情報網を制圧するつもりが、自分たちの情報を流されかけている。
「代表」
三枝が静かに言った。
「考え方を変えましょう。これは、地域内に我々の存在を浸透させる機会です」
「ほう……悪の名を地域に刻むということか」
黒木は少し考えた。
「わかった。だが、イニシャルにしろ。俺はK木、三枝はS枝といった具合に……」
「それじゃなんだか、犯罪者みたいじゃない」
田辺が冗談っぽく言ったが、四人にとっては冗談ではなかった。
結局、名字だけということで黒木が折れた。
「じゃあ、次の回覧板に入れておくから、楽しみにしていてね」
田辺は満足そうに言った。
その後、黒木たちは、町内会館を後にした。
こうして、暗黒結社ノクターンの回覧板改修は完了した。
しかし、彼らは言う。
これは回覧板改修ではない。地域情報網制圧である。
そして、彼らはまだ知らない。
数日後、回覧板が住民たちの切実な「弱み」をびっしりと携えて戻ってくることを。
第3話:7/26(日)12:10公開




