第2話 情報網を制圧せよ(前編)
古びた回覧板が、長机の上に山と積まれていた。
「潜入早々に任務とは、こき使いやがる」
入会手続きのあと、田辺に頼まれて、回覧板の整理を手伝うことになった。
当の田辺は、新しい資材を取りに席を外している。
「しかし、これほど早く中枢情報に接触できるとは」
「回覧板は中枢なんっすか?」
ユズルが、田辺にもらった煎餅をかじりながら言う。
「当然だ。町内全体への連絡が集まる。しかも、順路を組むには住民の氏名や住所が必要だ」
黒木は回覧板を一枚手に取って、しげしげと眺めた。
角は欠けて、クリップは少し錆びている。
表紙は黄ばんで年季が入っている。
「この板を掌握すれば、住民への連絡や回覧ルートを俺たちがコントロールできる」
「確かに……! それで、具体的に何をするんっすか!?」
黒木は、バンッと勢いよく回覧板を閉じた。
「この回覧板に、我々の声明文を紛れ込ませて地域中に流す!」
ユズルが固まった。
「え?」
「暗黒結社ノクターン、ここに誕生せり。震えて待て――とでも書いておけば、全住民に我々の名が行き渡る」
「やめましょう」
「なぜだ」
「普通に、なんかダサいです」
ユズルの言葉に、黒木は絶句した。
三枝はパソコンを開きながら、冷静に言った。
「代表。声明文は、現段階では効果が薄いかと。警戒されるだけです」
黒木は黙ったまま三枝に視線を向けた。
「回覧板に紙を一枚挟めば、住民には町内会からの案内として受け取られます。宣伝や告知には有効でしょう」
「チラシとかっすか?」
チラシという言葉に、黒木はハッとした。
「いい案だ、ユズル。三枝、例のものはもうできているか」
「はい。印刷も完了し、本部にストックしてあります」
三枝はパソコンを操作し、三人のほうへ画面を向けた。
一枚のチラシが表示されている。
『町内会推奨
家内安全・開運特別壺』
スタイリッシュなデザインに不釣り合いな文字列だった。
ユズルが顔をしかめた。
「……なんっすか、これ」
「見ればわかるだろう。次なる計画に備えて作っていたが、早々に日の目を見ることになりそうだ」
三枝が画面を拡大して、補足する。
「町内会限定価格、3万円です」
「購入者にはノクターン特製ステッカーつきだ」
黒木がポケットからシールを取り出した。
黒地に白い三日月の模様と、Nocturneの文字が描かれている。
「孫にやるためにジジババが必死にシールを集めてるらしいぞ」
「それ、たぶんプニプニした、なんかもっといいやつっす」
ユズルは半目になった。
三枝はさらに資料を切り替えた。
そこには、想定売上表が表示されていた。
「このとおり、高い利益が見込まれます」
黒木は満足げにうなずいた。
「回覧板は町内全域を巡る。ならば、これほど効率的な販促経路はない」
「さっきから、よくわからん」
大門の頭上にハテナマークが飛び交っている。
「要するに――このチラシを回覧板に折り込んで、ジジババに壺を売りつける!」
その瞬間だった。
頭上で、カタリと音がした。
黒木たちは一斉に天井を見上げる。
和室の天井板が、一枚だけ不自然に浮き上がっていた。
「……まさかな」
黒木が鼻で笑って言った。
その直後、隙間からツルッとした頭がのぞいた。
続いて、穏やかな老爺の顔が逆さまにぬっと現れた。
「うーむ……それは犯罪じゃよ」
「お前、ここにも住んでんのかよ!」
「住んではおらん。天井から出てきただけじゃ」
「どっちにしろ気持ち悪いわ!」
「それより、詐欺はいかんのう」
「まだ何もしてねえ!」
「企てたじゃろ」
神は天井からするりと降りてきた。
ふわりと向きを戻し、座布団の上に正座する。
「では、188に聞いてみるかのう」
神が指を動かすと、ユズルが手に持っていたスマホが光る。
「消費生活センターですね。非常にまずいです」
「なんで毎回僕のスマホなんだよお!」
「と、見せかけて黒電話じゃあ!」
神がそう言った直後、部屋の隅に置かれた黒電話のダイヤルが、ひとりでに回り始めた。
「物理干渉できるタイプなんですね」
「人を悪霊みたいに言うでないぞ。ふぬぬぬぬ、重いぞ、このダイヤル」
三枝がメモを取る。
その間にも、黒電話のダイヤルがギリギリと回る。
黒木は焦る。
初任務で通報されるのは、あまりに無能すぎる。
せっかくスムーズに潜入できたのに、台無しだ。
「待て、誤解がある!」
黒木は神の前に立って両手を広げた。
神の指が止まる。
「ほう」
「俺たちは、回覧板を悪用しようとしていたわけではない。これは……」
黒木はパソコンをつかんで、画面を神に見せつけた。
「偽の案内が紛れ込んだとき、町内会がどう動くかを確かめるためだ! 脆弱性を暴く試験だ!」
部屋が静まり返った。
三枝が感心したように拍手を送る。
神は、チラシを指さした。
「3万円の壺でか?」
「リアリティのある題材を選んだ!」
「暴いてどうするのじゃ?」
黒木は畳を叩き、声を張った。
「強化する! 俺たちの情報網に綻びなど許されねえ」
「なるほどのう」
神は納得したように、ポンと手を叩いた。
「つまりは、回覧板の運用見直しじゃな」
「情報網の強化だ」
「せっかく見つけた穴じゃ。塞いでおくのじゃぞ」
「……検討はする」
神はふぉっふぉと笑いながら、ふわりと浮き上がった。
「よいことじゃ。そろそろ田辺会長が戻ってくるぞ。がんばるのじゃぞ」
言いながら、神は天井に上っていった。




