第9話 民衆を熱狂させよ(後編)
焼きそば屋台では、大門が鉄板の前に立っていた。
額には鉢巻き。両手には新品のヘラ。
横には平原が座っていた。
「大門、教えを忘れておるまいな」
「ヘラに優しく、麺を敬い、肉をいたわり、キャベツを侮らない」
「うむ、完璧だ。修行の成果を見せてみろ!」
「おっす!」
大門は鮮やかに焼きそばを作った。
列から拍手が起こった。
「大門さん、二つちょうだい」
「礼はプロテインでかまわん」
「馬鹿者、食券をもらえ」
平原は大門の頭を小突いた。
* * *
ノクターンのキッチンカーには、赤いりんご飴が整然と並んでいた。
調理不要、食券と引き換えに渡すだけの効率的な屋台だ。
「りんご飴だー! 一個ください!」
「町内通貨を一枚差し出せ」
黒木は食券を受け取り、りんご飴を渡した。
そして、屋台の下から黒い小袋を取り出した。
中には、黒地に白い三日月の模様が入ったノクターンステッカーが入っていた。
隣で手伝っていたユズルが、ステッカーを二度見した。
黒木は、子どもにステッカーを差し出す。
「赤い果実を手にした者にだけ与えられる、支配の証だ」
「やったー! シールだ!」
子どもが嬉しそうに去っていくと、ユズルは唇を尖らせて黒木に詰め寄った。
「これ、ツボのおまけっすよね!? 僕は断腸の思いで組織印を処分したのに! 私情は挟むなって言ったくせに!」
「ふっ、私情ではない。先を見越して残しておいただけだ」
黒木は、あらぬ方向に視線を向けた。
後日、このステッカーが高レアシールとして子どもたちの間で取引されることを、黒木はまだ知らない。
* * *
午後六時半。
町内会館内の休憩室から、ユズルのスマートフォンへ連絡が入った。
山下からのメッセージだった。
『会館内の食べ物・飲み物の在庫が少なくなってきました。補給をお願いできますか』
「第二支配拠点から補給要請です! 行ってくるっす!」
ユズルは台車を広げ、りんご飴と飲料の入った段ボールを乗せた。
さらに焼きそば屋台へ寄り、大門に焼きそばも詰めてもらった。
重くなった台車を、休憩室まで押していった。
入り口のそばで、山下が待っていた。
「おお、ユズルくん! 助かるよ。皆、追加の食事と飲み物が来たよ」
中にいた高齢者たちから、喜びの声が上がる。
「僕が席を回るので、座って待っててください!」
「ユズルくん、手伝うよ」
ユズルが振り向くと、斎藤が小さな男の子を連れて立っていた。
「斎藤さん! 助かるっす!」
ユズルは各席に食べ物を配っていった。
斎藤も孫と一緒に、反対側の席から配り始めた。
「ありがとうねえ。暑くて外に出られなかったから、うれしいわ」
りんご飴を受け取った女性が笑った。
涼しい部屋に、焼きそばの匂いと、赤いりんご飴。
外の会場と比べて静かではあるが、町内会館にも確かに夏祭りがある。
ユズルは誇らしげにその様子を写真に収め、ノクターンのLINEへ送った。
『第二支配拠点も、掌握完了っす』
* * *
本会場でも、次々と問題が起きていた。
「飲料の減りが予測より早いです」
三枝が在庫表を確認して言った。
黒木は会場を見回し、即座に指示を出した。
「住民どもに車を出させろ。駅前のスーパーまで往復十分だ。追加で仕入れてこい」
さらに、落とし物の連絡も続けざまに入った。
ユズルが写真を撮り、順次町内会LINEへ投稿した。
『小さなマッチョのぬいぐるみを本部で預かっています』
五分後、持ち主の少女と母親が現れた。
ユズルが、ぬいぐるみを見ながら首をかしげた。
「すみません、このぬいぐるみって……」
どこか既視感のあるマッチョだった。
母親が、困ったような笑みを浮かべた。
「ああ、実はこれ、焼きそばのお兄さんなんです。娘が防犯教室でファンになっちゃったみたいで」
「お兄ちゃんのもあるよ!」
少女はカバンから三体のぬいぐるみを取り出して見せた。
髭面の長髪、イケメン眼鏡、童顔。
見覚えしかないラインナップだった。
「グッズ化」
少女は大事にぬいぐるみを抱えて去っていく。
ユズルはその姿が見えなくなるまで、ぽかんと口を開けて突っ立っていた。
* * *
午後七時半。
屋台や受付の列が落ち着いてきた。
黒木たちの屋台も、少し人が減ってきた。
田辺が屋台にやって来て、黒木たちに声をかけた。
「黒木さんたち、ずっと休んでないでしょう。いつもの和室を使っていいから、少し休んでらっしゃい。焼きそばとお茶、置いておいたから」
「僕は二階の休憩室で、様子見がてら休んでくるっす」
「では、代表が先に休憩してください。私は屋台を見ておきます」
大門は相変わらず、焼きそばを焼き続けていた。
* * *
黒木は町内会館の和室に一人座っていた。
監視の目を緩めたくないが、さすがに疲れている自覚があった。
焼きそばを食べようとしたとき、天井からカタンと、聞きなじみのある音がした。
「うーむ」
黒木は、忌々しげに天井を見上げた。
白髭の神が顔を出していた。
手にはりんご飴を持っていた。
「なんだ、ジジイ。てか、盗んでんじゃねえ」
「盗んでなどおらんわ。眼鏡にもらったのじゃ」
「ちっ、三枝のやつ……」
神は降りてくると、座布団に正座した。
「祭りは格好の犯罪現場じゃからのお。見回りしておったのじゃ」
「頼んでねえ」
「しかし、やりがいがないのお」
黒木がぴくりと眉を動かした。
「消防も警察も保健所も税務署も、どこにも通報できん」
三枝の計画はぬかりなかった。
安全配慮も食品管理も万全で、電話をかける先がない。
「出る幕がないのう」
黒木が即座に怒鳴った。
「じゃあ何しに来たんだよ!」
「念のためじゃ」
「帰れ!」
「ふぉっふぉっ、怖い怖い」
神はふわりと浮き上がった。
「りんご飴、ありがとうのう。ただ、忘れるでない」
神はいつにもなく真面目な顔をした。
「入れ歯にこの飴は、ちとつらい」
「うるせえ、入れ歯ジジイ!」
神が天井裏に消えていった。
黒木はため息をついて、焼きそばをかき込んだ。
* * *
午後八時。戸田が会場へやってきた。
今日はスーツではなく、動きやすいポロシャツ姿だった。
会場へ足を踏み入れた途端、戸田の目が輝いた。
「なるほど! いいですね!」
子どもから高齢者まで、それぞれ与えられた役割を楽しそうにこなしている。
祭りの中心にいるのは、間違いなく住民たちだった。
会場を一巡したあと、戸田はノクターンのキッチンカーを訪ねた。
「三枝さん!」
「戸田さん。来てくださったのですね」
「はい、素晴らしいです!」
三枝と戸田が話していると、休憩を終えた黒木が戻ってきた。
「お前か。どうだ、俺たちの支配は」
「非常に完成度の高い地域支配です! 住民が自発的に動き、不足する専門機能だけを外部から補う! ……本当に……本当に素晴らしい……!」
三枝がキッチンペーパーをロールごと差し出した。
戸田は涙を拭き、そのまま鼻をかんだ。
「ふん。侵略は潔く諦めろ」
「いいえ」
戸田の声のトーンが落ちた。
黒木と三枝は、互いに目配せした。
「方針を変更します! 町内の強みはそのままに、足りない部分だけ弊社が部分侵攻します!」
黒木は腕を組んで、威嚇するように低いトーンで言った。
「……中枢は渡さんぞ」
「はい! ぜひ、今後も我々に外堀を固めさせてください!」
「いいだろう。使えねえと判断したら切り捨てる」
「ありがとうございます!」
戸田は、四十五度のお辞儀をした。
分度器で測ったような美しさだった。
* * *
午後九時前。
夏祭りは、まもなく終了時刻を迎えようとしていた。
田辺が再び壇上へ上がり、マイクを握った。
ノクターンも、実行委員会として田辺の後ろに控えた。
「皆さん、本日はありがとうございました。おかげさまで、今年も無事に夏祭りを終えることができました」
田辺が、突然黒木へマイクを向けた。
「黒木さんからも、最後に一言お願いします」
「は?」
黒木は反射的にマイクを受け取った。
会場中の視線が集まった。
「……家に着くまでが夏祭りだ。油断するな」
会場の笑いと拍手の中、夏祭りは幕を閉じた。
* * *
撤収作業も、例年より早く進んでいた。
重いテントや机は外部業者が回収し、町内側は忘れ物の確認やゴミの分別、軽い清掃を担当していた。
大門は空になった鉄板を、黙々と磨いていた。
平原がその横へ立つと、大門が顔を上げた。
「師匠」
「よく焼いたな。少し焦がしたが、うまかった」
大門は何も言わず、深くうなずいた。
「来年も頼むぞ」
大門の目が見開かれた。
それから、満足げに胸を張った。
三枝は食券販売所で、黙々と枚数を照合していた。
「販売枚数、配布枚数、差異なし。回収枚数、差異なし……」
ぶつぶつとつぶやきながら、エクセルに入力していく。
黒木が横から画面をのぞき込んだ。
「代表、会計も問題ありません」
「そうか……よくやった」
三枝は少しだけ顔を上げた。
「参謀ですから」
再び画面へ目を落とした横顔は、どこか満足そうだった。
そこへ、ユズルがスマホを片手に戻ってきた。
「町内会LINEに閉会のお知らせと、忘れ物の案内を流しておいたっす」
「よくやった。情報網の掌握も完璧だな」
黒木の言葉に、ユズルは照れくさそうに頭をかいた。
「ユズル。大門を呼んでこい。そろそろ撤収だ」
「了解っす」
ユズルが小走りに外へ出ていった。
入れ替わりに、田辺が入ってきた。
黒木を見つけて、優しくほほ笑んだ。
「黒木さん、今日は本当にありがとう」
「礼はいらん。俺たちは支配中枢を防衛したまでだ」
「そうねえ。守ってくれたのねえ」
田辺は、片付けをする住民たちを見渡した。
大きく体調を崩す者も出ず、みんな終始いきいきとしていた。
「去年と形は違ったけれど、ちゃんとうちの町のお祭りだったわ」
田辺は、改めて黒木へ向き直った。
「今度ぜひ、のくたーんの皆さんに、ちゃんとお礼をさせてちょうだい」
「いらん」
「詳細は、また連絡するわね」
「聞け」
田辺はニコニコと手を振って、片付けに戻っていった。
黒木は、その背中を嫌な予感とともに見送った。
* * *
片付けが終わり、四人は町内会館をあとにした。
「そういえば今日、神さま出てこなかったっすね」
「いたぞ。いつもどおりのウザさだった。あと、お前、りんご飴やっただろ」
「フードロス防止です」
三枝がきりっとした顔で言った。
「なぜ焼きそばじゃない」
「張り合うな、どっちでもいい」
いつものように言い合いながら、帰路を歩いた。
こうして、暗黒結社ノクターンの夏祭り防衛戦は決着した。
しかし、彼らは言う。
これは夏祭りの成功ではない。
地域支配の中枢を守り抜いた、完全勝利である。
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